第3話:隠忍自重
「フリット、段々民の身なりがよくなっているのだが、何故だ」
辺境伯城を出発して十五日が経った頃、明らかに民の服装が変わった。
いや、服装だけでなく、表情まではがらりと変わった。
長年東洋医学に携わって多くの人の顔を診てきたから分かる。
これまで見てきた絶望した表情が、希望に満ちた表情に変わったのだ。
「ああ、この辺は王家の砦の縄張りになっている。
辺境伯家の影響が全くない騎士や貴族の領地になっている。
辺境伯家がどれほどの悪政を行おうが、関係ないんだよ」
「それはどういう事なのだ、王家の直轄領が辺境伯家の影響を受けないのは分かる。
だがそれなら、辺境伯家の周りの貴族達も、王家の直臣だろう。
辺境伯家が無理難題を言ってきても、王家を頼れるだろう」
「そこには色々と歴史的な経緯があるんだよ。
辺境伯家は、竜が暴れ出した時には盾となる家柄だ。
同然ながら、周囲の貴族家に対する指揮権も与えられているんだ。
少々の事なら文句が言えない状況になっているんだよ」
「それは、辺境伯家が寄り親で、周辺の貴族家が寄り子という状況なのか」
「ああ、そうだ、実際に歴代の辺境伯は、指揮権が認められている辺境の貴族家を動員して、大魔境の魔物を何度も討伐している」
「だがそれでも、あまりに政が悪い時は、王家が厳しい処置をすべきだろう」
「普通の辺境伯家ならそうなるだろうが、フリードリッヒ辺境伯家は、他国ではなく伝説の竜を抑えるために辺境伯の地位を授けられているんだ。
王家と言えど、そう簡単には介入する事はできない。
と言うのが辺境に流れている噂だ、分かったか」
「そういう事なら、今まで王家が野放しにしていたのもしかたがないだろうな」
フリットが話してくれた辺境の噂が真実だったら、金髪クソ婆達は何をやっても安泰なのかもしれない。
だがそれなら猶更分からないのが、俺に辺境伯を継がせようとする理由だ。
何かとんでもない理由がなければ、俺に継がせずに自分達が辺境伯を継ぐはずだ。
何が何でも俺に辺境伯を継がそうとする理由は何なのだろう。
それと、最近死んだという、この世界の俺の父親、当代の辺境伯だ。
恐らくだが、幽閉されていたか、薬で眠らされていたかだ。
父親を殺さずに生かしていた理由は、自分達が辺境伯を継げないから。
もしくは権力や富は欲しいが、辺境伯は継ぎたくないから。
金髪クソ婆達がそこまで嫌う辺境伯に、どんな秘密が隠されているのだろう。
「なあ、アレクサンダー様よ、あんたどうする心算だ。
俺もあんたの話しを聞いて色々と考えたんだがよ、辺境伯の位には裏があるぜ。
絶対にとんでもない落とし穴が隠されているが、それでも継ぎたいのかよ」
「フリット、俺は無理矢理この世界に連れてこられたんだ。
元の世界に帰りたいと思う事はあっても、辺境伯を継ぎたいとは思わない」
これは明らかな嘘で、俺の本音ではない。
弟と伯母達に罠に嵌られた日本に、心から戻りたいわけではない。
単にこんな危険な世界にいたくないだけだ。
それに、フリットはあまりにも賢過ぎる。
全ての領民に逃げられた辺境伯領に残らなければいけないような無能ではない。
普通に考えれば、フリットは王家の放った密偵だろう。
次に考えられるのは、この国の情勢を知りたい他国の密偵だ。
他に考えられるのは、フリードリッヒ辺境伯位を狙っている、過去にフリードリッヒ辺境伯家と婚姻関係にある有力貴族の密偵だな。
どこからの密偵であろうと、俺の本心を教えるのは危険だ。
「だがこう警戒が厳重じゃあ、とても逃げ出せないぜ。
それに、俺もアレクサンダー様に逃げられたら殺されちまうぜ」
「分かっているよ、逃げるとしたら王都についてからにする。
フリットが責任を取らされない状態になってから逃げるよ」
★★★★★★
俺はフリットとの約束通り、王都への道中で逃げるのは止めた。
十中八九密偵のフリットなら、何かあっても逃げきるとは思う。
だが万が一フリットが密偵でなかった場合、俺は間接的に人を殺す事になる。
だから道中で逃げる事は止めた。
まあ、魔物まで住んでいるという異世界の森に逃げるよりは、王都に入ってから逃げた方が安全だと思ったのも確かだけどな。
「アレクサンダー様はこちらでお過ごしくださいませ。
万が一の事があってはいけませんので、扉の前には常に護衛の兵がおります。
御用がお有りでしたら、その者にお伝えください」
フリードリッヒ辺境伯家の王都屋敷にたどり着いて直ぐに、地下牢に入れられた。
