2.違和感と仕事の狭間 -1-
私は今、駅中にあるファストフード店前の柱に寄りかかっている。
明け方にレンを起こし、疲れた顔をしたレンに集合場所と時間を伝えて別れてから、適当にシャワーを浴び、私服に着替えて家を出た。
トレンチコートのポケットに手を突っ込んで、まだ半分眠っている頭を働かせず、左目までを半目にしてレンを待つ。
半寝半起き状態を10分ほど続けると、私服姿のレンが目の前で手を振った。
ネイビーのフィールドジャケット姿はどこかカジュアルだ。
「おはよう…いい天気だね」
「おはようさん…動きやすくていいよな」
「今日は1日中この天気。当たる天気予報なんだから…」
そう言いながら、レンを見ると、彼は首やら肩を回して、少し疲れた表情をする。
「大丈夫そうじゃないね」
「フローリングで寝ちまったからな……」
「私の腕力ではレンを運べない……起こしても起きなかったし、皆寝てしまってたから」
私はそういうと、スタスタと歩き出す。外は気持ちいいくらいに晴れていた。
レンも私の左隣に並んでついてくる。
「朝食は抜いてきた?」
「ああ、言われたとおりに」
「よろしい」
「どっかで食うのか?」
「ええ、処置対象が喫茶店で働いている。そこで食べてから行動しよう」
「洒落てるな」
私とレンは駅を出て、そこから私達の通う高校方面に足を向けた。
駅前の大通りから少し離れた、近隣の住民が裏道で使うような小道にその店はある。
両脇をバブル期のビルで囲まれた、一部が苔で覆われた喫茶店。
「ここね」
「昭和じみてる」
カランコロンと音を立てて中に入ると、疎らに人がいる店内は、まるで昭和の時代からそのまま現代にやってきたような作りだった。
店員も、客も私達に目を向けることもなく、私達もそれを気にすることなく空席に座り、メニューを開く。
少ないメニューだから、迷うことなく食べる物を決めて、店員を呼び出した。
頭にバンダナを巻いた、見た目は若く見える中年の男がメモを持ってやってくる。
「お決まりでしょうか?」
「ええ、モーニングセットにホットコーヒー、ブラックで」
「俺もモーニング……あとホットココアで」
「畏まりました、少々お待ちください……」
男が去るなり、私はハンドバッグからレコードを取り出して開いた。
コートのポケットからペンと、部長から貰ったメモも取り出し、メモに書かれた名前をレコードに書きこむ。
「さっき注文を取りに来た男が対象の人間……名前は須藤介一、といっても処置は私がやるからレンは見ているだけだけれど」
「ああ、わかった」
やがて頼んでいたセットがテーブルに並べられ、私はクロワッサンに口をつけた。
レンはフランスパンを片手に持って、キョロキョロとあたりを見回す。
「一ついいか?」
「んー?」
レンが私のほうに向き直って言った。
「俺らが起こさせた行動は決められたレコードの行動になるのか?」
「……今、私たちがこの喫茶店に来て、注文したこととかが、喫茶店の人間のレコードに記載されているかということ?」
「ああ、もし、この席に座るはずの人間がいて、俺らがいるがために座れず、レコードから外れる……なんてことを想定したんだが……」
「それは心配ない、私たちによって起こされた行動は、その人のレコードには記載されない。席もそう。確かに座るはずだった人間が座れなくなってレコードが変わるかもしれないけど、そうなった場合はレコードが勝手に書き換えてくれる…もし、影響が起きそうなら、レコードが警告してくれるよ」
私はそう言って、コーヒーカップに口をつけた。
朝の眠たい体に、苦みの効いたコーヒーが入ってくる。
「人間が私達に起こす行動は全てその人の人生に影響を及ぼさないってわけ」
「都合よくできてるぜ、まったく。」
「レコードキーパーになった時点で、貴方はもう人間じゃないと思えばいい……幻想の一部になったとでも思えばいい……」
「……幻想ねぇ」
「私たちが、直接人を殺さない限り、使ったお金も、存在も、なかったことになる……交流した人の記憶からは1日立てば忘れられる存在になる」
「つまり……今ここで金を払っても、払った代金は消えてなくなるし、俺らがここに寄ったこともなかったことになるのか?」
