第7話 ヨーロッパ一人旅(夏編) 外伝(沖縄編)

floccinaucinihilipilification

 6月も後半になりました。梅雨入りは宣言されましたが、こちらでは今のところカラ梅雨です。5月23日に予定していた甲浦中学同窓会(関西版)ですが、新型インフルエンザ感染危機のため、ひとまず延期することにしました。大阪、兵庫では蔓延していて、一時は外出すると7割ぐらいがマスクを着けていましたが、今ではすっかり落ち着いてきています。同窓会は、今月が無理なら秋になりそうです。


 さて、東アフリカから帰国後、悲しい事実を知らされました。上松和人の兄さんが亡くなったのです。私がナイロビを発つ前日か2日前だったようです。私との出会いは大学受験の時でした。受験中の滞在先として、東京青山の建設省共済会館をお世話いただき、上松と2人で1週間ほど宿泊しました。その時以来、交友関係は続いていました。若干47歳でした。残念です。


 新職場でもいろいろ波乱が待ち構えていました。前職が税金の無駄遣いのお手伝いのようだったので、少しでも人の役に立つ事業のお手伝いをと、健康管理センターを選んだのです。ネットワークを導入して、健康診断をスムーズに行うためのプロジェクトチームの主要メンバーとして採用されたのですが、入社一年で、改革を進めていた理事長が更迭され、チームは解体させられました。

 本構想の提案者だったチームリーダー(ドクター)はじめ、各部門のブレーン的な存在だった人たちも10数名が次々と辞職し、魅力の乏しい職場になってしまいました。それまでは私に対しても低姿勢だった上級職の態度は一変しました。健康管理では専門家でも、ことコンピューターに於いてはど素人の彼らは、ネットワーク化が進んで肩身の狭い思いをすることを恐れたように思います。

 保守派主体の新体制からはみ出てしまった私には、地獄が待っていました。専門外の分野への左遷の後、コンピューター室のオペレーターとして、膨大な処理を押し付けられました。最多で1ヶ月200時間のサービス残業、2ヶ月で8回の徹夜・・・と言った具合。

 今から数年前、マクドナルドの店長が、残業代未払いの裁判で勝訴したことがありましたね。この店長の知識が当時の私にあったら・・・と今でも悔やまれます。仕事に慣れた翌年からは、ピーク時のサービス残業も100時間以下に落ち着きましたが、入社10年で待遇改善の要求を拒否されたのを理由に辞職しました。8年前52歳の時です。

 景気も良くなく半年後には、コンピューター部門が大阪から滋賀・大津へ吸収・移転する話が進んでおり、その時点でリストラが濃厚だった為、同じ辞めるなら正当な要求だけはして、通らなければやむをえまいと考えてのことでした。


 ずっと以前に雑誌ランナーズでスイスのユングフラウマラソン(フルマラソン)の記事を読み、いつかは自分も・・・と思っていたのが現実化してきました。参加資格には国別の枠があり既に定員に達していましたが、前に利用したことのあるマラソンツァー専門の旅行会社の知り合いに相談した結果、ユングフラウマラソンも扱っており、ツァーに現地で合流することになりました。こうしてヨーロッパ一人旅(夏編)が決定しました。

 旅行会社の知り合い(以前、沖縄・宮古島の宮古島ワイドーマラソン100キロでお世話いただいた沢さん)の薦めもありもう一つ、スイスアルパインマラソン(78キロ)にもチャレンジすることにし、逆算して出発日を6月8日に決定しました。3月末退職の後、4月1ヶ月かけて沖縄・八重山を旅し、5月には予定通り野辺山(八ケ岳)の100キロレースに出場した後になります。

 沖縄本土を訪れるのは、2年前にスキューバダイビングのライセンスを取得したとき以来2度目です。沖縄南部の慶良間諸島の阿嘉島での初ダイビングは新鮮でした。合間を見て民宿周辺から橋でつながっている隣島までジョギングしていてケラマ鹿に遇った事もありましたよ。

 ずっと後で知ったのですが慶良間の鹿は海を渡るのもいるようです。“マリリンに逢いたい”というドラマのモデルの犬(マリリン)もこの阿嘉島の犬で3年前に死亡したとのことです。鹿も犬も海を渡るとはさすが沖縄ですね。

 ひめゆりも訪ねてみました。ひめゆりの塔、平和祈念資料館で最初に涙したのはこの時でした。

 八重山諸島では石垣島がベースになり、どの島へ渡るにもいったん石垣島に戻らなければならないのは不便ですね。八重山諸島は石垣島のほか、竹富島、西表島、波照間島を訪ねました。

 石垣島では偶然にも石垣島トライアスロン世界大会が開催されており、スポーツクラブでもよく顔をあわせる、アスリート仲間の女性がエリ-トの部に参加していました。この時は完走者の最下位でしたが、数年後は日本ランキング5位になり、アテネオリンピックの補欠になりましたが、出場はなりませんでした。

 川平湾でのダイビングでは憧れのマンタに遭遇しました。サイクリング途中で飲んだマンゴはじめ、搾りたてのトロピカルフルーツジュースの美味しかったこと!

