第4話 アメリカ一人旅 後編
“ナポリを見てから死ね!”は有名ですが、アメリカインディアンの間では、”グランドティートンを見てから死ね!“が有名のようです。
イェローストーンの南に位置したグランドティートンは何の施設もないとこですが、洋画”シェーン“のラストシーンの”シェーン、カムバック!“の背景で有名な山容は確かに一見の価値はあります。
圧巻だったのは何と言ってもグランドキャニオンで、夕方になると陰影がはっきりして、マッチョの巨人の肉体のようですね。
上からの眺望だけでは飽き足らず、下に降りることにしました。荷物が軽ければ横断したんですけど。ロバで降りてるグループには参りますね。乾いた糞が舞い上がり息を止めての谷下りでした。途中の崖の上からのコロラド川の眺望は見ごたえ十分でした。真夏だと言うのに雪解け水の冷たかったこと。
ユースのような二段ベッドの小屋に一泊しました。夕方、トークショーを聴きました。ナバホーと言うインディアンの部族のことのようでしたが、私のリスニング力では殆ど理解できませんでした。
この旅ではグレイハウンド社のアメリパスを利用してました。サンフランシスコからサクラメント経由でリノに行こうと路線バスのマップを調べていて、Tahoeと言う名前を見つけました。
スキーで有名なレーク・タホーであろうと思い、遠回りして立ち寄ってみることにしました。バスを降りてすぐ思いもよらぬ顔をポスターに発見。中学時代、白黒テレビで毎週わくわくしながら観ていたアメリカ西部劇“カートライト兄弟”の父親ベン・カートライトだったのです。
ポスターを読んであの西部開拓者カートライト一家のかっての土地がレイク・タホー傍にあることがうかがい知れました。“これぞ我が旅”と思いました。
翌朝、レンタサイクルで湖沿いに走ってみました。眼下に湖が見渡せる高台にあり、公園のようになっていました。ここで初めて末っ子“左利きジョー”役が、“大草原の小さな家”の父さん役のマイケル・ランドンだったことを知り驚きでした。
中学時代は現地がアメリカのどこかなどとは考えたこともありませんでしたが、ワイオミング州のタホーでした。私には貴重な一日でした。ドラマのオリジナルタイトルは”Bonanza”です。Bonanza Farm=大農場の略だと思われます。
少し記憶があやしいのですが、デンバーからだったと思いますがやはりレンタサイクルでセントラルシティに行ってみました。NHKドラマ”遥かなるセンテニアル”の舞台です。
かってゴールドラッシュに湧いた小さな寂れた町で、今は観光客が訪れることは多くありません。体力とヒマがあり、古き良き時代の西部を愛する青年(?)は行きます、平気で。
実際には小さな博物館以外、特に何もありませんでした。小さなスペースに、トロッコやら線路やら金鉱穴らしきものがちょっとだけ。これは本物の名残か観光用か? 本物のようです。初めてスウィートルームに泊まりました(50ドル)。 尚、途中で気付いたのですが、走った道は自動車専用の高速道路で、自転車は進入禁止でした。ところが、パトカーが抜いて行きました、知らん顔して。 なんで??? これがアメリカ?
