第2話 俺の葬式だと、ふざけんな!

◆ いきなり葬式と言われても、どうすりゃいいんだ。


 3月18日(土)、安国山聖福寺で、医療法人秋月病院 院長 秋月蒼一の葬儀が執り行われた。享年33歳であった。


 俺は葬式には付き合いで何度も行ったが、自分の葬式は初めてだ。

 それにしても今日の葬式は格別豪華だと思った。禅寺のくせにやけに派手だなあ! 幾人もの坊さんが煌びやかな装束でぞろぞろと歩き回り、経文を唱えている。俺は知識がないから何を言っているのか皆目見当がつかない。有り難いわけがない!

 なぜ、普通の言葉で喋らないのだろうか、死んだ本人が理解できないだろうが。仏教の女子学園で学んだ雪子にはわかるのだろうか。雪子はどこだと捜したら、俺の写真を胸に抱いてぼんやりと座っていた。


 それにしても市長の弔辞は長すぎる! 美辞麗句を並べ立て心にもないことをツラツラと述べている。次は医師会のお偉い先生だ。俺が早世したことは医学界にとって非常に残念で、計り知れない損失だと言っていたが、本当にそう思っているのか? マユツバもんだなと感じた。

 そんなことよりも雪子に詫びたい。今まで我儘ばかり言って悪かった。雪子の死人のような姿を眺めたが、見るのが辛くて眼を伏せた。


 自分が唆した結果だが、血が滲んだ包帯姿を正視できなかった。何を使ったのか、ヤブ医者め! 止血剤が効いてないようだ。俺だったら出血は一発で止めてやれる。止血は得意だ。あれでは息するたびに痛いだろう、辛いだろう、苦しいだろう。死んでまでもキミを苦しめてしまった。悪かった、ごめん。俺は我儘でどうしようもない男だ。最後の最後まで甘えてしまった。


 自分の葬儀を眺めていた。高嶋千鶴子を介添する秀明斎を見たとき、俺は微笑んだ。

 不思議なことに会葬者の胸の内が読めた。誰が何を考えどうするか、どうなるかも朧げに見えた。死人とは様々なことがわかるのか、だとすると雪子はこれからどうなるのか? せめて雪子だけは幸せになって欲しい。眼を凝らして雪子を見つめ続けたが、何も見えなかった。


 雪子は山川に付き添われてやっと焼香した。祭壇を永い間見つめて瞑目した薄い肩先が大きく震え、嗚咽を堪えていた。その姿は会葬者の涙を誘い、本堂は忍泣きに包まれた。俺は坊主が泣くのを初めて見た。小柄な雪子が消えてしまいそうに儚く見えた。


 俺は白帷子(しろかたびら)の死装束の上に医師の白衣をかけられ、棺の蓋を釘で閉じられた。だがその前に、雪子との wedding ring を棺が安置されている檜の床に転がした。俺の予知では、雪子の指輪だと勘違いした星野が拾ってポケットにしまった。


 サーカスのように松明を回し投げし、長い長い経文とシンバルそっくりの楽器や太鼓を煩く聞かされて、「喝!」と脅かされた。何とも騒がしい葬式だった。

 最後に朋友学園の篠崎さんが漢詩を朗読してくれた。まあ、詩吟みたいなものだが、篠崎さんはなかなかの美声だった。そうだ、篠崎さんは浄土真宗の坊さんだから、毎日のお経で喉が鍛えられているのかと納得できた。出来れば篠崎さんの読経でお別れしたかったと残念に思った。

 俺は荼毘に付され、白い骨に変わり果てた。



◆ 雪子の亡き父から雪子の将来を聞いた。


 俺は面白くなかった。何か事を起こされても救命処置ぐらいは可能だと星野京子は考え、雪子を星野病院に引き取ったからだ。しかし病室は満室でベッドが確保できず、星野の部屋に収容した。星野は部屋の外に毛布を持ち込んで雪子を見張った。雪子は体と心の傷が埋められず、食べることを忘れ、口を聞かず、俺の追憶に浸っていた。俺は雪子と四六時中過ごしている星野を警戒した。


 俺は雪子が心配で未だに現世を彷徨っていた。雪子の生気がない頰をなで、キスをして泣いた。ベッドに滑り込こんで抱くことは出来ても、行為は出来なかった。俺が寄り添うと、「蒼一さんでしょ。そうですよね」と雪子は泣き続けた。


 ある日、雪子を見守る俺の背後に痩身で穏やかな目をした初老の男が立った。雪子の父だとすぐわかった。この人が幼い雪子に漢詩の素読をさせ、高尚な教養を薫陶したことを思い出した。


「私は15歳の雪子を残して逝くことが何より心残りでした。嫁に出したくないほど愛していました。秋月さん、あなたが雪子に近づくこともこの結末も知っていました。出来れば会わせたくなかった。だがあなたのお陰で、雪子は人として女として立派な娘に成長しました。あなたと幸せになって欲しかった。秋月さん、娘を心から愛してくれて礼を言います」

