第18話
「せーんぱいっ!」
亜紀ちゃんはいつものように人懐っこい笑顔で声をかけてきて、私の対面する席に座ってくる。
「亜紀ちゃんどうしたの?」
「常務からこんなメッセージが送られてきたんですよ」
社用のPHSではなく完全私物のスマホの画面を見せてくると、そこには"常務"という名前で当落された人物からのメッセージがあった。
『久しぶりに会った友人が何か思い詰めていたっぽいし、愚痴を聞いてやってくれ。多分この店にいるはずだ』
読み終えた私はスマホを亜紀ちゃんに返すと彼女は笑いを堪えながら受け取り、今にも大笑いしそうな彼女へ問いかける。
「もしかして、すごい顔してる?」
「はい。なんだがイースター島のモアイ像みたいな顔をしてます」
ああ、そうですか〜、と投げやりな感想を言いながら残りのパスタを食べる。先程と変わらず美味しいのだがもうそれをゆっくり味わうほど私は心に余裕がなかった。
「それより、先輩はどうして急に辞めたんですか?」
「ぶっ」
「先輩!?」
唐突な質問に思わずむせ、亜紀ちゃんから差し出されたお冷を一気に飲んでなんとか事なきを得ると、彼女の安堵した表情は変わっていないはずなのに作り物の笑顔のように見えた。
「それで、どうして辞めたんですか? パワハラなどは私たちが証言するし、証拠もあるので絶対に大丈夫ですと言ったはずですけど」
「別に尻込みしたわけじゃないよ。ただ別でやりたい事が思いついただけ」
「高校時代から携わりたいと願っていたこの職場を辞めてでも?」
「そうそう。だから逆恨みが怖くて──」
途中までペラペラと饒舌に話しながらも、私はあることに気づき押し黙る。なんで亜紀ちゃんは私の高校生の時からの夢だと知っている?
彼女の顔を見ると、僅かに動揺の色が見え、何かしらの手段で知ったのだと分かった。
「なんで私が高校生の時から入りたかった職種を知っているかは置いておくわ。でも、その代わりこれ以上は何も聞かないで。不可侵よ」
「....分かりました」
私からの提案に亜紀ちゃんは自分が不利だと分かっているため、渋々了承し、これでひとまず職場へのケリは付いたと安堵した所で、タイミングよく店員さんがデザートを持ってきて机の上に置いてくる。
「でも、食事をしている間は適当な質問に答えなくもないわよ?」
「本当ですか!?」
即座に瞳に光を取り戻した亜紀ちゃんの様子はまるで子供のようだと思いながらも、その純粋無垢さを持ったまま成長した彼女へ私は少し嫉妬心も覚えた。
「それじゃあ、これから何をするんですか?」
「日本全国を回ろうかなって思ってる。幸い貯金はたんまりあるからね。あ、これ返しておいてくれる?」
私はPHSを差し出すと亜紀ちゃんは二つ返事でそれを受け取り、旅行という回答にへー、と声を漏らしていた。
「やっぱり新幹線とかを使う感じですか? あとはレンタカー?」
「そうだね〜。それがいいね」
私たちの熱気で少し溶けたバニラアイスに熱々のエスプレッソを注ぎこみながら、旅行に対するプランをなんら考えていなかったことに今更気づいた。帰宅後に要検討せねば。
「先輩は相変わらず最後は
「特には無いかも。ただ、この甘いのと苦くて冷や熱いって感覚が好きなの」
「それじゃあアイスの天ぷらとかも好きそうですね」
「なにそれ。食べてみたい」
私は珍味は大歓迎だと言わんばかりに亜紀ちゃんの言葉に食らいつく。きっとこの時の目は瞳孔が開いていただろうなあ。
「お父さんが昔よく連れていってくれた天ぷら屋さんなんですけど....あったあった。私から連絡を入れておくので好きな時に行ってください」
「ありがとう」
ボンボンつよー。連絡一つで無期限予約ですかー。
「あ、あとお寿司屋さんとかにも一言入れておきます? ○○っていう銀座のお寿司屋さんと△△さんだとどっちがいいですか?」
「じゃあ△△で」
どっちも要人御用達のお店じゃん。え、予約されても払えるかな。
「安心してください。
「女神すぎて泣きそう」
「大袈裟ですよ〜」
亜紀ちゃんは照れ臭そうに言いながらスマホで二つの店へ電話を入れるために席を立ち、一人残った私は温くなったウインナーコーヒーもどきのアフォガートを飲み干す。
「ふう」
アフォガートは口内に飛び込んでくるとエスプレッソの苦味をコーティングするようにアイスの乳成分と甘味が駆け抜け、脂肪分のぬるみを残して去っていった。
「これが気に入らない所だけど」
お冷を一口含んでぬるみを消し、ゴクリと飲み込むと先程の温みとは打って変わって針のような刺激的な感覚が食道を落ちていくのを感じ、余韻に浸っていると連絡を終えた亜紀ちゃんが戻ってきた。
「おかえり」
「いつでも来ていいって言ってました!」
神だよ。本当に。
「本当にありがとうね。ここの代金ぐらいは、"先輩"の面子を立たせてくれると嬉しいんだけど」
「良いですよ。でも、陽七乃先輩はこれからも私の先輩に変わりはないので、いつでも頼ってくださいね!」
泣けてくる。こんなに良い子がブラック企業のうちに入ってくるなんて....。
昼食を終え、私は二人分の代金を払い終えて彼女と一緒に店を出ると日差しはだいぶ柔らかくなっており、しかし変わらず同じ場所でさんさんと光っていた。
「夏だねー」
「はい。夏です。──あ、先輩、これを」
一緒に目を細めながら太陽を見ていた亜紀ちゃんは急にカバンの中へ手を突っ込み、しばらく漁ってから和紙で包まれた物体を渡してきた。
「これは?」
「開けてみてください」
言われるがままに和紙の封を切り、中を改めるとそこにはお守りが入っていた。
「え?」
「ほら、うちって神社じゃないですか。これはお父さんから貰った由緒あるお守りで、幼少期の私を様々な霊障から守ってくれた守り神なんですよ。今はもう自衛の術を得ているので、先輩の旅の安全を守ってくれるように託します。出来れば私だと思ってくれると嬉しいです」
「ありがとう。私もいつも亜紀ちゃんのことを思っているよ」
「えへへ」
偶然にももの○け姫の序盤のようなやり取りをして分かれた私は後輩からもらった餞別の品に嬉しさと感動を、そして会社を辞めたという解放感から浮き足立つ足を抑え、平静を装って帰路についた。
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