第6話 東アフリカ一人旅 後編
ザンジバル島へはタンザニアの首都ダルエスサラームから奴隷船が就航しています。日本人カップルに日本人男子大学生が加わり、4人で行くことになりました。これがまたアフリカ的。これを経験しないでアフリカを語ることなかれ!
モシの街からダルエスサラーム行きの夜行バスが凄い。でこぼこの乾燥した砂利道を高速で走るので、補助席までびっしりの車内は揺れっ放し。おまけに窓ガラスは一部入ってなく車内は埃だらけ。途中のトイレ休憩は一度だけ。若い黒人女性は路上でロングスカートをうまく利用して平気でやってました。羞恥心はないようです。
ダルエスサラームからザンジバル島へは大型船は週一回らしいので、翌日のダウ船(奴隷船)で行くことにしました。切符は当日販売で販売開始時刻を教えられたのですが、その時刻には大勢並んでおり、2時間遅れで窓口が開くとあっと言う間に列は乱れてもう大変。長い間押し合いへし合いのさ中、黒人の男性から女性は優先されると教えられました。それでカップルの男子に彼女を窓口まで押し進めてもらうとすんなり購入できました。アメリカやイギリス以上にレディーは大事にされてるようです。我々日本人も見習わないと。
まだまだアフリカ的は続き、22時発の予定が13時半発になった上、このダウ船がこれまた流石で、ちいさな船体に客がびっしりのため(ほとんど地元の住民と思われるのですが一体何をしにいくのだろう?)、我々4人は船尾近くの小さな屋根の上を勧められました。直射日光で暑いのですが、ギュウギュウ詰めよりずっとマシなので陣取りました。トイレも行けない6時間の船旅でしたが、夕方インド洋に沈む夕陽だけは見事でした。
このザンジバル島で初めてブラックマーケット(ヤミ換金)を利用しました。宿泊しているホテルで容易にでき、日常的になっているようです。通常だと、1ドル=195タンザニア・シリングがなんと320タンザニア・シリングで換金できました。
また、初めて一人用の蚊帳を使用したのですが、これがまた穴だらけで翌朝B型血液で血ぶくれして飛べなくなった蚊が3~4匹、蚊帳の中で垂直飛びや幅跳びをしていました。すべて冥土に送りましたが両掌は自分の血で血だらけになりました。マラリアがちょっと気になるところ。週1でマラリアの薬は飲んでいましたが。
それから黄熱の注射も出国前にしています。薬嫌いの先生ならマラリアの薬はどうされますか? 薬が効いてたのかマラリアには罹りませんでした。
大学生は一足先に大型船でダルエスサラームに戻っていきましたが、我々は3人で2キロ先の周囲1キロのプリズン島を訪ねてきました。島流しの島(名前からして、たぶん)だけあって宿泊施設は倉庫みたいなのが1棟のみですが、美しい海岸でのんびり1泊過ごせました。
イソギンチャクやらクマノミ、ヒトデなどが沢山見られ癒されました。背番号付きのゾウガメも10頭ほど見られました。甲羅の上に勝手に乗せて貰いましたが、やっこさんムスッとしてましたね。
帰りのダウ船は高波で参りました。ノーマルだと5時間のところ、はしけ船も含めて9時間。中学時代か高校時代以来久しぶりに吐きました。やはりギュウギュウ詰めの上、殆ど立ちっぱなしでトイレも行けずきつかった。
ダルエスサラームで2人と別れ、私はキリマンジャロにリベンジすべく再びモシの街に戻りました。天気が悪く出発日に迷っていましたが、街で声を掛けてきた男性が街は雨でも山は晴れかもしれないので下山者に訊いてみたら?・・・ともっともなことを言ってきました。信用できそうだったので、彼の仲間の個人ツァーの話を聞いてみることにしました。
YMCAよりずっと安くキャッシュで$300でしたが、TCしかなかったので結局$330で翌日出発することで合意し、20歳そこそこのガイドに15歳ぐらいのポーターが2人付きました。最初のチャレンジの時より食事は良かったように思います。
天気には恵まれました。初日は霧雨だったのですがこれが実に幻想的でグー。2日目、3日目は回復して難なく前回の終焉の地(キボ・ハット)に到着。つい数日前海抜0mに居たのが今は4500m。そして明日果たして海抜5896mの頂に立てるだろうか?
まだあと標高差にして1400m。前回よりも気温が低く7枚重ね着してベッドに入りましたが寒いはず、吹雪になりました。このままの天候だと登れない。自然には逆らえないので祈りながら眠りにつきました。午前0時半起床、吹雪の音は聞こえず、吐き気もなし、よっし!。
期待を胸に外に出ると、なんとなんと今までに見たこともない満天の星空。180度を遥かに超えて足元まで星だらけ。円広志ならすぐ歌詞が浮かぶであろうが、詩的センスゼロの私。でもタイトルはすぐ浮かびました。“キリマンジャロの星”或いは“星空のキリマンジャロ”。平凡過ぎますね!
ポーター達はキボ・ハットまでで、あとはガイドと登山客のみ。登山客はライトを携帯していますが、ガイドは携帯していない人が多いようです。私はヘッドライトをダルエスサラームで別れたカップルに借りていました。午前1時、各グループがガイドとともに登山開始。
前回は動悸、息切れに頭痛、吐き気と散々でしたが、今回はスタート時は夢に向って順調。途中から軽い吐き気に疲労、眠気を感じながら夢遊病者のようにふらふらと、何度か立ち止まりながら歩いていたようです。
登頂開始から4時間半で、海抜5600mのゲルマンズポイントに到着。かなりの登山者はここでご来光を見、下山します。私には全く理解できません。ここまで来たら、死んでも頂上を目指すのが男ではないか!
