7日目 Ⅱ
隣を見ると、暗闇の中、不貞腐れた顔のゆながいた。
思わず笑顔が綻んでしまう。
「何やってんの、まゆさん」
「んー? 夜の散歩」
「こんなとこまで?」
「うん、風が気持ちよさそうだったから」
ごうっと風が吹いた。後ろから押すような風が海に向かって吹いていく。まるで私の背中を海に向かって押すみたいな風だった。
「カメラ持ってこなくてよかったの、綺麗じゃん」
「うーん、そだね。でも今は持ってても意味ないし」
海の向こうは黒々としてて、街の明かりがほんの少しだけそこを照らしてる。
だけどそれが余計に、黒い海がずっとずっとどこまでも広がってるんだと教えてくれる。
明るさがあるからこそ、途方もない暗さがよくわかったんだ。
「でも、月が綺麗だよ。旅館に取りに帰ろうよ」
「えー、いいよ」
「ねえ、帰ろうよ」
「やーだ」
そのやり取りがなんだか楽しくて、くすくす笑ったけど、あなたは不貞腐れた顔のままだった。
楽しくてふと空を見上げてみたけど、月なんてどこにも浮かんでなかった。あるのは街灯と遠くに見える町の灯りだけ。
「ねえ、帰ろ」
「ダメだよ、ゆな」
「なんで」
「だって、今日だから」
そう今日が、私の最期の日なのだから。
「ごめん、私ずっと勘違いしてたんだけど。まゆの寿命、明日だから。今日じゃないよ」
「ダーウト。ゆなの嘘はすぐ顔に出るから。それにそんな大事なこと本当だったら、もっと早くから言ってるでしょ?」
「…………忘れてたの」
あなたは不機嫌そうな顔で、そう付け足した。暗いから顔色は見えないけれど、真っ赤になってるのかもしれない。私は相変わらずくすくす笑いが止まらない。
「ゆな、今日さー、ずーっと私をホテルから出ないようにしてたよね。普段はあんまり言わないわがまま言ったり、すごい空元気で色々誘ってみたり、とにかくいっぱい時間使わせよーって感じで面白かった」
「……なんだ、ばれてたんだ」
そう、この子はずっと。今日、ずっと。
「うん。あ、あとねえっちの時もすごい必死でびっくりしちゃった。自分が上になるのもこだわってたよねー、やっぱり本当に私を気絶させたかったの?」
「……だって、それが一番穏便に済むし」
「あはは、ちょっと乱暴すぎて痛かったぞう。あーいう時は優しくしないと気持ちよくなんないよ」
「……それは、ごめん」
私の軽口にあなたはちょっと落ち込んだように顔を伏せた。かわいいなあと笑いながら、私はそっとその肩にもたれかかる。
「ずっと、
あなたは何も応えない。
「ありがとう、そう想ってくれただけで、幸せだったよ」
「 」
だって、ずっと、ずっと、私が死んだらみんな喜ぶって想ってた。
「今日がね、間違いなく、私の人生で一番の日だったよ。本当に最後で最高の日だったよ」
「 」
誰も彼も惜しみはしないし、それが自分にできる一番の罪滅ぼしだって想ってた。
「ゆながね、やってくれてることが全部嬉しいんだ。こんな私のちっぽけな人生なのに、あなたが必死に繋ぎ止めようとしてくれたことが、それがなにより嬉しかった。たった独りでも、私が生きててよかったんだって、想ってくれる人がいることが嬉しかったよ」
「 」
だから、初めてゆなが私が死ぬっていった時、上手く驚かなかった。驚けなかった。ああ、そうだよね、って想ってしまったから。私なんか死んで当然だよねって想ってしまったから。
「ありがとう、ありがとうね。ゆな。本当に、本当に、私の所に来てくれた死神が、あなたでよかった」
でも、あなたは、ゆなだけは。そうじゃないって言ってくれた。
私の幸せを考えてくれた、私のしたいことをさせてくれた。
私を必要としてくれた。
私の言葉で笑ってくれた。
私と一緒に旅をしてくれた。
私を好きになってくれた。
「本当に幸せな一週間だったよ、ありがとう」
そういって、あなたの頬に優しくそっと口づけた。
触れた頬は濡れていて、少しだけしょっぱい味がした。
擦り合う肩は震えてる。
でも、ゆなは少しするとこっちを振り返って、私をぎっと睨んだ。
とっても、とっても怒った表情で。
それすら愛おしいと想ってしまう私はきっと、もう、どうしようもないんだろう。
「だったら……、
死なないでよ!!
まゆは生まれてきてよかったんだよ!!
誰に嫌なこと言われたって気にしなくていいんだよ!!
この一週間は楽しかったでしょ!!
今日は幸せだったんでしょ!!
だったら生きてよ!!??
もう嫌なことなんてないんだよ!!
