第12話
シュンリから概要の説明を受けたあと、その場にいた人々は、一人ずつ、別室に移動した先生に呼ばれ、個別に説明を受けた。
ハイルの役目は、記憶カタログ会社数社と取りつけた会談が長引いた際、始業時間を理由に会談を打ち切られないように、社員を会社の中に入れないようにするというものだった。
飲み込むのに時間がかかってしまったが、こういうことだ。会談は、午前十時の始業時間前に、オンラインで行われる。その短い時間では、話がまとまらない可能性もある。その場合は、始業時間を遅らせる必要があるのだ。
ハイルが担当するのは、エピークの会社だった。全社員約千名のうち、エピークの会社の出社社員は、三名しかいない。その三名のうち、日によっては一人が出社したり、二人が出社したりする。その誰かがPCの電源を押すと始業となり、会談に参加する予定となっている責任者を含めた全社員に連絡が行くようになっている。在宅勤務者の長時間労働を防止するためのシステムだという。会談が長引きそうな場合は、シュンリから、会社前に待機しているハイルに連絡が行き、ハイルは、なんらかの口実をつけ、会社に入ろうとする社員を引きとめるのだ。
ハイルは、なぜそんな時間に会談をするのかとは考えなかった。ただ、自分に役割が与えられたことは嬉しかったものの、上手くできるのかと不安に襲われていた。
ほかの役割を与えられたらしい家族は、きっと大丈夫だと励ましてくれた。それに、初めて知り合った男性だけれど、同じ現場担当の人もいる。しかし、主な行動はハイルの役目で、男性はそのサポートという位置づけだった。
そわそわしているうちに、すぐに当日になってしまった。ハイルは一人で指定の場所へ赴き、会員の男性と合流した。彼は、兄よりもいくつか年上に見える、頼もしそうな外見をした人だった。オフィス街は閑散としている。指示により、男性とは少し離れたベンチに座り、待機する。
普段、こんな街に来ることはないけれど、本当に静かだ。目立ってしまってはいないか、心配になる。それとも、目立ってしまっても別にいいのだろうか。
張りつめた空気の中で溺れかけていると、この日のために支給された携帯端末がピロンと鳴った。
シュンリからの空メール。行動せよの合図だ。
ハイルはキョロキョロと辺りを見回す。それらしき人はまだ姿を見せない。
と思えば、Tシャツにジーンズ姿の男性が早足に近づいてくるところだった。ハイルは素早く、携帯端末で、事前に送られてきた数枚の画像を確認した。
エピークの会社の出社社員の画像だ。SNSに載っていそうなスナップ写真や、隠し撮りされたような拡大された画像。近づいてくる男性と見比べる。よくわからない。よくわからないけど、多分この人だ。
ハイルは立ち上がり、男性に近づいた。
「た、助けてください」
緊張で震えてしまう。
「え?」
男性は目を丸くしてハイルを見つめる。ハイルは腹を押さえる。
「お腹が痛いんです。病院に連れて行ってもらえませんか?」
「ええ? 救急車呼びますか?」
「お願いします。病院へ連れて行ってください」
「え、でも」
「お願いします」
「救急車――」
「救急車じゃなくて、あなたに送ってほしいんです。救急車にはトラウマがあって、乗りたくないんです」
「困ったな」
「おい、そいつじゃない」
振り向くと、会員の男性が慌てた様子をしていた。
「こいつだよ」
指を差した先で会社へ入ろうとしているのは、別の男性だった。
「え、嘘」
パニックに陥るハイル。会員の男性も同じだったらしい。
会員男性は、会社に入ろうとしている男性に背後から駆け寄り、殴り倒した。そのまま馬乗りになり、顔面を殴りつける。
「やば」
ハイルが話しかけた男性がつぶやき、携帯端末を操作し始める。
ハイルは、会員男性の名前を叫んだ。
会員男性は、「うおー」と咆哮しながら、こちらへ突進してきた。悲鳴を上げる男性の携帯端末を弾き飛ばし、こちらも顔面を殴りつける。
ハイルも悲鳴を上げ、エピークの会社が入っているビルの中へ逃げ込んだ。閉まったガラスドア越しに、二人目の犠牲者を何度も殴る男性が見えた。一人目の男性は、倒れたまま動かない。