 波照間島は日本最南端の島で周囲10数キロ。ジョギングで1周してみました。 途中で最南端平和の碑やゴーグルだけでのシュノーケリングも良い思い出になっています。この島はまた南十字星の最もよく見える島ですが、地平線にはうっすらと雲がかかっており、今回はよく見えませんでした。

 竹富島でも民宿に一泊しました。石垣島より石垣島らしい島で、昔と変わらぬ石垣の塀やシーザーを乗っけた赤瓦屋根の家には風情がありました。ただ、宿のご主人が、観光客はお金を落とさず、ゴミを落としていくと嘆いていたのが気になります。 石垣島から近すぎて、ほとんどの観光客が日帰りなんですね。

 最も満足したのが西表島で、イリオモテヤマネコには遇えませんでしたが、カンムリワシやセマルハコガメには遇いました。2つ強く印象に残っていることがあります。


 まず1つ。 仲間川で初めてカヌーを漕いでみました。最初の10分はバランスが難しく参りましたが、すぐに慣れました。遊覧船だと川幅の広い所までで、サキシマスオウノキの巨大な板根を観て引き返しますが、面白いのはここからで、川幅の狭い浅いところを行くと、アマゾンのジャングルの中を進んでるようで、実に素晴らしい。

 行き止まりで上陸して、滝の上まで歩いてみました。ここからの眺めも絶景で大満足。帰りに遊覧船に出くわしましたが、このガイドの女性がこれがまた面白い。

 乗船客に向って、“皆様、前方をご覧ください。カヌーを漕いでいるのは、ここに住む原住民でございます”ときたもんだ。参りますね。そのあと、オノボリ観光客から随分写真を撮られ、スターになった気分。

 このガイドの女性は更に私に向ってご親切にも、“お客様、お気をつけください。前方から大きな鰐が泳いできます!”。

 私は彼女の好意に対して即、感謝の意を一言、“どうも、アリゲーター!”。


 2つめは浦内川。 遊覧ボートで小1時間遡ったあと、上陸して滝を観に行くけものみちハイキングコースがありますが、仲間川のある大原までの縦走路の一部にもなっています。縦走するにはキャンプの準備ができていること、および2人以上のパーティーであることが義務付けられており、今回は諦めました。

 最終便までに戻ろうと、1人で行けるだけ行ってみたのですが、途中の川を渡って引き返すとき、帰り道を間違えて、見たこともない滝に行き当たりました。計画通り滝にたどり着いたのと違って、ふいに現れたら感動する前に怖いですね。

 私は心臓が小さいとみえて、夜に寂しい場所で急に高いビルが眼の前に現れたり、大きな観音像を下から見上げると恐怖を覚えます。現地に詳しそうな男性が若い女性のグループを引率していたので、帰り道を訊き引き返そうとしたんですが、迷いそうで心配になり、かっこ悪かったのですが、彼らの仲間に加えてもらうことにしました。

 お陰で無事戻れましたが、方向音痴で我ながら情けなかった。今度訪れるときは、キャンプ道具を用意して縦走したいものです。


 沖縄の後、野辺山ウルトラマラソンも終わり、出発日まで1週間になったある日、アパートの近くで生後1ヶ月ぐらいの子猫を見つけましたが、目ヤニもできてクシャミもするので、後先考えずにつれて帰りました。

 その後親しいアスリート仲間の女性(真紀ちゃん=前述のアテネ補欠選手の高校、大学の先輩)のお父様でもある獣医さんに診ていただき、食事もできるようになりましたが、引き取り手がなく、急遽甲浦につれて帰りました。

 真紀ちゃんの名からマッキーと名づけたこのオス猫はその後4年間、甲浦の私の実家で、門脇家の人気者として幸せに暮らしましたが、4年前白血病で亡くなりました。ペットと言うより家族のように暮らしていたので、私も大ショックでしたが、父親のダメージが激しく、1週間後私が母親から呼ばれたほどです。

 それで、3日ほど帰省しました。父は回復しました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る