5.永遠の別れと時間跳躍 -2-
高速を少し早い速度で走って、小樽に突き当たる。
この時期、丁度暖かくなりだしたからか、料金所辺りが少し渋滞していた。
渋滞の車列に並びながら、窓を開けて待つ。
助手席のレンが、彼のカードと通行券を渡してくれた。
「ん…レンのだけどいいの?」
「え?ああ。いいんじゃねーか?どうせ使い道ないんだし」
「そう。ありがとう」
特に、お金の貸し借りなんてこともないのだが、私は彼にそう言って券とカードを持つ。
ようやく料金所までたどり着き、支払いを済ませて抜けると、アクセルを踏み込んだ。
窓を閉めて、トンネルの中へと入っていく。
「そうだ。こっからさき、混むから裏道使おうか」
トンネルに入って、右車線に入ると、レンが言った。
「裏道?」
「そ、最後まで行かないで、その一つ前で降りるんだ。それで…降りた直後の信号を左」
私は、数台遅い車を抜くと、左にウィンカーを上げる。
「……そういえば聞いてなかったけど」
「ん?」
「今から行くところは、何処なの?」
トンネルを抜けて、もう一回、トンネルに入る。
「日向ってところ」
「日向?」
「そう」
レンがそういうと、ガラス越しに見えた。
「そこそこ、小樽市街って書いた方ね」
「あ、了解」
私は看板を確認して、速度を落としていき、すぐ先の分岐を左に入っていく。
坂を下ると、赤信号で止まった。
「ここ、左ね」
「はい…それで、日向だっけ。あった?そんな地名」
私は、赤信号をじっと見ながら言う。
窓を開けると、排気ガスの匂いに混ざって、ほんの少し潮の香りが感じられた。
「あるぜ。積丹の真ん中にあるんだよ」
「積丹……?」
「え?知らないの?」
「……親が離婚してからあの町から出たことなんて殆どない。札幌がせいぜい1回」
「小樽は分かったんだな…まぁ、小樽の奥だよ。少し山の中走るけど、そっからは海沿い走ってくんだ」
信号が青に変わり、交差点を左に折れる。
「海沿い……そういえば本物の海なんて初めて見たかも…綺麗だね」
「ええ……」
「何か閉じ込められてた奴隷が初めて外の世界を知った感覚?」
「冗談でも笑えないぜ。おい……」
レンは横で、引きつった笑みを浮かべながら言った。
レンの案内に従って、私は車を動かす。
小樽の街はすぐになくなり、周囲は田舎と呼んでいいくらいの緑色の景色に変わった。
半分ほど開けた窓から風が吹き込んでくる。
髪を乱さない程度の風。
「今何時だ?」
不意だったレンの声を聞いて、私はふとメーターの周りに目を向ける。
この車、時計が見当たらなかった。
「時計…ないのかな?って、スマホ見ればいいじゃない」
「……それもそっか」
「で、何時?」
「10時44分」
「そう…案外近いんだね」
「まぁ…思ったほど遠くねぇな」
緑色の景色が終わり、少し街らしい景色が見えてきた。
偶に見える新しい建物が、景色と釣り合っていないなって思うくらいの街。
99年まで戻らなくても、ここの辺りはまだ90年代前半なのではないだろうか?と思える街並みだ。
周囲の車が、不格好な最近の車だから、猶更そう感じてしまう。
「やっぱり、案外、私達には過去に戻ってたほうがお似合いなのかもね」
少し混んだ車列に紛れて、ゆっくりとした流れの中…
私は窓の外に手を出しながら言った。
「んー……どういう意味だ?」
「そのままの意味。私は…いいとして、レンも案外スマホを見っぱなしになったりしないものね」
「ああ、あーゆーの見てるとなんかなぁ……吐き気してくるんだよ。こいつらこんな小さな画面見て何やってんだろうって」
「ふふふ。レン。そう考える人のほうが少ない。今は……」
「確かにそう考えりゃ、古い人間だわな」
そういって、レンは少し笑う。
「それで…ここを抜ければ次はどこ?……ああ、いい。あの看板に出てきた」
車列が少しまばらになり、流れがよくなりだした。
たった今抜けた看板に、ようやく目的地の名前が出てくる。
「日向町まで、あと12キロ…すぐだね」
「ああ、ここまでこりゃすぐさ…ただ、間違うなよ?日向に行くにはこの道から1本入るんだが……それが分かりづらくってな」
「レン、ちゃんと言ってよ?」
私は前が開けてくるにつれ、自然と右足に力が入る。
車なんて興味はないが……遅く動くのも性に合わないタイプだから、案外こういう車の方が向いているのかもしれない。
……レコードキーパーだし、周囲に詳しい人がいるから乗ってるけど。
多分、こうならなかったら軽にても乗ってたんだろうと思う。
街らしい街もなくなり、右には海。左には山…といった景色が続く。
ほんの少し緑色が入った海の色。
波は穏やかで…チラホラと見える砂浜には泳ぎに来た人だろう、水着姿の人間がいた。
だが、海沿いだったはずの道はやがてなくなり、長いトンネルがいくつも続くようになる。
それを過ぎて、いくつか町を過ぎると、道は左に曲がって、坂になる。
