第26話

「えーっと左江内さん。そちらはどちら様ですか?」

「誰だろうね」

「いや、誰はないでしょ」

 正論パンチだ。

 だが、私が答える義理はない。私は黙秘を貫き続けた。

「……ああ、もう」

 先にその沈黙に耐えられなくなったのはガブで、頭をかきむしりながらばつの悪い顔を浮かべている。

「別に僕はあなたの趣味に口を出すつもりは──」

「待った待ったストップ!」

 予想の斜め上な話の切り出しに思わず制し、そして即座にセエレの方へと視線を移すといつもと変わらない元気な笑顔を浮かべて立っていた。

「あの子は本当に知らない! ただ私が部屋の外に出ようとした時に開いた扉から入ってきたの!」

 全くの嘘である。だがセエレは否定の言葉を口にしない。

「本当ですか?」

 ガブがセエレの方に質問すると彼(?)はコクリと頷いた。

「なんだか楽しそうだったので来ました!」

 元気な答えだ。そしてなんと無邪気な笑顔。

 対してガブはと言うと天を仰ぎながらその顔を両手で覆っていた。

「…知らない人の部屋には入っちゃダメです。この人が小さい子大好きな変態かもしれないんですから」

「待てその言葉は──」

「分かりました! 気をつけます!」

 セエレは元気に返答し、そして私たちが言葉を紡ぐ前にそそくさと部屋から出ていった。

「あ、ちょっと待ってください!話は終わって──」

 彼を追って部屋を出たガブは廊下の真ん中で立ち止まり、左右にブンブンと首を振っていたが、やがてゆっくりとこっちを振り返ると、その顔色は青く、引きつった笑顔を浮かべていた。

「左江内さん」

「はい」

「僕たちはとんでもない存在と話をしていたらしいです」

「…はい」

 どうしよう口が裂けても悪魔、しかもソロモンの使いとか言えない。天界戦争起きかねない。

 そんな私の気持ちなど露知らず、勝手に震えていたガブは急に部屋のどこかに目線を行かせたかと思えば、スンと真顔になった。表情の変化が忙しないな。

「左江内さん」

「次はなに?」

「時間は大丈夫ですか?」

 何言ってんだ。まだ余裕あるでしょ。

 そう思いながら時計を見ようと振り返ると、時間はまだ余裕があった。だが、それはあくまで飛行機にチェックインするまでの、だ。

 その前に大きな約束が控えていたのをすっかり忘れていた。

「やっば!?」

「ほら急いで!チェックアウトはしておくのでクレジットカードとキーカードを僕に!」

「ありがと!」

 面倒なので財布ごと投げつけ、トランクケースを持ってダッシュで部屋を飛び出し、スピードスケーターやボブスレーも顔負けな急カーブ移動で階段を駆け下りながらホテルから飛び出し、幸運にも軒先で待っていたタクシーに飛び乗る。

「どちらまで行かれますか?」

 帽子を深く被ったしゃがれた声の運転手に聞かれ、私は元気に行先を命じた。

「羽田まで!」

「あい分かりました」

 ほんわかとした返事の後にタクシーは発進し、しばらくビルと住宅地が織りなす回廊景色が続いてていたかと思えば、目の前の小さな橋を境界に大きな旅客機とターミナルビルの住まう目的地が現れた。

「おお~」

「お客さん飛行機を見るのは初めてですか?」

 思わず漏れた感嘆の声に運転手のおじいさんから質問され、「いや、いつ見ても大きいな~と思って」と答えるとカカカ、と笑い声を上げていた。

 そして間もなくターミナル前に到着し、私は運転手に料金を支払いお礼を言ってタクシーを下車した。

 降りた後、背後から「お気をつけて」と声を掛けられお礼を言おうと振り返るとタクシーは既に出発した後でそこにはおらず、仕事の速さに内心少し恐怖した。

「そんなことより早くいかなきゃ!」

 電話した時に指定した待ち合わせ場所へ急いで向かうと、色々な人たちが既に待機していた。

 この中から探さなくてはいけないのかと思ったが、私はすぐに目的の人物を見つけることができた。

 白衣姿のまま銀のアタッシュケースを持って壁にもたれかかっている桜叔母さんはさながら映画のシーンにありそうな姿だった。

「あんまり待たせちゃ悪いかな」

 腕時計で時間を再確認し、トランクケースを握っていた手を改めて握り直しながら私は合流しようと一歩を踏み出した。

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社畜と社畜天使 諏訪森翔 @Suwamori1192

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