第9話 (9) 夫婦喧嘩かな?仲がいい証拠かな?


(9) 夫婦喧嘩かな?仲がいい証拠かな?


うんちドリルは順調に進んでいった。

3年生用の夏休みドリルはほぼ3週間で終わった。

最初の頃は書けない所や、間違いが半分以上あったが、後半に行くに従い正解率が上がってきた。

「菜月ちゃん、よく頑張ったね。ハイ、約束のお小遣い。」そう言って、1万円を渡した。

「うん、頑張った。だんだん分かってきた。面白くなった。へへ。」

「来週から総復習へ行くけど良いか?」

「うん、やる。」菜月が笑っている。良い顔してる。公園で出会った時と比べ、別人みたいだ。


ある日、健太郎が帰宅すると、玄関に茶色のパンプスが揃えて置いてあった。

「あ、亜紀か?……来たのか?」

廊下を速足で進み、リビングを見渡す、居ない。横のキッチンを見る。菜月と亜紀が並んで立ってる。今夜のおかずの準備か?

「お帰りなさい。」「お帰りなさい、お邪魔してます。」

「亜紀、どうした?」

「どうしたって、打合せでこっち来たから、寄ってみたの。泊めて貰おうかなぁ~って思って。」

「連絡くらい、くれりゃ良かったのに、、、」

「ごめ~ん。ちょっと賭けに出たくて、、、」左手を顔の前に立てながら、薄笑いの亜紀。

「賭け?、、、何の?」

「健太郎に新しい女が出来てたら、こっちに戻らない。出来ていなかったらこっちに戻る。但し、健太郎の許しがでなけりゃ新しい部屋を借りる。」

「はあ~、何だと~、、、まあ、なんと身勝手な、、、、」健太郎、切れ気味の呆れ気味。

「でも、驚いた。この子が要るんだもん。一瞬、こっちへ戻れないと思ったもん。」

「オレも驚いた。インターホン、初めて鳴ったから。あちこち押して、切れて、また鳴らしてくれて、いきなり開けるボタン押しちゃって。」

「そいで、上がらせてもらって、聞いたら同居人だって~?」

「オレ、直ぐに判った、巨乳で。元カノだって。」菜月、亜紀の胸を見ながら。

「あははははっ、健太郎から聞いていたか。」亜紀、菜月の肩を叩き、笑う。

「秋田は?お父さんは、どうした?」

「施設へ入った。お前は要らないって。自分で申し込んで、お金払って、後は年金で死ぬまで居るって。勝手な父親!」

「そっくりじゃん。親子じゃん。自分で決めて突き進むその清々しい程の姿勢。」

「ハハハ、お褒め頂き、誠に有難う御座います。」

「褒めてねぇ~し、責めてるし、何だよ、許しって、、、即決出来る問題じゃねえだろ~。」

「まあまあ、そう怒んないでよ。今日のところは泊めてよ。」

「良いけど、寝るとこねえぞ。今、菜月が部屋、使ってっから。ソファーなら貸してやる。」

「うん、菜月ちゃんと寝るから。菜月ちゃん、一緒に良い?」

「うん、良いよ。」菜月、あっさりOK.

