第2話:激怒

「おい、王都まで何日かかるんだ」


 馬車の乗り心地が悪すぎて、もう耐えられないと思い御者に聞いてみた。

 後衛の騎士達に誤解されるのも嫌だから、扉を開けて聞いたわけじゃない。

 そんな事をしなくても、馬車の中から御者に命じるための小窓が開いている。

 普通なら木窓やカーテンで閉じられているのだるが、今は何も取りつけられていなくて、風がピューピューと中に入って来る。


「ああ、そんな事、俺に分かるかよ。

 全てはエリーザベト様のお考え次第だよ」


「普通なら王都まで何日かかるんだ」


「ちっ、あんたも俺と同じエリーザベト様の犠牲者だからな、教えてやるよ。

 普通なら辺境伯城から王都まで馬車で三十日の行程だ。

 伝令の早馬なら、途中で馬を替えて昼夜駈ければ、五日だろう。

 だが夜会好きのエリーザベト様が、途中の貴族領で社交をされれば、一体何日かかるか下々の者に分かるわけないだろう」


 御者は俺が次期辺境伯だとは知らないようだが、それも当然だ。

 どこの誰が、こんな異世界のパジャマを着た男を次期辺境伯と思うものか。

 まして本来なら辺境伯家に仕える騎士に脅かされていたのだ。

 金髪クソ婆達に連行される犠牲者に見えて当然だ。

 だが、これでこの御者が金髪クソ婆達の手先でない事がはっきりした。


「エリーザベト様はそんなに酷い方なのか」


「酷いなんてもんじゃんねぇえよ。

 他領の税が五公五民なのに、辺境伯領は七公三民なんだぜ。

 それに単に税が高いだけではなく、事あるごとに賦役を命じられる。

 それどころか、生贄にするために領民狩りまでされるんだ。

 とても暮らしていけなくて、多くの領民が他領に逃げ出しているんだ」


「よくそれで国王陛下から罰せられないな」


「領地の統治は貴族の権利で、国王陛下でも口出しできないそうだ。

 まして辺境伯家は特別な役目の御家だからな」


「特別な役目とは何なんだ」


「初代辺境伯閣下は稀代の英雄様だったそうでな。

 この大陸を暴れ回る伝説の竜と互角に戦われ、不戦の盟約を結ばれたそうだ。

 それ以来、竜が縄張りとしている大魔境を、代々の辺境伯閣下が監視されて、この国を護られておられるのだ」


 なるほど、そういう事なんだな。

 辺境伯を継ぐ者は、竜の住む大魔境を監視しなければいけないのだな。

 当代の辺境伯が死ぬか病気になって、早急に代わりの人間が必要なのだろう。

 だが、そんな重要な役目なら、自分や自分の子供に継がしたいはずだ。

 金髪クソ婆達には初代辺境伯の血が流れていないのだろうか。


「それはとても大切な御役目だな。

 そんな御役目があるのなら、国王陛下といえども辺境伯家を罰せられないな。

 それで、当代の辺境伯閣下はどんな方なのだ」


「辺境伯閣下は長らく病で臥せっておられるそうだ。

 そうでなければ、辺境伯領がこんな酷い状況になっているものか。

 古老に聞いた話しでは、とても立派な方で、税も安く住みやすかったそうだ。

 それが当代様が病に倒れられてから、エリーザベト様が勝手に増税されて……。

 おっと、余計な事を話し過ぎたな、もう話しは止めだ」


「ああ、ありがとう、色々と知ることができて助かったよ」


★★★★★★


「全体、止まれ、この村で小休止だ」


 村で小休止と言われたが、人っ子一人いなかった。

 廃村としか言いようのない荒れ果てた場所だった。

 だがそんな廃村でも、小川が流れているから馬達に水を飲ませる事ができる。

 偉そうにしている騎士も、馬は大切にしているようで、優しく話しかけている。


「税を払うのが嫌で、領地を逃げ出すとは、恩知らずにもほどがあります」


「その通りです、母上」


 馬車を降りた金髪クソ婆が身勝手な事を口にすると、白豚が相槌を打っている。

 どうやらあの白豚が金髪クソ婆の子供のようだ。

 子供とは言っても、俺とそれほど年が離れているわけじゃないようだ。

 肌と髪の状態を考えれば、六十歳前後と言う所だろうか。

 俺よりも年上だと思うのだが、全く覇気が感じられない。


「おい、飯だ」


 騎士がやって来て俺と御者に食事を与えるが、犬に餌を与えるよりも乱暴だ。

 剥き出しの干肉と堅パンを放り投げて終わりだ。


「ありがとうございます、騎士様」


 騎士がそんな態度なのに、御者は礼を言っている。

 俺はとても礼を口にする気にはならない。


「よかった、今回はちゃんと食事をもらえた。

 また食事なしだったらどうしようかと思っていたんだ。

