第13話

 家には、ハイル一人だった。いつもは、一家四人には狭すぎると感じている集合住宅の一室。今夜は広すぎる。

 両親と兄は、拘留されてしまった。ハイルだけが、事情聴取だけで済んだ。シュンリとは連絡がつかない。映話機をネットにつなぎ、静杯会のコミュニティにアクセスすると、みんな、先生ともシュンリとも連絡がつかないと書き込んで騒いでいた。そして、静杯会のメンバーの一部が逮捕され、取り調べを受けた会員が多数いるということ。

 報道では、静杯会のメンバーが、記憶カタログ会社のデータバンクに不正アクセスしようとした疑いで逮捕された、とあった。

 記憶カタログ会社を味方につけなければいけない、という先生の言葉は嘘だったのか。先生が嘘をついたのか。

 でも、それも会員のみんなを幸福にしようとしたためだ。でも、絶対的に信頼していた先生は、自分たちを信頼していなかったということか。自分たち? もしかして、わたしだけを信頼していなかったのかもしれない。

 でも、が何回も頭の中で繰り返され、悲しみと自己説得が切り替わりながらぐるぐる回る。部屋の中は静かだ。パンをかじっても、心は満たされない。

 真夜中、ハイルは一人でいることに耐えられなくなり、家を出た。歩いて職場へ向かう。まだ勤務時間には半日ほどあるけれど、そこしか行く場所を思いつかなかった。

 遊びも息抜きもせず、ひたすら働いてきた。家族のため、いつかもたらされる幸福のため。友達もいない。だから、一人が嫌なら、職場に行くしかない。

 もし、家族も先生もいなくなってしまったら、どうすればいいのだろう。今の仕事を続ける? なんのために? でも、仕事を辞めたら、本当に一人になってしまう。

 一人になったら、死んだほうがいいかもしれない。自分が死んでも、誰も悲しまないとしたら、その誰かがいないうちに、死ぬのが世界に対して親切というものじゃないか。

 そんなことを考えていたら、もっと悲しくなってきたが、職場の看板にともる、綺麗なピンクの照明が見えてきた。嫌なこともたくさんある職場だけれど、それを見て、安堵している自分がいる。

 照明から目を落とし、ハイルは驚いた。一人ぽつんとピンクの光を浴びているのは、リージだった。店の前の路上に立ち、暗い目を虚空へ向けている。

「リージ」

 ハイルが駆け寄ると、リージは息をのみ、両手で優しくハイルの肩を捕まえた。

「ハイル。ニュースを見て、ここでハイルを待ってたんだ」

「わたしを待ってたの? まだ勤務時間じゃないのは知ってるでしょ?」

「いても立ってもいられなかったんだよ。心配で」

「そんなに?」

「そんなにだよ。静杯会って、ハイルが入っている団体だろ?」

「うん」

「大丈夫?」

 ハイルは首を横に振った。

「お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、捕まった」

「そんな」

「どうしたらいいかわからなくて、ここに来たの」

 リージは唇をかんでから、言った。

「結婚しよう」

「え?」

「愛してる。俺じゃだめかな?」

 ハイルは目をしばたたいた。

「リージ、わたしのことを好きでいてくれてるのは知ってたけど……そんなにだったの?」「そんなにだよ」

 リージは怒ったように言った。

「今は連絡先も住所も知らない関係だけど、そんなの嫌なんだ。ハイルにとって、俺が一番近い家族になれるんだったら、今の家族は捨てたっていい。俺、なんでもする。絶対幸せにするから、家族になろう」

 リージの目を見ていると、胸の奥が震える心地がした。なんだろう。こんな気持ちは初めてだ。

「わたし、ただの……ただの……なんにもない……」

「ただのハイル。それでいいんだよ。俺も、ただの俺だけど、だめかな?」

「だめじゃないよ」

「本当に? 結婚してくれる?」

「うん、わかった」

 ハイルの体は勝手に答え、リージに抱きついた。

「ありがとう、ハイル!」

 リージは強く抱きしめ返した。ハイルの顔には、制御不能な笑みがあふれた。


 

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