「はいはい、お好きにどうぞ、、、」健太郎、ソファーにもたれ掛かり、天井を見上げる。

「もうすぐ、ご飯できるから。食べよっ。」


【困った、、、菜月の事、最後までちゃんとしてやりたいし、亜紀が戻って来てくれそうだし、ここじゃ両方と暮らせねえし。

 ……いや、亜紀は俺を一度捨てたんだ。戻ってくるから待ってての言葉も無く、、、遠距離でも良かったのに、、、

 だんだん菜月の事、気になって来たし、、、いやいや、菜月には手は出せない。うん。出せない。どうしよう、、、】


その夜、菜月と亜紀、一つの布団の中。

小学校、中学校とほとんど学校へ行けなかった事、それから菜月のしてきた事を聞いた。

3か月前にされた酷い事、身体を売る事はもうしないと考えたが、他にお金を稼ぐ事が出来ない事。

健太郎に優しくされ、嬉しかった事。一晩だけネカフェに泊まったけど、すぐに健太郎を訪ねた事。

掃除や洗濯、食事の支度と教えてくれた事を、本当に嬉しそうに話した菜月。

「ねえ、菜月ちゃん。健太郎の事、どう思ってる?」

「おじさんの事?、、、うん、好きだよ。色々教えてくれるし、優しいし、まあまあいい男だし。」

「うん、良かったね。遠慮しないで良いからね。私、一度、健太郎の事、捨てちゃったから、、、」

「遠慮って?」

「ううん、何でもない、、、ところでさぁ、その腕の傷、聞いても良い?」

「ん、……これ?、、、、これねぇ、、、中学になった頃、、、っても学校へ行った事なかったけどね、、、

 パパとママが喧嘩してて、オレの事で、、、怖くって、、、部屋で一人でいて、、、オレなんかいない方が良いんだ、居ちゃダメなんだって思っちゃって、、、

 お道具箱にカッターナイフがあって、左腕に滑らせたら、赤い血がス~って流れて、見てたらなんか落ち着いちゃって、、、

 それから、パパが帰って来る度に喧嘩になるから、怖いのが嫌で、、、何度かしたの。」

「う、、グスっ、、、菜っちゃん。辛かったね、、、悲しかったね、、、でも、もう大丈夫だから、、、お姉さんがいるから、心配ないから。」

亜紀、菜月をぐっと抱きしめる。大きな胸の中に菜月の顔が埋まる。

「あ~、、いい匂い、、、初めての匂い、、、嬉しい、、、」菜月の落ち着いた声。

「この胸、いつでも貸してあげるからね、、、安心して、、、おやすみなさい。」「うん、おやすみなさい」


「おはよ~!。今、コーヒー入れるから待ってて。」部屋から出てきた健太郎を迎え、朝から元気な亜紀の声が響く。

「おはよう。」寝ぐせ頭の菜月も起きてきた。

”チンっ” パンの焼きあがる音。

目玉焼き、ベーコン、レタス。トーストとコーヒー。3人で頂く。

「あのさあ~、健太郎。新しい部屋、探しといて、この近くで。」亜紀が唐突に話し始めた。

「秋田、引き払ってこっちに戻るけど、ここには住めないから、新しいとこ探して。菜月ちゃんに色々教えたい事あるからさ、近い方が良いの。」

「はあ~、またお前、勝手に決めやがって、、、そりゃ探すけどさ、、、菜月に教えるって何を?」健太郎、怒り気味。

「寝るとき、色々話したんだけどね、女の子としての色々。おしゃれとかお化粧とか、将来の事とか。健太郎じゃ無理でしょ!」亜紀も受けて立つ。

「ああ、そうだな、、、俺じゃ無理だ、、、そこは頼むわ、、、というか、俺、健太郎さんの事は?どうすんの?」

「うん、そこはおいおいに、、、」

「おいおいなのか?俺はっ!」

「そういう事にしたの!そうしといて!」

「……ふんっ、分かったよ。」

菜月、仲の良い夫婦喧嘩の様な亜紀と健太郎のやり取りを見ながら、不思議な気持ちになっていた。

菜月の両親は、言い合いになって、直ぐに喧嘩になる。激高し合う。手が出る。物が飛ぶ。解決案が出ない。

何がどう違うのだろう?健太郎さんと亜紀さん、それとパパとママ。


亜紀の新居がすぐに見つかった。

