7日目 Ⅲ

  「まゆの最期のわがままだもん、聞いてあげる。


 だから代わりに、



 「…………え?」



 「大丈夫、死神もちゃんと死ねるんだよ。私達、元は自殺した子どもの魂らしいんだけど、身体はちゃんとあるから、死んだらもとの自殺した子どもの魂に戻れるんだって。まあ、要するにそれって普通に死ぬってことだよね。だから、大丈夫、一緒に死ねるよ?」



 「…………ゆな?」



 「私もね、この一週間、楽しかったよ? だって、ずっとずっと、虚しいだけだった死神の仕事が、初めて報われた気がしたんだもん」



 「私のことは誰にも見えない、誰にも聞こえない。見止めてくれるのは、もう少しで死んじゃう人だけ」



 「どれだけ積み上げても、どれだけ言葉を交わしても何にもならない、一週間経ったらみんな死んじゃうんだ。その癖みんな、可哀そうな、辛そうな顔ばかりして、楽しいことなんてなんにもなくて、やるせなさだけ抱えてる。そんなのを、ずっと見てきた」


 「ずっとずっと見てきたの。でも、まゆは違ったよね」



 「私と一緒に笑ってくれた、私と一緒に旅してくれた。私のしたいことなんて、気にしなくていいって言ってるのに、気にしちゃって。私のことなんて、無視していいのに一緒に喋って、笑って、写真撮って。そんなことを一杯してくれたよね」



 「その上、私のことなんて、好きになっちゃってさ。私が落ち込んでたら、かまっちゃって。お別れの時、辛いって言ってるのに無理矢理距離を縮めてきてさ、慰めてさ。こちらとら、うら若い年ごろの女の子だぞーう。そんなの好きになるに決まってるじゃん」



 「ずっと独りだった私を大事にしてくれた」



 「ずっと独りだった私のやりたいことを聴いてくれた」



 「一週間でわかったのは、それだけだけど。私はそれが一番、欲しかったんだよ」



 「まゆが、私の一番欲しかったものをくれたんだよ」



 「そんなの好きになるに決まってるじゃん」



 「ずっと独りだって想ってたのは、まゆだけじゃないんだから」



 「自分が何者で、何のために、こんなことしてるのかもわかんなくて」



 「見えるのは虚しくて辛そうな顔ばっかり、ちょっとくらい笑えばいいのに誰一人だって笑いもしない」



 「周りのみんなに声の一つも届かない。気づかれないで遠慮なく肩がぶつかるとね、ああ、私はここには本当はいないんだって。いちいち思い知らされるんだよ」



 「死神ってさ、控えめに言って地獄みたいな仕事だった。何しても意味もなくて、ずっと無視されて。もしかしたら、何かの罰なのかもって想ったくらい」



 「ずっとずっと辛くて。ずっとずっと寂しかったんだよ」



 「だけどまゆは笑ってくれた。だけどまゆは求めてくれた」



 「……私ね、ちょっとだけ想いだしたんだけど。多分、死ぬ前は、虐待、されてたんだ」



 「女の人、多分、お母さん、かな。その人に、きっと私は一杯期待されてた。だからだろうね、一杯一杯、上手くいかなくて、一杯一杯、傷つけられたんだ。そんな記憶だけがなんとなく残ってるの」



 「きっとね、生きてた頃の私は、ずっとその人に望まれるように生きてきたの。その人に求められるように生きてきたの」



 「でもね、人の期待って応えれば応えようとするほど、不思議でさ。なんでか段々、辛くなるんだよ」



 「多分、歯車が噛み合わなかったんだね。望まれた自分と、実際の自分が掛け違って、食い違って。しまいに自分が何をしたいかもわかんなくなって」



 「お母さんから言われたこと、一言だけ覚えてるんだ。『どうして、私は、あんたなんかを産んじゃったの』って」



 「どんな流れで言ったのかはわからないけど。酷くない? あんま覚えてないけど、私、ちゃんと言うこと聞こうとしてるんだよ?」



 「いくら私が望んだ形にならなかったからって、そんなこと言われたら傷ついちゃうよね」



 「自分がなんで生まれたのかすら、最期には、わかんなくなっちゃうよね」



 「きっとね、お父さんがいたんだと想う。でも多分、途中でいなくなったんだよ。離婚したか、死んだかはわからないけど」



 「だから、そのお母さんもきっと色々あったんだろうね。別れの苦しみとか、女手一つで子どもを立派にしなきゃみたいなプレッシャーとか。でもね、それでも、そんなこと言われたら子どもからしたら、もうどうしようもないんだよね」