生きてよ!! だから生きてよ!!」
ああ、ごめんね。
どうしよう、嬉しいよ。
ほんと頭おかしいんだけどさ、私、今、どうしようもなく嬉しいよ。
こんな私の最期に、泣いてくれる人がいる。
こんな私の終わりを引き留めてくれる人がいる。
それがどうしようもなく、嬉しくて。
私もちょっとだけ悲しくなった。
でも、でもね。
「ダメなの」
あなたの顔が、涙に歪む。
「だって、この一週間が過ぎたらゆなは、いなくなっちゃうでしょ?」
「だからダメなの」
「それにね、この一週間はすごく私らしく生きられたけど。結局、それも期間限定なの」
「終わるって分かってるから、無茶できた。もう終わりだって決まってたから、後先考えずに、仕事も辞めれて、やりたいことができて、普段言えないことも言えてたんだよ」
「きっと、いつもの私なら、旅になんてでれなかった。写真だってずっと忘れたまんまで、ゆあにあんなことも言えなかった」
「……それに普段の私ならきっとね、ゆなが好きだなんてずっとずっと、言えなかったと想う。また今度、また今度って、想って、ずっと、きっといつか別れるまで、言えないまんまだったと想うんだ」
「今日を越えたらね、きっといつもの私になっちゃうの。自分のやりたいこともわからない、役にも立たない、言いたいことも言えない、そんなどうしようもない私に戻っちゃうの」
「だから、ダメなの。今日で終わりにしないと、ここで終わりにしないと。自分が好きな私のまま終わりたいの」
「ねえ、ゆな。私の死に方って自殺なんでしょ?」
「この前、他の人の死に方を教えてもらってる時になんとなく気づいちゃった」
「でも、なんというかね。それでしょうがないっていうか、それが自然だなって想ったの」
「最初は正直、マンガみたいにさ。なんだか途方もない力が働いて、私の意思とは関係なく死ぬのかなって想ってた」
「突発的にその人が普段しないような事したり、正気を失ったりして死んじゃうとか、そんなのイメージしてたんだけどね」
「でも、違ったんだ。私は今、私の一生と、この一週間の地続きの先でね、ちゃんと自分の意思で死のうって想ってるんだ」
「今日、目が覚めたときね、私は誰に言われるまでもなく、私の意思で、今日、死ぬんだなって実感できた」
「でもね、さっきはああいったけど、あんまり悲観してるわけじゃないよ」
「だって、今日生き残っちゃったらきっと酷いけど、でも今日終わる分にはきっと満足なんだよ」
「ああ、ここが終わりでいいなって。ここが終点でよかったって本当に、心からそう想えたんだ」
「ゆなと旅ができた。最後にやりたいことができた。君を形に遺せた。君とたくさんおしゃべり出来た」
「こんな私だけど好きって言ってもらえた。こんな私なのに、知らない女の子の命を助けられた」
「ゆなとできた旅が、この一週間が。本当に、本当に、楽しかったんだ。ゆなが一週間前に言ってくれた通り、本当に最期の最高の一週間にできたんだよ」
「ありがとう。それだけでもう、私は満足なんだよ。これ以上望んだらバチが当たっちゃうくらいにさ」
「だからね、ダメ、ダメなの。今日を過ぎたらきっと、ゆなに看取ってもらえなくなっちゃう。だって、死神は仕事が終わったら次の場所に行っちゃうんでしょ。だとしたら、それは嫌だよ。だって、私、また独りで置いてけぼりになっちゃうよ」
「だからね、ここが終点でいいと思うの」
「ここが一番、納得して死ねるとこなの。ここならいいの、ここでいいの、……ううん、違うかな」
「
「酷いこと言って、ごめんね? でも今ゆなが泣いてくれるのが、凄く嬉しいの。ごめんね、わがままで、ひどいやつで。でもね、あなたに看取ってもらえるのが、どうしようもなく嬉しいの。こんな私がいなくなって、他の誰が泣かなくても、あなたは泣いてくれるから、それがたまらなくうれしいの。ごめんね、ごめんね」
「でも酷いけど、ダメなの。ゆながどこかに行くのを見届けるとか、その後、独り取り残されるのはね、それだけは、どうしても耐えられそうにないの」
「だから、死なせて?」
「今、ここで終わらせて?」
「ここが終わりなら、きっと幸せだから」
「ゆな言ってくれたでしょ? どうせ最期なんだから思いっきり幸せになろうって、なれたよ。ちゃんとなれたよ、幸せに」
「今まで生きてて、こんなに幸せなことなんてなかった。私、生きててよかった。今までの人生に意味なんて一つもなくたって、この一週間だけで意味があるの。この一週間のために、きっと私の人生の全部はあったの。ゆなと過ごすために、私の人生はきっとあったの」
「ありがとう、ありがとう」
「わたしのゆな、わたしの死神」
「ありがとう。あなたが居たから、苦しいだけだった私の終わりが、素敵なものになれたんだよ。君が居たから、私はきっと今、こうやって笑えてるんだよ」
「あなたが居てくれて本当によかった」
私はそう告げた。
ゆなは微笑んだ。
「わかった、いいよ」
それから。
「じゃあ、
呆ける私に、あなたはちょっと意地悪な笑みでそう告げた。
※
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