最寄りの駅は同じ、代々木上原。健太郎のマンションと駅を挟んで反対側に、12畳の1DKロフト付きの築25年のマンション。

12畳は細長く、真ん中で壁に収納された引き戸で区切る事が出来る。

一月もしない内に、秋田から亜紀の引っ越し荷物が届いた。立ち合いは健太郎と菜月。本人はWEB編集者と打ち合わせ。


亜紀はほぼ、毎日の様に健太郎のマンションへ”出勤”する。

菜月が掃除する間は、菜月の部屋でノートパソコンを叩く。リモート会議は携帯で行う。

菜月がうんちドリルをし始めると、隣でパソコンと格闘しながら、菜月の質問を受け、採点をして、褒める。

お昼ご飯は二人で食べ、午後からは買い物をしたり、お菓子造りの材料を買い、二人でつくる。

ホットケーキミックス粉を使った、パンケーキやスフレ、スコーン、マドレーヌなどなど。

夕食の支度は出来るだけ、菜月に任せた。手を出さない様にした。締め切りがあるからと言って、パソコンに集中するフリをしながら、菜月を見守った。

亜紀がクライアント先や出版社へ出掛ける時などは、菜月を連れ出した。、

目的は、街を歩く人を観察する事。

今の若い人たちのファッションや化粧、流行を肌で感じる事。その中で自分がそれらに興味が有るか無いか、好き嫌いを区分けする事。

そうする事で、自分のなりたい姿を想像し、それに近づくには何をすれば良いかを考えて欲しいからと亜紀は考えた。

世の中の多くの女性は、高校と大学で、興味の有無、好き嫌いを試行錯誤し実践し、社会人になって軌道修正しながら自己を確立していると亜紀は力説する。

菜月はそれを聞きながら、「ごめんなさい、まだ追いついていません。」と言うばかり。

「そうね、ゆっくりと行こうか。」亜紀は当初の勢いを反省し、菜月のペースに合わせる事にした。


亜紀が菜月と話した夜。

【今、私が健太郎と一緒になれば、菜月から健太郎を奪う事になる。菜月は傷つく。その傷は途方もないものになるかも知れない】

【でも、このまま菜月が独り立ちしたら、、、色んなことが一人で出来る様になれば、健太郎を奪い合う存在に、、、必ずなる。】

【結論は、菜月には一人前になって貰う。どちらかを選ぶのは健太郎にすべて任せる。恨みっこ無しで。】

そう亜紀は決めた。だから「うん、そこはおいおいに、、、」と言うしか無かった。


夕食はもちろん、健太郎と菜月、亜紀の3人で頂く。

菜月の夕食のおかずレパートリーは多くなり、広がった。

前からの「野菜やお肉のこれさえあればシリーズ」に加え、亜紀から教わる、トンカツや唐揚げ、てんぷらなどの揚げ物。

ビーフ、ポーク、チキンのステーキのハーブソテーなどや、付け合わせ用のポテトサラダ、酢の物など。

亜紀が来ない日もある。原稿書きが間に合わない時や、クライアントとの打ち合わせ後の食事や飲み会。

事前に判れば菜月に言っておくが、急な場合はタブレットへメールを送る。

「菜月にも携帯、必要よねぇ~」ある夕食時の亜紀の発言。

「そうだな、、、うん、考える。」と健太郎。


「今日は、会社で飲み会がある。帰りは遅くなるから、ご飯食べて寝ててくれ。」朝、健太郎から菜月へ。

「これからねぇ~、打ち合わせで出かけるから、夕食一緒に出来ないから、ゴメンね!」お昼、亜紀から菜月へ。

【今夜は一人かぁ~、、、最近、おじさんか亜紀さんのどっちか居たから良かったんだけどなぁ~、、、寂しいなぁ~。】

【こんな時、友達とか居たらなぁ~、、、携帯とかでメールとかラインとかするんだろうなぁ~、、、】

菜月の心の中に、友達を作りたい、遊びにも行きたい。の思いが芽生え始めていた。

亜紀が連れ出してくれる時に、周りを見ると、楽しそうな人たちや夫婦やカップルの穏やかな顔が印象に残る。

【オレも、働きに行きたいな、、、学校、高校にも行きたいな、、、出来るかな、、、許してくれるかな、、、】

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