犠牲者が動かなくなると、男はこちらへ向かってきた。ハイルは、「緊急ロック!」と何度も叫んだ。「ロックされました」という機械音声。よかった。
男はガラス戸を叩く。その顔は冷静で、口を動かしてなにかを言っている。しかし、なにも聞こえない。
ハイルはロビーの奥へ逃げ込んだ。会員の中に、こんなに暴力的な人がいるとは思ってもみなかった。なんて人と組まされてしまったのだろう。
男性の通報は阻止されたようだが、きっと、監視カメラの映像から、自動通報されるはずだ。もうすぐ警察が駆けつけるはず。それまで、このビルの中に隠れていよう。
自動の受付機械は、うんともすんともいわない。まだ誰も出社していないからだろう。社員用のゲートはもちろん通れないし、白くて殺風景なロビーにいるしかない。ガラス越しに、恐る恐る外をうかがう。男の姿は見えない。どこかへ行ったのだろうか。
その時、携帯端末の存在を思い出した。使い慣れていないから忘れていた。これでシュンリに連絡を取ってみよう。
ハイルはシュンリに電話をかけ、事情を説明した。シュンリは相槌を打つ声に一瞬だけ驚きをにじませたが、数秒の沈黙のあと、滑らかな口調で続けた。
「かえって好都合です。そのままそこにいて、誰も中に入れないでください。そして、警察には、静杯会の名前は出さないでください。たまたまそこにいたと言うんです」
「はい、わかりました」
「警察はすぐに来そうですか?」
「えっと、わかりません。まだ来ないみたいです」
「社員は中に入れないでくださいね。こちらは、あと十分ほどで終わります」
通話を切ってからわずか数分後、ガラス戸を叩く音がした。
見ると、外には、緑色のジャージ姿の男性がいた。倒れている二人の男性も見える。
彼はハイルに目をとめると、表でなんらかの操作をしたらしい。スピーカーで、男性の声が中に響いた。
「なにしてるんですか!? 開けてください」
携帯端末で、ハイルに社員証を見せてくる。彼の顔には見覚えがあった。出社社員の一人だ。今日は、二人が出社する日だったということか。なんという不運。
「聞こえますか?」
ハイルが言うと、彼は激しくうなずく。
「聞こえます。誰ですか?」
「と、通りすがりの者です。外に危険人物がいるので、逃げ込ませてもらいました」
「開けてください。ロック解除って言えば開きます」
「だめです。えっと、まだその辺に危険人物がいるかもしれないので。あなたは早く逃げてください」
「なに言ってるんですか」
「そこにある死体?ですか?が見えないんですか? 危ないですから、早く逃げて」
「僕も入れてくださいよ。僕の権限では、外から緊急ロックは解除できません」
「だめです」
あと六、七分は、社員を入れてはいけない。なんとしても。
「危険人物なんていませんよ。いたとしても、僕を入れて、すぐにまたロックすればいいだけじゃないですか」
「だめです。こわいんです。早く逃げてください」
「周りには誰もいませんって」
「そこに倒れてる人が二人もいるじゃないですか!」
「そんなのは関係ないんだよ!」
男性は急に声を荒げた。
「もう始業時間の五分前なんだ! さっさと中へ入れろ!」
「や、やめてください!」
ハイルも対抗して声を張る。
「そんな態度だと、絶対に中へ入れません」
「ふざけるな! ただの通りすがりの女のわがままでなんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ!」
「ちょっと待ってくださいよ。もうすぐ警察が来ますから」
ハイルは携帯端末をチラ見する。まだあと六分もある。
「そんな身なりじゃ、どうせ職に就いてないんだろ。会社の決まりがどんなに大事か知らないんだろ!」
「職には就いてます」
「どうせ娼婦かなにかだろ」
「そうですよ。娼婦のなにが悪いの?」
口論していれば、六分なんてあっという間だ。怒ったフリをするんだ。
「失礼な男ね! 馬鹿にしないでよ!」
