第9話 魂が再生する「魂の故郷」
◆ 現世での隠された真実を初めて知った。
「ここは魂の本来の居場所なんだ。そうだな、心の拠り所だろうか。雪子と別れてどうしようもなく辛かったとき、自分の死を信じたくなかったとき、死人なのに自殺しようとしたとき、この場所で支えてもらった。神や仏が慰めてくれるのではなく、ここにいるだけで泣き叫んでいた心がなぜか落ち着いた。
その頃の僕は死を受け入れられなかった。だが次第にわかった。ここにはたくさんの魂がいて、僕と一緒に笑ったり喜んだり、泣いたり淋しがったりしてくれた。その寄り添う共鳴に包まれているうちに、心が落ち着くんだ。何かふわりとした温かいものに包まれている気がした。今の雪子はあっちの世界が気にかかるだろう、大丈夫か、悲しいか? 辛いか?」
「私は死にました、悲しくないと言ったら嘘です。子供たちはもう大人ですがやはり心配で、別れるのはとても辛いです。でも、蒼一さんは私を待ってくれました。私は独りではありません。少し悲しいけど幸せです。夫はとても大切にしてくれました。だけど、こっそり隠れて泣いていました。蒼一さんに会いたくて、会いたくて……」
「わかってる、辛い思いをさせてしまった。ごめん、もう何も言うな」
俺は雪子が可愛くて抱きしめた。目の前の21歳の雪子には60年の人間界の記憶が残っている。俺は一度転生しているがその記憶はない、それが不思議だった。俺にはなぜ雪子の記憶だけが残っているのか、考えてもわからなかった。
「聞いてくれるか、隠していたことがある。僕たちの子が宿ったことがあった」
「えっ!! 本当ですか、いつでしょう?」
「山川くんがキミを日大病院に連れて行ったことがあったね、覚えているかい? あのときだ」
「えっ、そんなこと考えてもみませんでした。ごめんなさい。だけど、内村先生と京子先生が…… ああ、私のために真実を隠してくださった、そうですね?」
「そうだ、みんなの思いやりだ。原因を作っただけで何も出来ない僕が悪かった。もしママになれば休学して戻って来ると思って、避妊してるとずっと騙していた。
あの披露パーティーの夜を覚えているか? 僕は狂ったように抱き続けて幸せに浸った。あのとき着床した子だったが流れてしまった。その頃のキミはまだ未成熟で、受胎しても無理だろうと薄々わかってはいたが、僕は熱情に流された。
どうしても傍にいて欲しくて、我儘な衝動のままに抱いていた。他の男に渡すくらいなら首を絞めたいとさえ思った。こんな勝手すぎる僕に呆れただろう」
雪子は静かに聞いていた。夫になった星野とは初めての契りで子を授かったのに、なぜ、どうして? 本当は蒼一さんの子が欲しかった、一緒に育てたかった。
夫はとても大切にしてくれて十分幸せだったが、心のずっと奥底ではいつも蒼一さんと話していた、愛していた。そんな自分をいつも責めた。ごめんなさい、良き妻で良き母にならなくてはと、泣きながら心を封印した。
夫や子供たちを不幸にしてはいけない、私を本当の娘のように大事にしてくださる星野院長夫妻や、妹と扱ってくれる京子先生を裏切ってはいけない。
そんな思いの日々を思い出した。現世では一緒になれない運命だと決まっていて、蒼一さんと会ったのかも知れない。そう思い込もうとした年月を……
秋月の胸に飛び込んだ雪子は、懐かしいコロンの匂いに包まれて泣き濡れた。
「聞いてくれ、僕は雪子を幸せにするどころか、守ることも出来ずに死んでしまい、苦しめただけの我儘な男だ。こんな僕を今でも愛してくれるか?」
「はい」
「僕は決めた、次の世でも絶対雪子に会いたい! そして次は必ず雪子を幸せにする。一緒に暮らそう、ふたりで子供を育てよう、いいね?」
「はい」
「この冥界ではどんなにキミを抱いても僕たちの子は生まれない。そして、僕とキミはやがて人間界に芽生えた小さな命に宿って育って行く。僕たちは胎内から誕生したとき、全ての記憶を失くして、まっさらな赤ん坊で生まれる。なぜこの赤ん坊に転生したのか、その理由や使命は消されてしまう。
だがどこかで雪子に会えば、僕はわかるはずだ。絶対にわかる、そう信じている」
「もし私が誰かを好きになったら、それは間違いなく蒼一さんの生まれ変わりなんですね。そんな気がします」
「そうだ、絶対に僕だ。雪子の男は僕だけだ、他の男にはもう絶対に渡さない! おいで」
今まで会えなかった時間を取り戻そうとするように、切ないディープキスが続き、幾度も重なって冥界の奥深く堕ちて行った。
◆ 俺たちは1つの魂から分かれた「運命の人」か?