フェニックスやツーソンでもレンタサイクルを利用しました。巨大なサボテン・ザグアロの中を歩くと高校時代に憶えた西部の歌”Red river valley”を思い出しますね。その当時、上松和人が歌詞を送ってくれました。“サボテンの花咲いてる、砂と岩の西部...”。まさにそのとおりでした。
10数年経って、上松にこんな世界に行ってみたいかと訊いたところ、若いときと違って今ではあまり興味はないと言ってました。彼はロンドンの美しいカフェの片隅で、コーヒーを飲みながら通りを見るのが好きだそうです。
古き良き時代の西部を再現した街並みや西部劇のアトラクションも楽しめました。ところで先生はカウボーイハットがよく似合いそうですね。
“大草原の小さな家”の舞台へは日本からの資料は殆どありません。手がかりはただ1つ、‘ミネアポリスから西へ国道14号線沿いにある“ウォルナットグローブ”と言う町にローラ・インガルス・ワイルダー博物館がある’。
シカゴ経由でミネアポリスに行きました。YMCAにチェック・インの後、近くのカフェでパンとコーラ(コーヒーを注文したらコーラがきた)を食べているとき、声を掛けてくれたおじさんに教えられた案内所で場所が分かったんですが、車で1時間かかるとのこと。歩いて行けるとばかり思っていました。
ウォルナットグローブは、TVでは殆どの舞台になっていましたが、実際には、インガルス一家は何ヶ所も移り住んでいます。今は博物館のみのゴーストタウンです。
一番近い町がマーシャルと言う田舎町で、そこから例によってレンタサイクルしました。片道40キロ、小麦畑の快適なサイクリングを楽しみました。この博物館で英文のガイドブックを入手することができました。このガイドブックにより、次々と他の地も訪れることができました。
最初がここプラムクリークのあるウォルナットグローブで、インガルス一家は竪穴住居に住んでいました。
次に訪ねたのは車だとそこから1時間のデ・スメットで、“シルバーレイクのほとりで”の舞台です。ここにはローラのご両親の墓があります。当時はシルバーレイクと言う湖がありました。
要領が悪く3日がかりで到着したのですが、途中2泊した無名の町・ブルッキングスは美しい町でした。高台から見下ろすと森の中に家が点在しているよう。どの家の前にも大きな樹がそびえていました。町にはごみ1つ落ちてなく人影が見えない。日記をめくってみるとサーカスがあったようですが、記憶が定かではありません。
次に“大きな森の小さな家”の舞台であるペピンへ。Wabashaという小さな町に宿泊し、5ドルでそこのホテルで働いてる女性から自転車をレンタすることになりました。近くにミシシッピー川が流れており、その一部の淀みがペピン湖でペピンの森までは12マイル。今ではすぐ傍に車道ができており、大きな森の面影はありません。
次は“大草原の小さな家”の舞台・インディペンデンス。今思い出しても恥ずかしいミスを1つ。現地でバスを降りていくら探してもそれらしい“小さな家”が見つかりません。捜しあぐねて観光案内所で訊いてみても若い女性もけげんな表情。最初の博物館で入手したガイドブックを見せたところすぐ彼女は理解しました。
アメリカでは同じ名前の町が多いんですよね。カンザス州で降りないで、ミズーリ州で降りてたんですね。あ~あ恥ずかしい。翌日、カンザス州のインディペンデンスの観光案内所でビル・カーチスと言う地元の有名人を紹介していただくことになりました。かって“大草原の小さな家”のあった土地の所有者です。
翌朝、そのビル・カーチスさんの車で現地に案内していただきました。“大きな森の小さな家”と同様、10年ほど前に再建された“大草原の小さな家”が建っていました。TVのシーンが思い出されます。
日本を遠く離れ、今まさにあの場所に居る...感無量。何と贅沢な過ごし方だろう。5時間ほど1人でぼ~っとしていました。
ビルがお孫さんを乗せてやってきました。また図書館まで送ってもらいました。お孫さんに名前を尋ねたら“スカー”と聞こえました。”Scar”かな? 後で分かりました。”Scott”でした。“スコット”じゃないですね。
最後にローラの終焉地であるマンスフィールドへ。ここはTVドラマには登場しません。実際にローラ夫婦が娘・ローズと過ごした家で、今は“ローラ・ワイルダー博物館”になっています。
膨大な資料が展示されており、ビル・カーチスさんが孫のスコット君と一緒の写真もありました。実はここで”Scott”だと分かったのです。この地には3人のお墓もありました。
この日か前日に、日本で悲しい事故がありました。日航機が墜落し、500名を超える死者が出たとのニュースをモーテルで知りました。
数日後、グランドキャニオンで、日本人旅行者から坂本九ちゃんも犠牲になったことを知らされました。
実は今回の旅は3ヶ月の予定で丁度その日、盆にあわせて帰国の予定でした。失敗しながらのノンビリ一人旅だったので容易に計画変更できます。
この時ぐらい適当な自分の性格に感謝したことはありません。甲浦では母親、末弟、姪っ子がTVや新聞の死亡者欄に釘付けだったそうです。
ハワイ、韓国にストップオーバーして、1ヶ月遅れの9月中旬に帰国しました。
今回も失敗はいろいろあったけど楽しく気ままな一人旅でした。
16年前から、安芸のタートルマラソンに父子3人で連続参加していますが、3年前に実行委員会から執筆の依頼がありました。その時の原稿を同封しておきます。
写真は先日の奄美群島の旅で撮ったもので、60歳と3日の私です。
次回は連休前に、サバンナ、キリマンジャロ登山等...東アフリカ編。
To be continued…
小島見明先生
平成21年4月8日
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