 どうやらお前さん、よほど重要な役目があるようだな。

 おい、失敗しないようにちゃんと食っておけよ。

 与えられた役目を上手くこなせないと、生贄にされるぞ」


 御者はそう言って俺の分の干肉と堅パンを渡してきた。

 逃げるにしても体力があった方がいいから、犬以下の扱いでも食べるしかない。

 逆らって痛い思いをするのも殺されるのも嫌だからな。


「火を熾しては干肉を炙らないのか」


「へん、俺たちが火なんて使ってみろ、生まれてきたのを後悔するくらい殴られる。

 俺達平民は、エリーザベト様達や騎士様達の目に触れないように食べるんだよ」


 御者に真剣にそう警告されたら、とても火を熾す気になれない。

 俺は馬車の中に入って食べる事にした。


「一緒に馬車に入って食べないか」


「俺が馬車に入って食べたら、それこそ殺されちまうよ。

 俺は馬車の影に隠れて食べるから、気にしないでくれ。

 あんたはさっさと馬車の中に入って食べてくれ」


 御者は急に慎重になってしまった。

 俺と話している所を騎士に見られたのを恐れているようだ。

 この休憩中に話すのはもう無理かもしれない。

 金髪クソ婆や騎士達なら、些細な理由でも御者を殺してしまうかもしれない。

 せっかく手に入れた情報源を失うわけにはいかない。


 俺はそう考えて、馬車の中で干肉と堅パンを食べた。

 古い干肉のようで、嫌な臭いがするうえに塩辛過ぎた。

 堅パンには緑のカビが生えていて、食べるのが怖かった。

 だが、御者の喜びようを考えたら、代わりの食料が手に入るとは思えない。

 火を熾す事も無理だから、痛んでいる所だけ捨てて食べてみた。


「おい、水だ、しっかり飲んでおけよ」


 御者が小川から大量の水を汲んできてくれた。

 廃村のどこかから、小さな樽や古道具を拾ってきたようだ。

 盗みを見逃すのは良心に反するが、誰もいないのならしかたがない。

 それに、もし馬車で逃げ出す事になった場合、わずかな道具のあるなしが、命をつなぐ可能性もある。


「ああ、ありがとう、俺に手伝えることがあるか」


「止めておけ、騎士達の目が恐ろしく厳しい。

 お前が逃げださないように常に監視しているから、変な動きはするな」


 御者の話しを聞いて、夜陰に乗じて逃げる事は諦めた。

 どう考えても見張りがいると思われる。


「分かった、だが俺もこのままおめおめと殺されるのは嫌だ。

 逃げられる機会があれば教えて欲しい」


 俺は御者に頼んでみた。


「嫌だね、死にたくないのは俺も同じなんだよ。

 お前を逃がしたりしたら、俺が殺されちまうよ」


「そうか、だが何故アンタは辺境伯領から逃げないんだ。

 税も高く何時殺されるか分からないような辺境伯領からは民が逃げているんだろ。

 御者としての能力があるのなら、それを生かして逃げる事もできるだろう」


「俺にも色々と逃げられない理由があるんだよ。

 先祖代々住み続けた地を捨てて逃げるのは、相当な覚悟がいるんだ。

 何とか生きて行けるのなら、受け入れてもらえるか分からない他領には逃げない。

 他領に行っても、奴隷にされるかもしれないし、野垂れ死にするかもしれないのに、それでも生まれ育った領地から逃げる民の気持ちが、あんたに分かるのかよ」


「この国の事を何も知らないのに余計な事を言ってすまなかった」


 俺は心から御者に謝った。

 異世界から来た俺に、とても豊かで平和になった日本から来た俺に、厳しい現実の中で生きてきた、この世界の人間に何か言う資格などない。

 金髪クソ婆や騎士達になら文句が言えるが、御者には何も言えない。

 俺は死や暴力を恐れて、金髪クソ婆達に何も言えないのだから。


★★★★★★


「辺境伯家の進行を邪魔立てするな、下郎」


「キャアアアアア」


 先頭の方から野太い怒りの声と、女性の悲鳴が聞こえてきた。

 どう考えても前衛の騎士が領民を傷つけたとしか思えない。


「もうここは辺境伯家の領地ではないんだろう」


「ああ、そうだ、辺境伯城を出て五日、もう他領に入っている」


「他領の領民を傷つけてもいいのか」


 俺はこの五日間で仲良くなった御者のフリットに聞いてみた。


「他領の村に入って乱暴狼藉を働いたわけじゃない。

 街道を進んでいて、進行の邪魔になった平民を罰しただけだ。

 これが王家直轄領なら問題になるが、ここは確か男爵領だったはずだ。

 男爵家程度では、辺境伯家に文句は言えないよ」


 フリットの返事は哀しい事に予想通りだった。