私はここでご来光を見、それから頂上を目指したと記憶しています。ところが不思議なことに日記をめくってみるとご来光まで30分あるので、すぐ頂上を目指したようです。じゃあ自分の記憶の中のご来光は何だったのだろう。夢か、他の山との混濁か、頂上へ向う途中で見たのか? 分かりません、不思議です。
ガイドは“You are much tired.”と強調した後、ご来光の写真を撮ったら下山を勧めてきましたが、これはチップを弾んでもらう常套手段のようです。冗談ではない。私の目的はただ一つ、海抜5896mの頂上到達のみ。標高差にして300m弱、距離にして2km。
ふらふらしながらも、ギルマンズピーク出発から50分で、ついにキリマンジャロの登頂に成功しました。山頂には2~3人の姿が見えましたが、他の人のことは頭がぼんやりして記憶していません。
ガイドは頂上のケルンを背もたれにして長座の姿勢で休んでいましたが、私はひたすらビデオを廻していました。残念なのは、カメラのフィルムが途中で切れてたのに交換しなかったこと。低酸素で脳障害を起こしていたとみえ、超低温の中、着膨れした身体、スキー用手袋の手で交換する意志が働かなかったようです。
あと10数年で消滅すると現在言われている山頂の氷河は間近に見ると迫力十分です。ビデオを廻しながら何か独り言を呟いていたようですが寒さのためか低酸素のためか声はかすれていました。何はともあれ、平成2年10月15日午前7時、憧れのキリマンジャロ登頂の夢を果しました。
下山はルンルン気分で、途中や下山後にガイドとはチップのことで一悶着ありましたが、小さなカメレオンを見つけたり、時々山頂を振り返ったりしながら楽しく下ってきました。
2度の登山で気付いた点をあげてみます。
1.当然のことですが、日本の山と比べて、下部、中部、上部で全然雰囲気が 違います(地層、動植物、気温、空気密度、天候、景観それに登山者の元気さ)。
2.殆どのポーターは海抜4500mまで登るのに、登山靴は粗末な破れた革靴です。
3.高山病で倒れ、担架で運ばれる人を2人、両脇を抱えられている人を1人見ました。
4.挨拶は登山者同士だと、“Hello”ですが、一方がガイドまたはポーターだとスワヒリ語の“ジャンボ”ですね。
5.あれだけの星に囲まれたのは初めてです。富士山の頂上ではどうなんだろう? 一度確認しに行かねば。
下山翌日は登頂成功と心地よい疲労感を感じながら、1日中街中でぶらぶら、のんびり過しました。苦笑いしたくなるようなことがありました。登頂したときのガイドとポーターに間髪を入れずに再会しました。ポーターの1人が“母親がアリューシャに入院してるので金をくれ”と言うのですね。
“その辺にガイドが居るから、彼に頼め”と言って取り合わなかったのですが、実は日本のガイドブック“地球の歩き方”には、お人好しの日本人に対してこの手口がよく使われる旨書かれているんです。“同情するなら、金をくれ!”は安達祐美のセリフですが、同情はできなく、金をやるわけにはいかない・・・。
しかし・・・かなり後になって気になりました。あれは本当に嘘だったのか? もしかしたら、本当だったのではないだろうか?・・・“偽りの言葉に騙され金を盗られたときの腹立たしさ”と“真実を疑って突っぱねたときの心の痛み”との比較。虚偽、真実の確率は90%と10%か? 今なら家に案内させて家族に会って確認するのですが。
キリマンジャロの後はモンバサ、マリンディーと言うインド洋に面したリゾートの街を経由して、再びナイロビに戻りました。どちらもマンゴジュースが安くてものすごく美味かった。モンバサでは一度“マーラヤさん(売春婦さん)”に声をかけられましたが、丁重に辞退しておきました。日本でのイメージとは違って明るい感じの若い娘でした。
マリンディーではボートでシュノーケリングツァーに参加し、熱帯魚に餌をやったり、素潜りしたり、蛸を追っかけたりで楽しくまた、バオバブの木が大変面白く見飽きることはありませんでした。
久しぶりのナイロビは、街中到るところジャカランダの紫の花が見事に咲いていました。
こうして初めての途上国、東アフリカ一人旅は終りました。今までの海外一人旅では、帰国間際になった時必ず、もう少し居てもいいな・・・と思いましたが、今回はもう十分と言う気持ちでした。楽に感動できた先進国と違って、今まで以上の感動と達成感にやり遂げたと言う思いからか、それとも肉体的にも精神的にもけっこうきつかった精か?
こうして手紙を書いているとあの時が鮮やかに甦り、41歳に戻って東アフリカを旅している気分になりますね。
5月23日(土)に例年通り、甲浦中学の同窓会(関西バージョン)を開催します。先生のこともみんなにお話ししますね。森下も参加します。
次回は海外一人旅の最終章、ヨーロッパ一人旅(夏編)を書かしていただきます。この旅で初めて、海外マラソンを経験します。
小島 見明先生
平成21年5月14日
to be continued...
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