第6話

悪いことは好転する


55年近く生きていると、目の前で起こる現象に対して一歩引いた見方ができるようになる。

例えば、何か悪いことが起こる。

自分に全く落ち度がない場合でも、それに文句を言うのではなく、「今はこういう状況だが、これは状況が好転する予兆かもしれない」という見方ができるようになる。

すごく達観したことを言うなら、目の前で起こることは、それ自体にたいした意味があるわけではなく、全てが一時的な現象に過ぎないのだ。


自分がそれに対して、法的な反論をすることならいくらだってできるだろう。ただそれは、「自分が傷つけられたという執着」から起こる反論であって、自分というものでさえ、周りのようにたいした意味を持つものではないという風に考えることができたなら、法的に反論することもバカらしくなってくるものだ。


もちろん自分が大切なことは誰しも認めるところだ。ただ、それは自分を修練する時にだけ、そう意識すればいいのであって、何か理不尽な扱いを受けた場合は、自分にはそれを受ける原因が、過去生の結果としてあったからだ、と考えればいいのではないかと思う。


若い時はプライドもあるし、元気もある。もし自分を傷つける相手がいようものなら、二度と立ち直れないくらいその相手を打ちのめすに違いない。

けれど歳をとるということは、その傷つける相手に対しても、「その人物が私の人生に登場してきた理由は何なんだろうか」と考える余裕を持つことができるようになることだ。


むしろ全ての現象は、人知では計り知れないことの方が多い。人間界のちっぽけな決まり事の中で、予定調和に物事が進むことこそ少ないし、そう考えること自体がひとつの傲慢だろう。


何か悪いことが起きてしまっても、「そういうこともある」とじっと辛抱していた方が、かえってそれがプラスに転じる場合の方が多い。うまく乗り切れる場合が多い。

なんとなくだが、そう思う。

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