 この世界、この国の身分制度はとても厳しい。

 意外と緩やかだった日本の江戸時代とは大違いだ。

 少々の粗相で、貴族がいとも簡単に平民を殺すのだ。

 そして平民から特権階級である士族貴族になるのもとても難しい。

 間違っても江戸時代のように、武士の身分を金で買えたりはしない。


 息を飲む思いでガタガタと進む馬車の中にいた。

 目を皿のようにして、道端の左右に遺体が転がっていないか探した。

 まさかとは思うが、遺体を馬車で轢いて進んでいないよな。

 恐ろしい想像を抑え込むだけで精神力を総動員しなければいけなかった。

 そんな俺の目に、右側の道端に倒れる女性の姿が入ってきた。


「動くな、大丈夫だ、死んじゃいない。

 ここでアレクサンダー様が出て行ったら、女は確実に殺されるぞ」


 この五日間で、俺の事情を全て話したフリットが厳しく止めてくれた。

 確かに、俺が出て行ったら余計な騒動が起こってしまうだろう。

 元凶は前衛の騎士の誰かだが、俺が出て行ったらさらに進行が遅れて、倒れている女性が馬車の進行を遅らせた犯人として、八つ当たりされる可能性はとても高い。

 金髪クソ婆達の我儘と怠惰で、進行が予定よりも遅れていると聞いた。


 金髪クソ婆達でも国王陛下を待たせる事はできないようだ。

 普段怠惰な生活を続けているせいで豪華絢爛な馬車の旅でもとても疲れるようだ。

 休憩が増えた事で、四日で辺境伯領を抜けるはずが、五日もかかっている。

 本当の責任は金髪クソ婆達にあっても、責任を取らされるのは騎士達だ。

 騎士達が苛立つのもしかたがないが、八つ当たりで何の罪もない女性を傷つける事は許し難い


「分かった、だがあの女性は助かるのだろうな」


「断言はできないが、多分大丈夫だ。

 厳しい辺境で生きる民は結束力がとても強い。

 互いに助け合って生きていく風習がある。

 さっき見た感じでは、直ぐに死ぬような傷ではなかった」


 今の俺には助けに行く度胸も腕もない。

 だが、いくら根性なしの俺でも、人が傷つけられるのを見逃しにはできない。

 今は無理でも、将来は助けられるようになりたい。

 五十を半ば過ぎた俺にだって、チンケでもプライドがあるのだ。

 祖母や父の名を穢すわけにはいかないのだ。


「フリット、この世界には魔術があるのだよな」


「ああ、だが魔術を使うには魔力が必要だ。

 魔力は遺伝するモノだから、普通は貴族しか魔術が使えない。

 名門士族には魔術持ちが生まれる事もあるが、そんな連中は大抵貴族家の養子に迎えられるから、基本魔術が使えるのは貴族だけだぞ」


「だったら大丈夫だ、フリット。

 以前話したように、俺は辺境伯家の人間だそうだからな」


 弟と組んだ伯母達に騙されて全てを失うまでは、東洋医学の世界で生きてきた。

 西洋医学もアーユルヴェーダも基礎は学んでいる。

 だったら魔力があると信じて、ラノベやアニメの知識を利用すればいい。

 大好きなラノベやアニメで色々と空想して愉しんでいた。

 自分が異世界に転移転生したらどうするかは十二分に仮想してある。


 まずは魔力を経絡経穴に流して増大させる。

 その魔力をアーユルヴェーダのチャクラと同一の場所にある経穴に貯める。

 チャクラの場所には魔力を貯める魔力器官があると信じればいい。

 信じる事で思いが現実になるというラノベやアニメがあった。

 それを信じてチャクラの魔力器官は魔法袋、亜空間だと信じるのだ。

 そうすれば無尽蔵に魔力を蓄えることができる。


 だがそれだけでは不足だ、十分じゃない。

 今の状態では、魔力の元になる食事を十分に食べることができない。

 だから周囲にある魔力を取り込めると信じるのだ。

 鼻から息を吸うときに、空気だけでなく魔素も取り込めると信じるのだ。

 鼻から吸い込んだ魔素を肺から血液の中に取り入れる。

 そして動脈と静脈を通して身体中に行き渡らせる。


 つまり呼吸器で取り込んだ魔素を、今度は循環器で身体中に巡らせて身体を強化し、更には消化器で身体に取り込み、食べなくても魔力を作り出せるようにする。

 魔力を経絡経穴とチャクラに巡回させる事で、体内で魔力を増幅させる。

 増幅させた魔力を亜空間化した魔力器官に蓄えて非常時に使えるようにする。

 試しに始めた事ではあるが、確実に魔力が身体中に行き渡っている。

 次にやるべき事は、蓄えた魔力を武器として使えるようになる事だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る