「そういうこと……そして、私達の行動で、レコードの行動が前後してしまう人間が出ても、彼らのレコードは小改編される……歴史の流れが変わらないように……」
私はそういうと、残ったクロワッサンを口に入れ、すぐに飲み込む。
飲み込んだ後、少し冷めだしたコーヒーを飲み干すと、手を合わせた。
「ごちそうさま」
「パン1個余ってるじゃないか」
「欲しかったら食べてもいいよ」
「……なら貰うか、勿体ないし」
レンは私の皿から、余したパンを拾い上げると、一気に半分を口の中に入れた。
私はレコードを仕舞い、ペンもメモもポケットに戻すと代わりに内ポケットから銀色の液体の入った注射器と、手帳のようなものを取り出した。
レンがパンを食べ終わるころ合いを見計らってレンに話しかける。
「食べ終わった?」
「ああ、今丁度」
「そう、じゃぁ仕事しちゃいましょう……」
そういって、偶々近くを通りかかった須藤に声をかける。
「今少しいい?」
そういって、手帳を開いて須藤の眼前に持っていく。
不思議な紋章と文字が刻まれた、物々しい手帳だ。
この手帳は、私の今の身分を証明するもの。
これを見た須藤は接客する時の顔つきから、表情を失い、私に目を向けているが、何も見えていなさそうな目つきに変わった。
そして私は立ち上がり、注射器を彼の首筋に突き立てた。
銀色の液体を彼に全て注いで、注射器を抜く。
「もういい……大丈夫……ここ、いい店ね、また来るわ」
今だ様子の変わらない須藤にそういい捨てて、私は伝票をもってレジに向かった。
後ろからは少し慌てたレンが追いかけてくる。
「これが本来の処置の仕方……普段は面倒だから適当に実力行使してるんだけれどね」
「ああ、それはいいんだが、あの人は大丈夫なのか?」
私はレンのほうに向きなおり、彼の肩越しに見える須藤をゆっくりと指さした。
「なにも10秒すれば元のレコード通りの動きをする……」
レンも振り返り、須藤を見ると、理解したらしく、2度ほど頷いた。
「じゃ、私が払うから、先に行ってて」
「え?」
「いいの」
私はそう言ってレジの方に向きなおり、会計を済ませた。
会計は現金で……ではなく、レコードキーパー用に支給されるクレジットカード。
一回の支払いは15万まで。
書類的にも、存在感的にも存在しない私達の支払い手段だ。
これはいくら使いすぎてもいいのだが、使いすぎると自分の生活水準(衣食住の水準)が徐々に下がっていくという仕組みになっている。
店を出て徐々に暖かさが増してきた通りを歩く。
目的地は駅の方向、次の処置対象は、ここから離れた空港にいる。
私は歩きながら、さっき空にした注射器の押し棒を引き、銀色の液体を充満させる。
「これは平行世界からきたと思われる人間をマーキングするものなの」
不思議そうに私の注射器を見つめていたレンの方をチラッと見て私は言った。
「平行世界?」
「そう、ifの世界。そこの人間が私達の世界に紛れ込むことがあるの」
「……はー」
「これを打ち込むと平行世界を管理する人間を呼び出せて、その人間の”処置”は彼等に任せる……たいていは元の世界に戻す処置が行われる」
「てことはあの人は気づかぬうちに元の世界に戻されるのか」
「本来はね、今回は何か違う気がするけど……」
私はそういうと、注射器と手帳をレンに押し付ける。
「え?」
「これは今からレンの物……ま、レンの支給セットから抜いてきたからね……ほかの備品は、とりあえず私の家にある」
「お、おう……」
「見本は見せた……後の人間の処置はレンがやって……対象は5人いるけれど、皆空港にいる……」
私はこれから、電車に乗って、私の身に起きることを予想しながら言った。
「電車で空港まで行って、そこからは手当たり次第に処置していく……」
「なぁ、なんか顔青くないか?」
「気のせい」
「ならいいんだが、具合悪いなら言えよ?別に俺に気は使わなくてもいいからさ」
私は少しレンの横顔を見て、前に向きなおった。
「なら、空港に着いた後で少し……」
「少し?」
「時期にわかる……」
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