第22話
舞台の会場から、助演女優が出てきた。少し前に出てきた主演のアイドルは、出待ちのファンたちに手を振っていた。そのアイドルに釣られて、楽屋口周りからは人は消えていた。
車に乗り込む女優。レンタカーに乗ったハイルは、自動運転システムに、その車をつけるように指示した。
女優は飲食店に入った。ハイルは、二時間ほど車の中で待ち続けた。そのあと、女優の車はあるマンションへ向かった。ここが自宅か。さらに待ち続けるハイル。この辺りは治安がいいので、かえって自動通報機構が甘いのだ。ずっと路上駐車しても、通報されない。
二日後の昼頃、部屋着のような格好のエピークが出てきた。
ハイルは車から降り、エピークに駆け寄る。
「おい」
ハイルが声をかけてサングラスを外すと、エピークは目を丸くした。毛皮のジャケット姿のハイルに驚いたのだろう。
「記憶をくれないと、お前が記憶を売って、ある女優のプライベートを流出させたことをバラす」
「はあ?」
エピークは見下したように顔を歪める。
「どうしちゃったんだ? ハイル」
「約束しないと、今すぐマスコミ各社とSNSに送信する。もう文章は用意してあるんだよ」
ハイルは、新しい携帯端末を持ち上げてみせた。エピークは笑った。
「そんな昔の話を蒸し返してどうするんだ。その当時は違法じゃなかったんだよ」
「でも、明らかにプライバシー侵害だろ」
「法律が技術発展に追いつかなくて、ガバガバだったんだよ」
「あんたの道徳観念が欠落してることが知られたら、商売に支障が出るんじゃないか。客商売だろ」
「そんなのどうでもいいんだよ。客は社長の性格なんて気にしない。商品やサービスがよければいいんだ」
「あんたは、自分と付き合ってくれた人を踏み台にして得た金で起業した。ひとの人生めちゃくちゃにしたんだ。そんな汚らわしい企業でも、本当に誰も気にしないと思うのか?」
「気にする人がいたとしても、俺は余裕で生き残るよ」
「本当に送信するぞ」
「どうぞ」
エピークは、口の端に笑みを浮かべさえした。
ハイルは怒りに任せて携帯端末を地面にたたきつけ、ブーツで踏み潰した。
「記憶をくれるって約束しただろ!」
「静杯会からは抜けたんだろ?」
「お前が抜けさせたんだろ」
「記憶を大量にダウンロードしても、精神が壊れるだけでなんにもならないぞ。大手記憶カタログ会社社長の俺がこう言うんだ。信じろよ」
「約束しただろ!」
「悪かった、悪かった」
エピークはあきれたように両手を振る。
「静杯会から抜けさせることがきみたち家族のためになると思ったんだ。嘘をついたことは謝る」
あの女性社員も、おそらくエピークに騙されたのだろう。ハイルには、エピークが本音を言っていることがわかった。エピークは、ハイルたち家族を慮ったのだと。とんだお節介だ。
「ふざけるな。ちょっと偉そうにしても許されてるからって、わたしたち家族のことをコントロールすることまで許されるとでも思ってるのか? 思い上がるなよ」
「ハイル、記憶を買ったな。言葉遣いが全然違う」
「関係ない」
「節制するのはやめたみたいだな。でも、まだまだ足りないってことか」
「記憶をくれ」
「だめだ」
ハイルは、ジャケットの前を開け、ベストのポケットからナイフを取り出した。
「じゃあ、殺す」
「はあ!? 待て待て」
エピークは後退する。
「冗談が過ぎるよ」
「冗談じゃない。本当に殺す」
「監視カメラあるぞ。すぐに警察が来る」
「関係ない」
ハイルは、あえて見えるようにナイフを振り回した。
「殺しで逮捕されてもいい。劣悪記憶に汚染されて、わたしは人が変わったんだ。気にくわないやつは殺す」
「わかったから、ナイフを隠せ。記憶をやる。我が社の記憶を全部無料でやる」
「本当か?」
「いいから、早くナイフを仕舞え」
ハイルは言う通りにした。
エピークはハイルの肩を抱き、歩きだした。
「こうすれば自動通報が取り消されるかも。もうこんなことしないよな?」
「早く記憶を」
「当然、家族の分もって言うんだろうな」
「それは、自分が記憶を得てから決める」
「わかったから、ちょっと待ってくれ。準備が必要だ」
「どのくらいかかる?」
「えっと、数日中には」
造作もないこと、という言葉は本当だったのだ。それを確かめて、ハイルの心は、さらなる朦朧的怒りで満たされた。ただ、同時に希望にも満たされていた。記憶をもらって、本当に自分が幸せになれるかどうかを確認するのだ。あの人でなしの先生が言ったことが本当なのかどうか、確かめる。性格は最悪でも、教えは本当だということが、自分の心をもって証明されたら、家族の分の記憶もエピークに提供させよう。なにがなんでも、そうさせる。
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