それを登りきると、左右ともに山の緑色に包まれた。
「レナ、そろそろだ…ホラ、あそこの窪んだところ。そっから入ってくんだよ」
「え?」
レンに言われ、速度を落としていく。
確かに、窪みは見えたが…そこから車が入っていけるようには見えなかった。
木々がせり出し、葉っぱが生い茂りだしたせいかもしれないが……
「はい、ここ右ね」
レンが言ったので、私は右にウィンカーを上げて、対向車も来ていないので…窪みの方へとハンドルを切った。
すると、2台分…あるかどうかといった道があり、少し荒れた路面のせいで、車がギシギシと揺れた。
「…な?最初はみんなわからないだろ?」
「この先にあるの、ゴーストタウンじゃないの?」
「ちゃんと町だぜ?…日向…日に向かうと書くけど、なんでかわかるか?」
「……さぁ?」
少し楽し気なレンを横目に、狭いに道で、誰かが向かい側から来ないかに気を配りながら、ゆっくりと進めていく。
狭い道を進み…前に見える、木々の合間から海の青が見える。
…その、前に見えた木々まで突き当たると、ちょうど直角に、左に曲がった。
500mくらいの直線だ。
先が一気に下っているのだろうか、直線の先は見えなかった。
「これ、冬なんて陸の孤島じゃない」
「ああ……吹雪いた時はしばらく動けねぇな」
「なんでこんなところに……」
そういいながら、真っ直ぐな道の突き当たり…
ちょうど、右に急こう配の注意看板が見えたころ。
私は思わず声を失った。
後ろになにも来ていないのを確認して…ハザードをつけて車を止める。
そこから見えたのは、下り坂と…その先に広がる小さな町の姿だった。
きっと人口は3000もいない。
それでも、ある程度、家々が集まっているせいで中心部はそれなりに見える。
「な?やっぱいいなってなると思ったんだ」
レンは助手席に座ったまま、得意げな声で言った。
「こんなところがあったなんてね」
「知る人ぞ知るってところだな」
車に戻り、ゆっくりと車を走らせる。
下り切ったところで、ようやく町のカントリーサイン看板が姿を見せた。
”幸せの黄色が咲き誇る町 日向町”
中央の花壇に向日葵が咲き誇るロータリーを抜け、町のメイン通りと思われる通りに出る。
古びた建物だったが…洋服屋さんやレコード屋…電気屋…商店に…食堂が何件か……
どれもこれも、十年もすれば消えてなくなりそうだったが、間違いなくまだ営業していた。
「凄いね。まだやってるんだ」
「ああ、そこの食堂だ。行きたかったの」
レンは通りに並んだ食堂を指さす。
私は、彼の指した食堂の前に車を止めた。
「……駐車場は?」
「大丈夫だよ。路駐で」
そう言って、レンが車から降りる。
私も、エンジンを切って車から降りた。
カギは掛けない。どうせレコードキーパーなのだから…車だって、こんなに目立つのに、誰一人としてこちらを見ないのだ。
レンの後ろに続いて、店の中に入る。
狭い店内。昼時だからか、地元の人っぽい人たちでそこそこ賑わっていた。
「おっちゃん、2人ね」
「おう。いらっしゃい」
店の人は、レンが声をかけてようやく気付く。
空いていた席に座ると、中年の女……きっと奥にいる店主っぽい男の奥さんだろうが…彼女が水を運んできてくれた。
「そこにメニューね。決まったら声かけてください」
レコードキーパーの私達にも、丁寧にそういうと下がっていく。
レンはいつものことなのだろう…でも、私は物珍しそうに彼女の方を目で追った。
「そんなに珍しいのか?」
「ええ……あの人、レコード違反してないだろうね?普段私たちに丁寧にする店員なんて、そういないんだから」
「この前の喫茶店はそこそこだったろ?」
「まぁ…あの時も、そうか…でも、普段はお冷なんて来ないことの方が多いし……」
私はそう言いながら、メニューを引っ張り出してテーブルに広げる。
「何がおいしいの?……見たところ、何でもあるけど」
並んだ文字を見て言う。
「んー?好きなのでいいんじゃねぇか?ウニも時期じゃねぇしなぁ……俺はイクラ丼で」
レンはすでに決めていたようだ。
「……いきなりこんなことになっちゃったから、言ってなかったけど。小食なの…普段は1食食べて十分くらいの」
「おいおい、冗談だろ?成長しないぜ?」
「……5㎝伸びることが保証されたから十分」
私は19歳に変更している今の体躯を見ていった。
158㎝42kg…まぁ、華奢な体だが。十分だ。
「写真で見てると、どれも多いのさ…そう……だね」
私は3週くらいメニューを見返しながら…ようやく決める。
「これ…3色丼の小さいやつ」
「…はいよ」
そう言ってレンが店の人を呼ぶ。
きっと、レンがこうなる前は、普通に親しく喋れる人だったのだろう。
私はレンと店の人のやり取りを見ながらそう思った。
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