4日目 Ⅱ

 それから二時間ほど歩いてから、部屋に戻ることにした。


 近所の公園の水道で顔を洗って、泣き跡を洗い落としてから不審なところがないかチェックした後、私はホテルに帰りついた。


 それくらいの頃には、人通りも大分行きかっていて、太陽も昇って街もすっかり明るくなっていた。


 エントランスを通り越すときに、不自然に開いた自動ドアにホテルの従業員が首を傾げる。


 エレベーターは人につぶされるかもしれないから、非常階段を使って部屋に戻る。


 部屋の前で一旦、気を取り直して、息を吐き直して、コンディションを整える。


 ここで扉を開けたら、いつもの私。明るく笑顔を浮かべる楽しい旅の案内人。


 考えるのはお姉さんのことだけ。他の全部は、この一週間が終わった後だ。


 胸を軽く叩いて、自分にもう一度言い聞かせてから、私はインターホンを押した。


 オートロックだから、こうしないと開けてもらえないわけで、程なくしてがちゃりとドアを開けてお姉さんが顔を出した。


 「あ、おかえり。ゆな、どこ行ってたの?」


 「いえ、起き抜けの散歩に行ってきたんですー」


 頑張って、笑顔を浮かべる。不自然じゃないように、おかしくないように。


 「ふーん、そっか。あ、朝ご飯はね、部屋まで持ってきてもらうことにしたの、二人分頼んだら、受付の人ちょっとびっくりしてた、あはは」


 「あー、それは確かに。ダブルベッドも借りてますしね、不自然かも」


 「まあ、私がめっちゃ食べて、凄く寝相も悪いってことにしとこう」


 「あはは」


 そんな話をしながら、部屋の中に戻ったら、お姉さんは何気なくカメラでパシャパシャと私を撮りだした。


 思わず戸惑いながら、適当に軽口を叩く。


 「寝不足だから変な顔ですよー」


 「いいの、いいの。そういうゆなも撮っとかないと」


 それでいいのかなあと思わず首を傾げるけれど、お姉さんは変わらず私の写真を撮っている。それでいいのか、いいのかなあ。そうやって、困って笑いながら。



 そうして、私達は今日も最期の旅に出る。



 ※



 「で、ゆなは今日の朝、何してたの?」


 道の駅で買った出店の牛串が、頬張りかけた私の口の裏側に刺さった。


 「いった……え? ……ああ、散歩ですよ」


 かしゃと、お姉さんは何気なくシャッターを押す。風景を撮って、私を撮った。


 「そんなに目が真っ赤なのに?」


 カメラの画面を見ながら、お姉さんは相変わらず何とはないと言うふうに、話しかてくる。


 ああ、まずったかなあと思わなくもないけれど。かといって、もうどうしようもない。


 「聞いてもつまんないよ」


 否定するのも不自然なので、適当に話を逸らす。


 「うーん、でも聞きたいな」


 牽制はしたけれど、お姉さんは一向に引いてこない。はあ、たった三日か四日で見違えるほどに押しが強くなってまあ。


 私は軽く嘆息をつきながら、牛串の先端をくるくる回した。


 「めっちゃ暗い話なので、下手したら今日一日引きずるよ? 楽しい旅が台無しになっちゃう」


 むしろ、今日一日で済めばましな方かもしれない。


 なんて私が考えているというのにお姉さんは、特に動じた風もなく。


 「いいよ」


 と、そう告げてきた。咥えていた木串が私の口の中で噛み折られた。


 本当に、本当に強くなっちゃってまあ。呆れてしまうよ、まったくもう。


 「……なんでそこまでして、聞きたいんですか?」


 誰にだって秘密はある。聞かれたくないこと、触れられたくないこと、そんなの幾つもあるに決まってる。


 自然なことだ、だから普通はそこまで根掘り葉掘り聞いたりしない。


 お姉さんは、相変わらずどこかぼんやりとした顔で考えこむように口に手を当てていた。



 「……んー……? 私、



 「は?」


 思わずあんぐりと口を開けてしまった。嚙み砕いた木串が口の中から零れ落ちた。


 「いやでもね、ゆなが聞かれたくない、触れられたくないってのはなんとなくわかるんだよ? 嫌なことってあんまり喋りたくないものだし。それは私もそうだから、多分、あとゆなと何十年も一緒にいるんだったら、話したくなるまで待ってたと思う」


 そこでお姉さんは、一瞬言葉を区切った。


 「でも、私の命はあと今日を入れて……四日かな。だったら、多分、今聞き逃したら、もうずっと聞けないでしょ?」


 カメラの中の私と、今いる私を交互に眺めて、そっと私に微笑むように笑いかけてくる。


 「そしたらね、きっと最期の時に後悔しちゃうと想うんだ。ああ、あの時、聞いとけばよかったな、ゆなのこと遺し損ねちゃったって。それはちょっと嫌だからさ」


 かしゃとシャッターが切られる音がする。それから、お姉さんはカメラの向こうからひょこっと顔をだすとそっと笑いかけてきた。優しい笑みで、私に向かって、何度も、何度も。


 「だから、教えて欲しいな。ほら、冥途の土産だと思ってさ」


 そう言って、あなたはおかしそうに笑う。


 ……。


 ああ。


 もう。


 本当に。


 本当に。


 「馬鹿なんだから」


 まったく、ほんと。


 「ズルいよ」


 「……ごめんね?」


 自分でも不貞腐れた顔をしているのを知りながら、私は残りの牛串を頬張った。


 お姉さんは、何を想ったか私の頭を撫でてきて、絆されかけているのを自覚しながら、私は無言で牛肉を頬張り続けた。


 熱い。美味しい。安心する。


 絆されたのが悔しいのに。お姉さんの言葉にに納得してないのに。あなたが辛い想いをするのは怖いのに。


 言っていいかと想ってしまうのは。この人にならと想えてしまうのは。


 なんでだろう。


 ああ、もう、本当に。


 なんでなんだろう。




 ※

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