 「ずっと、ずっと暗い顔を見せつけられて。愚痴と苦しさばかりを積み重ねて。多分、可哀そうな人だったんだろうな。もっと笑えばいいのにって想ってた。……だから私は死神になっても、最期の一週間は笑って過ごそうとか想ったのかな。どうせ辛いんなら、楽しいことしようって……多分、そんなことばかり考えてたんだ」



 「ま、いいや。とりあえず、そんな人の下で育ったら、自分で自分がもうわかんなくなっちゃうじゃん」



 「なんでここにいるんだろって、私がそもそも居なかったら全部上手くいったのかな。な私が生まれてこなきゃとかよかったのかなとかさ、考えちゃうじゃん」



 「多分、だから死んだんだよね。私。上手く想いだせないけれど、最期はきっとどこかから飛び降りたんだと想う。だって今の状況、ちょっとだけ覚えがあるもん」



 「でもね。正直ちょっと、他人事。上手く想いだせないのもあるけど、まゆといて考え方が変わったからかな」



 「まゆがね、ゆあに言ったじゃん。生きていいんだって。生まれてきてよかったんだよって」



 「あれ聞いたときに想ったんだ。ああ、そっかって」



 「



 「このことをずっと誰かに言って欲しかったんだなって」



 「それを言ってくれる誰かの隣に、ずっと居たかったんだなって」



 「今更、気付いちゃった」



 「私もね本当に、本当に楽しい一週間だったよ。まゆだけじゃないんだよ」



 「だから、ふふ。まゆは、私がいないと耐えられなんていったけど」



 「さてさて、ここで問題です。じゃあ、逆はどうなんだろうね?」



 「その後の私はどうなるんだろって考えなかった? お馬鹿さん」



 「私が本当に死神の義理だけで、こんなことしてると想ったの?」



 「まゆが誰かの大事になるのが最期のわがままなら、おめでとう、叶ったよ」



 「本当に私の大事になったよ。掛け替えもないくらい、命だって惜しくないくらい」



 「まゆはね、ずっとずっと欲しかったものを私にくれたの。それは、もう誰にだって変えられないの。まゆにだって変えられないの」



 「ありがとう、ありがとう」



 「わたしのまゆ。わたしのクライアント」



 「だからね、いいよ、一緒に死のう?」



 「私もここで終わりでいい、私もここで終わりがいい」





 「私の人生は、きっとまゆと出会うためにあったんだから」








 ※






 伝えられた言葉が上手く飲み込めない。



 お互い、ぼろぼろと涙は零れるのに、それにどんな心が含まれているのかは、どこの誰も教えてくれない。



 ゆなは濡れた頬のまま、優しく笑うと、私の手をそっと自分の胸に押し当てた。




 それから、優しく告げてきた。




 「堕として?」




 私達が座っているのは、崖の際、少し力を籠めれば、身体は傾いて海の底まで堕ちていく。





 「ねえ、まゆ」





 ゆなの手がゆっくりと私の腕を引っぱてくる、そのまま自分で堕ちるみたいに。





 「先にいっちゃうよ?」





 ゆなに手をゆっくり引かれて。

























 …………あれ?