 幸せに出来なくて申し訳ありませんでしたと、詫びようとして俺は俯いた。


 俺は雪子に未練タラタラで、雪子がどんな人生を送るか、どうなって行くのかまったくわからないが、この人には雪子の将来が見えるらしい。

「それで雪子はどうなるのですか? 雪子はどうやって生きて行くのです? どうぞ教えてください。お願いです。僕は心配でたまりません」

「それを知ってどうするのです。知らない方がいいこともあります」

「いいえ、ぜひ教えてください。このままでは雪子の傍を離れられません。それで雪子が幸せになれるとお思いですか。雪子を愛しています、心配です」

 永い沈黙が続いた。


「雪子は大学を卒業して東京で仕事に就きます。まもなく母親を亡くすでしょう。全てを失くした雪子の悲しみと孤独を支えた男と結婚して子供を授かり、あなたのもとに戻って来ます。あなたはその間に一度転生し、此処へ戻って来ます。

 私は秋月さんをずっと待っていました。これから私は定められた輪廻転生へ再び参ります。愛娘を愛してくださってありがとう」

 雪子の父は微笑みとともに消え去った。


 何だと雪子が結婚する! ああ、誰だ、その男は! 腕の中で少しずつ薄桃色に染まっていく肌、繰り返される収縮に包まれる極快感、眼を閉じて切なく喘ぐ雪子、俺は嫉妬に狂った! 許さない、離すものか! 俺以外の男に抱かれるなんて、絶対許さない。このときほど自分が死んでしまったことを後悔したことはなかった。


 なぜ、俺は死んだのか? 死んで償うほどの悪いことをしたか? してない! 医者としてたくさんの命を救ったはずだ。なぜだ? なぜ、俺は死んだ? 先立った親不孝を詫びる気持ちよりも、雪子がそのうち他の男に抱かれるという現世の未来に嫉妬し、俺は亡魂になった。



◆ 死ぬことはすべてを諦めることだと知った。


 もう一度雪子を俺がいる冥界に呼び込もうと思った。

 どうすれば雪子はここへ来れるか、死んでくれるか? 衰弱して行く雪子を観察した。薬か? 事故か? 首吊りか? いや、首吊りはダメだ、想像を絶する体液や排泄物が噴出する。そんな見苦しい最期を迎えさせたくない。俺は死んでいながら現世に囚われていた。

 俺がいれば眠ったまま安らかに死ねる薬を与えることが出来る。なぜ、俺は死んだ! 生きているときも死んでからも何ひとつ自由にならない自分に癇癪を起こし、地団駄踏んで悔しがった。


 日を追って雪子は衰弱し幽霊のようになっていた。点滴で命を繋いでいるだけで、両眼の瞼と眼の下はブルーのアイシャドーを塗ったように染まり、網膜は何を映しているのか、瞳はほとんど動くことはなかった。


 こんな雪子を見るにつけ京子は腹立たしかった。秋月はまだ雪子を諦めていないと知っていた。隙あれば雪子をあの世に引っ張り込もうとしている。涼も道連れにされるかも知れない、その程度はやる男だと警戒していた。


 食べることを忘れた雪子は、星野が笑顔で差し出すスプーンを舐めては、もう食べたくないとイヤイヤした。星野はあっさりスプーンを引っ込めた。あまりにも可哀想な雪子にどう接していいのかわからず、悩んでいた。

「ごめんな。明日は母ちゃんにもっと旨いものを作ってもらうからな」

 

 星野は、俺が雪子を黄泉の国へ誘っていることを知っていた。

 頬を染めながら寝言で何か呟いている雪子を幾度も見るにつけ、ああ、秋月さんは夜中にユッコを抱きに来て、自分の世界へ導いている、あまりにも身勝手すぎる! そう思った星野は心を決めた。


「姉ちゃん、オレさ、秋月さんの魂と対決する。今晩から部屋で寝るよ。毎晩夜中に秋月さんはユッコに会いに来ている。このままじゃユッコは取り憑かれて死んでしまう。オレ、ユッコが好きなんだ。守りたいんだ。秋月さんのやり方は我儘すぎる、卑怯だ! オレはユッコを守る。秋月さんとちゃんと話をする」


 死んだ秋月と話をすると言う涼に、京子とマサオは顔を青ざめた。星野院長は秋月の怨念の深さに手を焼き、悪霊除けの札を何枚も貼ったが、まったく効果がなかった。雪子だけでなく涼にまで取り憑く気かと心痛を重ねていた。


 一方、俺は衰弱している雪子を眺めて苦しんだ。

 辛いのもあと少しだ、衰弱して弱り切って眠っているうちに死んでしまうのがベストだ。そして俺の傍へ来てくれるか? あっちの世界へ連れて行きたい、一緒に暮したい。その気持ちは変わらないが、それで雪子は幸せかと自分に訊いた。再び俺は雪子を殺そうとしている。アイツはまだ21歳だ。俺が殺したと知っても本当に喜んでくれるか?

「雪子はアンタの都合がいい玩具ではない、雪子の人格を否定するのか、それはアンタの独りよがりな考えだ。本当に雪子を愛しているのか? 愛してると言えるのか!」

 星野京子の言葉が蘇った。


 俺は雪子を愛している。だから解放しなければならないのか…… このままだと俺の願いどおり雪子は死んでしまう。悔しい! 腹が立つ! だが、雪子の命を断ってはいけない。俺は死んでしまった。雪子を抱いて秋月は泣いた。たまには俺を思い出してくれ! 抱きしめていつまでも泣いていた。


 死ぬということは、すべてを諦めることだと初めて知った。

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