地下牢とは言っても、大勢の人間を一緒に入れる大部屋ではない。
頑丈な扉に閉ざされた個室の地下牢で、素手ではとても破壊できない造りだ。
唯一安心できたのは、とても高い天井辺りに小さな空気取りがあり、窒息死の心配がない事なのが、哀しすぎるな。
俺を連行した巨躯の騎士は、ニヤニヤと薄笑いを浮かべてやがる。
「おい、少しは食べられる食事を用意しろ。
食事が粗末すぎて病気になったら、国王陛下との謁見ができなくなるぞ」
「はぁあああああ、何を仰っておられるのですか、アレクサンダー様。
倒れたら魔術をおかけさせていただいて、治して差し上げますよ。
なんでしたら、騎士流でお教えさせていただいても構いませんよ」
怖い、こんな巨躯の騎士に殴る蹴るされた、プライドを捨てて謝ってしまう。
「そうか、だったらしかたがないな。
治癒の魔術を使うよりは、普通の食事の方が安く済むと思ったのだが、俺の勘違いだったようだな、すまない。
俺の食費を着服して、伯母上に治療費を請求すると、貴君らがどのような罰を受けるのか心配したのだが、余計な事だったようだな」
「ちっ、わかりました、アレクサンダー様。
貴男様に相応しい食事を用意させていただきますよ」
巨躯の騎士は掃き捨てるように言って、怒りを石の床に叩きつけるように、大きな足音を残して地下牢から出て行った。
直ぐに今迄のような古くて塩辛い干肉と堅パンだけの食事ではなく、硬くて咬み切れないような肉だが、小さなステーキと全粒粉のライ麦パンにリンゴが届けられた。
あれだけ文句を言ったのに、たったこれだけの食事に内心笑ってしまった。
(魔法袋)
俺は心なのかで想像で創り出した魔術を展開した。
道中で試した魔術は幾つもあるが、その内の一つがアニメやラノベによく出てくる、とても便利な魔法袋だ。
時間を停止して、術者が生きている限り永遠に保存できる夢の魔術だ。
だが少し問題があって、術の発動中は常に魔力を消費するのだ。
★★★★★★
「アレクサンダー様、御食事でございますよ」
巨躯の騎士がニヤニヤと笑ってやがる。
硬くて飲み込むしかない小さなステーキと、一番安い全粒粉のライ麦パンにリンゴという、最低の食事を毎日二食届けるのが、俺への復讐なのだろう。
巨躯の騎士に報復するのなら、食事を魔法袋に蓄えて倒れてやれば清々する。
だがそれでは、早急に蓄えたい魔力が減ってしまうのだ。
非常食の確保と魔力の確保を両立させるには、空気から魔素を吸収する事を続けて、身体強化と魔力備蓄を続けなければいけない。
それだけで、何も食べなくても身体を維持する事ができるのだ。
これで食事もとれば、もっと多くの魔力を創り出して蓄えられるのだが、それでは万が一魔素吸収ができなくなった時に、餓死する事になる。
「ああ、ありがとう、助かるよ」
「ちっ、アレクサンダー様は可愛げがありませんな」
「このような状況に追いやられて、可愛げがある方がおかしいとは思わんか」
「ふん、明日は国王陛下との謁見でございます。
精々身奇麗になされる事ですな、今のままでは乞食同然でございますよ」
「そうだな、いくら何でもこのような状態で国王陛下と謁見したら、フリードリッヒ辺境伯家であろうと無事ではすまないだろうな。
俺を殺す事はできないだろうから、伯母上や従兄殿が不敬罪で処刑されるか。
それとも責任者の騎士か侍女が処刑されるかな」
「くっ、クソ、クソ、クソ」
ガーン。
俺の嫌味がよほど堪えたのだろう。
巨躯の騎士が地下牢の扉を思いっきり叩いて出て行った。
十中八九は大丈夫だと思ったが、殴られなくてよかった。
以前口にした、治癒魔術の費用が頭にあったから、我慢したのだろう。
貴族しか魔術が使えないというのなら、陪臣騎士程度が動かせる金では、とても治療の依頼ができないのだろうな。
巨躯の騎士が去って、見張りの兵士が地下牢の扉をしっかりと施錠する。
俺はそれを確認してから、深く息を吸って、周囲から魔素を集める。
見張りの兵士が持つ魔素も一緒に集める。
今はまだ意識しないと周囲から魔素を集められないが、目標は眠っている間の呼吸でも周囲から魔素を集められるようになる事だ。
★★★★★★
「アレクサンダー様、まずは身体を奇麗にさせていただきます」
俺はてっきり巨大な浴場に入れると思っていたのだが、違っていた。
西洋式のバスタブくらいは使えると思っていたのだが、それも違っていた。