 「あはは、どーしたの?」





 ゆなは優しく笑ってた。





 「そんなことしたら、堕ちれないよ?」





 気づいたら抱きしめてた。





 「あ、抱き合いながら一緒に堕ちる? いいよ、タイミングはまゆが決めて」





 違う。





 「ね、まだー?」





 違う、違う、違う。





 「ね、まゆ」





 「違うの」






 「違わないよ、何も」





 「違う、違うの!!」





 ゆなは優しく、笑ってた。





 「ゆなに死んでほしかったんじゃないの! ちょっと覚えてくれてるだけでよかったの!! ゆなには生きてて欲しいの!! 笑ってて欲しいの!!」





 抱き合ったゆなは、微笑みながら私の首元にそっと頭を預けてきた。そのままびりっと音がした。首元に貼っていたガーゼが、ゆなの口で無理矢理剥がされた音だった。





 「私なんかがいなくても、幸せになってほしくて――――――」





 「まゆは難しいこと言うなあ」





 ゆなは、そう言って、私の首元に、ゆな自身がつけた傷跡に





 治りかけの傷跡に、さらに刻み付けるみたいに、前よりもっと深くに刻み込むみたいに、深く、深く噛みついてくる。ゆなの歯の感触が、舌の熱さが、皮膚が引き千切れる感覚が息を乱してくる。何かを言葉にしようとしたのに全部、喘ぎ声に無理矢理変えられる。





 イタイ————、イタイ———。





 抱き合ったまま体重を掛けられて、私達は二人して、崖とは反対側に寝転がった。




 

 首筋を何度か舐られた後、ゆなは私を押し倒すみたいな体勢になって、暗闇の中から私を見下ろす。





 「ねえ、まゆ――――」





 表情が上手く見えない。怒っているようにも、悲しんでいるようにも、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。






 「—————なれないよ」






 それから、そう言って私の胸にぽすんと頭を預けてきた。






 なんだか、怒りに怒った子どもが、疲れて泣きだしてしまったような、そんな震えた声だった。






 「まゆがいないと、幸せになんか、なれないよ」






 小さく、か細い、声だった。わがままをいう子どもみたいな声だった。






 「置いてかないでよ」






 涙をすする音がする。






 「独りにしないでよ」






 ああ。






 「死なないで」






 ―――ダメだ、これは。






 私なんかじゃ到底、勝てそうにもない。




 今、起き上がれば、ゆなごと崖から落ちてしまう。




 それに、ゆなは日付が変わるまで、私の上から退いてはくれないだろう。




 そして、私はこの子が死ぬことは許せないから。




 ゆなの命を天秤に乗せられた時点で、もう勝負は決まってて。




 まあ、そもそも。私が何かをするときに振るうわがままは、大半がこの子から受け継いだものだから。




 勝てるわけないのだ、そもそもとして。




 ため息をつきながら、私は胸元にあるゆなの頭をぽんぽんと優しく撫でた。




 もしかすると、私はずっとずっとこの子にとっての自分の重さを測り間違えていたのかな。




 だって、今まで私の心って、私にとって馬鹿みたいに軽かったんだよ。失くしたって仕方がない、ボールペンみたいなものだったのに。




 そんなものと誰かの命が釣り合うなんて、考えたことすらなかったのに。




 涙でぐしゃぐしゃに顔を歪ませる、あなたを見た。




 さっき死なないでと言われた時でさえ、私は心のどこかで高を括っていたんだ。




 私の命程度のものだから、君はそんなに傷つかないって。




 きっと君はいつか、私を置いて幸せになれるって。




 そう想っていたのになあ。




 ゆなは小さな手で必死に私を抱きしめてた。




 もしかしたら。




 夢みたいな話だけど、もしかしたら。




 私の命はこの子にとって、そんなに軽くなかったのかもしれない。





 「わかったよ、降参」




 「……え?」




 「死なないって言うか、もう死ねないから。退いてくれる?」




 「…………急に崖から飛び降りたら、すぐ後追いするからね」




 「しないって。ていうかそんなのできないから」




 ゆなは涙目のまま私をじっと睨んで私の身体に組み付いたまま器用に私の後ろに回ってくる。




 「あっちのベンチまで行くから、そこまでで勝手に離れたりしたら――――」




 「離れないって!!」




 ああ、本当にこれでよかったのかなあ。




 ゆなに引きずられながら、ため息をついた。なんでか安堵の色がそこにはちょっとだけ混じってた。




 そんな気がした。






 ※

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