第23話

 どうしてここに来たのだろう。路上の紙記憶屋は、姿を消していた。

 ないことがわかると、ハイルはゆっくりと立ち去った。以前、勤めていた店の前を通る。昼間でも灯っている看板には目をとめない。

 携帯端末が震えた。立ち止まり、パーカーのポケットから取り出す。母からの着信だった。母も、自分の携帯端末を買ったのだ。ハイルの家族は、「普通」の人たちとして新しく歩み始めている。

「お母さん」

 近頃、携帯端末で発信することはなくなっていて、応答するのみだ。「ハイル」と緊張と安堵が混じった声が聞こえた。

「今、どこにいるの?」

「街。散歩」

「帰ってきて。お父さんとお兄ちゃんは、前ほどは怒ってないから」

「いいけど」

 ハイルには、その母の言葉が本当であり、嘘でもあることがわかった。勝手に「悟り」に達したハイルを父と兄は受け入れられず、ハイルを家から追い出したが、怒っても仕方ないということもわかっている。これからも、家族として暮らしていくことはできるだろう。でも、以前と同じ関係には決して戻れない。

 どうでもいいことだった。以前がよくて今がいいとか、その逆だとか、これからどうするべきだとか、そんなことは一切考えなかった。ただ、あるがままにある。

 ハイルはリージの家に戻り、荷物をまとめた。リージは仕事に出ている。

「おねえさん」

 居間のソファに座り、読書をしているリージの姉に声をかける。

「わたし、家に帰ります」

「どうかしたの?」

 と、顔を上げたリージの姉。彼女は、もうハイルにとっては、憧れの対象ではなかった。

「母から、帰ってきてと言われたので」

「そう」

 彼女は、ただうなずく。ハイルは、家へ戻った。

 それから、リージから連絡が来て、一緒に暮らそうと言われたのでそうしたが、リージがなぜか不機嫌になったり怒ったりすることが多くなって関係が悪くなったので、再び実家に戻り、父に連れられて病院に通わされ、薬を飲んだり飲まなかったりといろいろあった。エピークとも、誰とも連絡を取らず、静杯会がどうなったのかも、なにも知らなかった。


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