「偉そうな口きくな、売女が!」
よく見れば、男の目は異様に血走っている。
「売女で結構! あなたみたいなのをなんて言うんだっけ、そう、確か、しゃ、社畜よ。この社畜!」
男が「うわあああ」と空気が抜けたような声を出して泣きだしたので、ハイルは心底戸惑ってしまった。
「ど、どうしたんですか?」
「社長にどやされる! 中へ入れてくれええ」
その時、「ハイル」と背後から声をかけられ、ハイルは飛び上がった。
「うわあ、フレジャイル!」
ぽつんとロビーに立っているのは、いつも通りのフレジャイルだ。
「どこから入ったの?」
「裏口から」
「うわ、あの男が入ってきたらどうしよう」
「大丈夫。二人を殴った男はどこかへ行ったから」
「本当? というか、どうしてフレジャイルがここにいるの?」
「ハイルを追いかけてたの」
フレジャイルは、宝石のような目でハイルを見上げる。
「ハイル、静杯会がなにをしてるか、知らないんでしょ?」
「え? 知ってるよ、もちろん」
「今、先生はなにをしてるの?」
「記憶カタログ会社の人たちと会談してるんだよ」
言ってしまってから、これをフレジャイルに言ってもよかったのかと心配になったが、きっと大丈夫だろう。フレジャイルはいい子だから。
「それは嘘だよ」
フレジャイルは、はっきりと言った。
「先生と、ほかの会員たちは、記憶カタログ会社のデータバンクをクラッキングして、記憶を盗み出そうとしてる。ハイルは、その作業が終わるまで、社員を中に入れないようにする役目。記憶は究極の個人情報だから、セキュリティは強固で、出勤した社員にはすぐにバレるから」
「なに言ってるの?」
フレジャイルが突然別人になってしまったように思えた。
「あの人を入れてあげて。あの人はただの社畜。長時間労働をさせないとか言って、実際は抜け道を使って長時間労働をさせられておかしくなりかけてるけど、暴力をふるったりはしないから」
泣き続けている男は、裏口の存在を知らないか、忘れているらしい。
「どうしてわかるの?」
「調べたの。あのね、静杯会は犯罪組織じゃないのに、追い詰められて、慣れない犯罪行為に手を染めてしまった。きっと上手くいかないし、すぐに捕まる。あなたは、犯罪の片棒を担がされるとは知らず、ただ指示に従っただけだってことはわかってる。全部警察に話せば、捕まることはないはずだよ」
「フレジャイル……もしかして、警察官なの?」
「違う」
フレジャイルは首を振った。しかし、フレジャイルがただのアンドロイドではなく、人間が遠隔操作しているアバターだったとしたら、嘘をつくこともできる。見分ける方法もあるのかもしれないが、ハイルには、アンドロイドとアバターの区別はつかない。
「ハイル、あなたの家族は逮捕されるかもしれない。裁判の時に有利になるためにも、あなただけでも正直に話さなきゃ」
「なにを言ってるのかわからない」
ハイルの目には、涙がにじみそうになってしまった。
「フレジャイルが何者なのかもわからないのに、はいそうですかって、納得できるわけないよ」
「わたしは細基レイ。わたしのこと、知ってる?」
フレジャイルは言った。
「わたしはアバターなの。細基レイのアバター」
「……首相なの?」
「そう」
「へえ、そうなんだ」
特に驚かなかった。ハイルには、意味が感じられなかった。
「記憶売買規制法案に反対している静杯会の実態をこの目で見たくて、身元を明かさずに近づいたの。ごめんなさい。ハイル、あの人を中に入れて、データにアクセスさせてあげて。そうすれば、静杯会がなにをしているのか、あなたにもわかるはずだよ」
ハイルは携帯端末に表示されている時刻を見る。あと四分。ハイルは疑問をぶつけた。
「裏口から入ったなら、あの人に裏口があることをフレジャイルが教えることもできたんじゃない? 今も、あなたがロック解除って言えばいいのに」
「あなたに、自分で判断してほしいの」
あと三分。
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