木製の桶に入れた水を使って身体をゴシゴシと洗われたのだ。
俺の認識が甘過ぎた、あの金髪クソ婆が俺のためにお湯を用意する訳がなかった。
しかも、侍女ではなく従僕に力任せに洗われるので、とても痛い。
「アレクサンダー様、髪を手入れさせて頂きます」
身体は水洗いで何とかなったが、垢と脂に塗れた髪は手強かった。
そのせいだろうか、俺の大嫌いな整髪料を大量に使われてしまった。
それも日本の理容院で使われていた程度の好いモノじゃない。
香油と呼ばれる、油と香草を混ぜたものだ。
そんなモノをつけられるのは大嫌いなのに、無理矢理塗りつけられた。
だが、それはまだましな方だった。
「アレクサンダー様、髭を手入れさせて頂きますので、動かないでください」
従僕がそう言って俺の顔にナイフを滑らせるのだ。
日本の理容師に顔剃りされるのも嫌だったのに、異世界人に顔剃りされるなんて、命の危険を感じてガタガタと震えそうになってしまう。
必死で鼻から取り入れた魔素を咽と目の周りに重点的に回した。
他の所なら少々傷が残ってもいいが、咽を切り裂かれて殺されるのも、失明させられるのも耐えられない。
「アレクサンダー様、服をあわさせていただきます」
口から心臓が飛び出しそうになる恐怖の後は、貴族らしい着付けだった。
俺の乏しい知識では、貴族の正装はとても厳格に決められていたはずだ。
だから正装は完全オーダーメイドでなければいけなかったと思う。
それなのに、俺が着る正装は既につくられていた既製品だ。
これが、この世界の父親や祖父が着ていたモノならいいのだが、明らかに大きすぎる豚仕様になっている。
「これは、いくら何でも見苦しすぎます、執事様。
このような服装で王城に行けば、当家でも不敬罪に問われかねません。
もう時間がありませんから、余分を切り取って体裁を整えるしかありません」
「くっ、アルフレート様の服を切るとなると、エリーザベト様が激怒されるぞ」
なるほどね、アルフレートと言う奴は、辺境伯でもないのに、辺境伯しか着られない服を着ていたのか。
確かにそんな不敬をしていたとバレたら、流石に不敬罪で処罰されるよな。
「気にするな、俺はそれで構わないぞ。
国王陛下か王家の侍従に色々と聞かれるだろうが、正直に話せば済む事だ。
急な爵位継承で、アルフレートが着ていた服を使わせてもらっているとな」
「だまらっしゃい、あなたには聞いていません」
「ほう、次期辺境伯に黙れと言う執事様はどのような爵位をお持ちなのかな。
明日俺が国王陛下と謁見する意味を本当に分かっているのかな。
薬か魔術で黙らせる心算なのかもしれないが、そのような詐術が国王陛下や王宮に勤める方々に通用するのかな」
「アレクサンダー様、黙っておられる方が身のためだと思われますよ。
余計な事を口にされたら、死よりも苦しい思いをする事になりますよ」
「執事様、俺は既に幸せに暮らしていた世界から無理やり連れてこられたのだ。
しかも奴隷同然に扱われていたのは知っているよな。
人間にはやけくそになってしまう事もあるのだよ。
何もしなければ今と同じ状態に、いや、今以上に悪い状態になると分かっていて、何もせずにいられるわけがないだろう」
「そうですか、分かりました、だったら半日の違いだけですから、今直ぐに生き人形にさせていただきましょう」
「そうかい、それならしかたがないな、好きにしてくれよ。
フリードリッヒ辺境伯家の嫡流に手を出して、伝説の竜が暴れなければいいな。
もし伝説の竜が暴れるとしたら、真っ先にお前達を狙うだろうな」
精一杯の皮肉と嫌味を言ったつもりだが、執事の奴、無視しやがった。
「お前達はアレクサンダー様を絶対に逃がさないように見張っていなさい。
逃げようとしたら、外にいる騎士様方に応援を頼みなさい。
アレクサンダー様、少々のケガや骨折は魔術で治せる事、お忘れになられているのではありませんか」
「忘れてはいないよ、服を切る程度で怯えている執事様をからかっただけさ。
痛いのは嫌だから、もう黙っているさ、好きにしてくれ」
さて、これでこいつらが伝説の竜を心底恐れているのは分かった。
問題は、こいつらが恐れているように、俺に竜の加護があるかどうかだ。
それと、俺の身体強化が、こいつらが使う魔術に抵抗できるかだな。
不意討ちでやられるよりはいいと思って挑発したが、どうなるかな。
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