転生するときに記憶をオールクリアされた俺が、冥界に戻ったとたんになぜ雪子の記憶が鮮明に残り、その記憶の周囲に存在する人間を認識できるのはなぜだ? 本来は転生した前世の記憶が残っていても、前々世の記憶は消滅しているはずだ。俺たちの魂が呼びあうのだろうか? なぜだ?
現世で俺は医者だった。理屈で解決できる医療を目指していた。多くの死に立ち会ったが、当時は人の魂なんて考えたことがなかった。生物としての死しか認めていなかった。それが冥界に来て、肉体を失って霊魂だけになった自分の魂と出会った。生きていたとき俺の魂はどこにあったか? 心の中か? いや、違う気がする。
魂は心の中にはないが、心を支えるものだと考えた。心と魂は違うものだと思った。
人間は死亡後に焼却されると物体、つまり物質ではなくなり、非物質になってしまう。だが、霊魂という非物質の魂になった俺は、記憶を引きずり、嘆き悲しみ、癇癪を起こした。
魂とは何だろう、輪廻を繰り返し、永遠に続くものなのか? 非物質科学という分野が存在すれば学びたいと思った。なぜ、俺は雪子と出会ったのか? 生きているときからずっと考え続けたが、答えはまだない。
昔のことだが「脳科学」、または「終末期ケア医療」の書籍で読んだことを思い出した。もともとは1つだった魂が2つに分かれると、男と女となって転生して「運命の出会い」をするという説だった。
稚拙なオカルト話かと笑ったが、1つの魂が分かれた場合は類似点が数多く現れると書かれていた。
雪子と俺の血液型はAB型で、胸椎10番の位置に直径4ミリのホクロと、左の頸部に5ミリの衣装ボクロがある。ふたりともほぼ同じ位置だ。初めて首筋にキスしたときに気づいて偶然の一致だと思ったが、このホクロは妙に欲情をそそった記憶がある。
もし、雪子が本当に俺の魂の片割れであったら、必ず次の世でも「運命の出会い」があるに違いない。それは俺たちは互いに「運命の人」だからだ。俺があんなに受験勉強を教え込んだのも、こんなに愛することも、雪子の記憶だけが残っていることも、そう考えたら解決するが、冥界暮らしでオカルトを信用するようになったのかとつい苦笑した。
腕の中の「運命の人」は俺の想いを知っているのか、穏やかに微笑んで眠っている。コイツは優しく抱き包んでやると10分もすれば幸せな顔で眠ってしまうやつだった。変わってないなあ、懐かしい寝顔を見つめていると幸せな気分になって、俺は冥界に来て初めて満ち足りた眠りについた。
明日は「魂の故郷」のもっと奥に連れて行こう。いつまでも俺とここで暮らせると思っている雪子に、わかってもらいたいことがある。決して冥界は永遠の住処ではなく、俺たちは決められた輪廻の渦、魂のサイクルの中にいることを教えよう。
「今から行く所は森の奥深い所にある。いずれ僕たちはそこで現世に戻るために魂の洗礼を受けて、別れなくてはならない」
「えっ! なぜ、蒼一さんとずっとここで暮らせないのですか? イヤです、そんなのイヤです! やっと会えたのに離れたくないです、イヤです!」
俺を離そうとせず泣き出した。ああ、生きているときと同じ泣き虫の雪子は、どんなに涙を拭ってやっても泣き止まなかった。俺だって想いは同じだ。
「今すぐ別れることはない、心配するな。だが、いつかは別れなくてはならない。再び現世で会うにはあっちへ戻って、新しい命に宿らなくてはならない。そしたら必ず会える。きっとだ」
「イヤです! 現世に絶対はありません! ホントに会えるかどうかわかりません。私はこのままでいいです。生まれ変わらなくってもいいです。ここで蒼一さんといたいです。今の蒼一さんといるだけでいいんです。ほかに何も欲しくはありません。お願いです、いつまでも一緒にいたいです」
コイツはいつも俺と離れて東京に行くときは、必ず駄々をこねて泣きじゃくった。60年も生きていながらまったく変わっていない。可笑しくて笑ったら、首を左右に振って涙を切り、無理して笑顔になろうとした。
僕がいちばん好きな雪子の顔だ。そんなアイツがいじらしくて仕方がなかった。俺だってここでふたりで暮らし続けたい。
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