第4話

超高齢社会


昔の老人のイメージというと、穏やかで優しく物知りといった感じだ。人生の精算期として清らかに生きているというイメージがあった。

ところが今は状況が一変している。

いつまでも現役でいたい方、人生最後のわがままを突き通す方、いろんなネガティブなイメージが先行してしまう。

日本では死を前提として、死を受け入れる生き方から、どんどん離脱しつつある。

できることなら、現実は見ないようにしようという生き方だ。


仕方ないのかなと思う。なぜならば、そのような教育しか受けてこなかったし、社会に出たら出たで、競争の只中に放り込まれるからだ。

やっとこさ、齢を重ねてヒマになったら、余ったエネルギーを消耗する場所がないのである。そこに老害が発動する。


日本には宗教がないからだ、という人もいるが、拝金という欲深い宗教がある。

それだけは死ぬまで続く。


かたや、心清らかに生きるのが最も尊ぶべき生き方だと仏教は言う。

それを聞いて「何を負け犬のようなことをほざくか!」という方も多いだろう。


つまり、それほど日本の病理は進んでいる。

最近、若者が狂って人を殺す事件が時々起きるようになったが、社会全体がそういうバグを孕むようになったんだと思う。

飯塚の爺さんも、車を暴走させて人をひき殺した自分の非をついに認めることがなかった。

社会全体で見た場合、それらのバグが暴走して、時として社会を揺るがすことだ。


もちろん、ほとんどの人はそれをバグとして認識することはできる。

じゃあ、自分の中にあるバグはどうして発見して取り除くのか、という方法は知る由もない。


その時に自分の心を清らかにしておかなければ、そのバグはバグとしては認識されない。

そのバグの入ったプログラムを無意識のうちに実行しているということになるのである。




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