前日譚
「ごめんなさい...」
はいはい、その言葉は聞き飽きたよ。
そんな事は口が裂けても言えない。俺の口からは。
「貴方は頑張ったんだ。周りはその頑張りに気付けなかったのが駄目だし、君もそれを表面化させなさ過ぎたんだよ」
「うう...ありがとうございます」
また泣き始めた。いつもこれだ。
偽りの笑顔と慈愛を装った声で安堵し、全てを肯定されることに不快を覚え、少し否定されたいのに否定するとそれに抗議する。
「全く反吐が出る」
連れていた人間を引き渡し、次の仕事まで五分の余裕が出来たことに散漫して思わず口からついて出た。
「そういう言葉、ここ以外じゃ言えませんよ?」
「...いたのか」
目の前には見た目は若い青年の同僚兼友人がソファに腰掛ける老けた見た目の俺を見下ろしていた。
「別にここで毒を吐くのはいいですけど、彼らの前で言えばそれこそ信頼問題に発展します。気をつけてくださいよ?」
「分かってる。だが、最近はあまりにもひどくてな。手に余る」
「老人みたいなこと言ってますね」
その指摘に思わずフッと苦笑を浮かべてしまう。
「ああ、老人なのかもしれない。ならさっさと退職でもして君たちみたいな若い後輩に任せようか?」
笑顔を浮かべながら冗談のつもりだった。だが、彼にとってはお気に召さなかったらしく不快そうな顔を浮かべて首を横に振った。
「それは違反ですよ。どうなるかは知っているでしょうに」
「分かってる。冗談に決まってるじゃないか? 終身雇用と言うのも考えものだな」
嘆いたように言っているとポケットに入れていたタイマーが鳴って休憩時間が終わったのだと告げて来たので、立ち上がる。
「ノルマ達成、頑張ろうや」
「そちらこそ」
拳と拳を軽く当てて互いを激励し、部屋を出ると陽光が目を突き刺してきた。
億劫だが、仕方ないし仕事なので重い足取りで次の現場へと向かう。
「そうか。今は夏か」
現場であるユニットバスで腐乱が進んだ遺体のそばですすり泣く人を見ながら他人事のように呟き、その声を聞いた人はキッと顔を上げてこっちを見て来たかと思えばさらに泣きわめく。
「大丈夫。もう誰もあなたをいじめる人も、過度な期待をする人もいないのだから」
手順通りに優しく抱きながら励ましの声をかけてその人の興奮状態を押さえていき、会話が成立するほどになってから部屋の外へと連れて行った。
「あの、これからどうなるんですか?」
「そうだな。契約を結ばされる」
「契約って?」
近くの公園のベンチで腰かけ、はしゃぐ子供たちを見ながら二人で話していると過去の事例と瓜二つな反応を示してくる。
「まあ、簡単に言えば終身契約。その時が来るまで働く」
「は、働く!?」
素っ頓狂な声を上げてベンチから立ち上がる。子供たちはこちらへ一切視線を向けてこない。
「ああ。別に君が前に働いていた場所よりはいい所だぞ? 福利厚生しっかりしてるし、何より休みはきちんと───」
「そんなことはどうだっていい!」
話を遮って吠えてくる。
「なんで?
「もうやめてくれ!」
ついに両耳を押さえてしゃがみ込み、嗚咽を漏らす彼を見ても憐みどころか胸に浮かんだ感情は全く対極をなすものだった。
ああ───
「うっざ」
「え?」
思わず口から出て来た言葉に彼は鳩が豆鉄砲を食ったように間抜けな表情でこっちを見てくるのに俺はマズいなと思いつつも一度出た言葉は調子に乗って彼へと襲い掛かる。
「だってさあ、君は働いていた場所が嫌で行かなくなったんでしょ? そんでもって少なからずいた友人たちからの優しい声かけも振り払って引きこもり、最後には───」
「やめろ、やめろ!」
ああ、もう駄目だ。現実から目を背けさせはしない。
「自ら命を絶ったんだからな」
そうだ。彼らは人間じゃない。かつて人間だった
「笑わせるよな。逃げるために周りを巻き込んで死んで、その後には
「あ、ああ...あああ!!」
今度こそ地面に顔を埋める勢いで突っ伏し、周りに聞こえない文字通り魂の叫びを響かせていた。
「で? 引き受けるの?」
泣き疲れた───いや、正確には無き飽きた名無しの魂はあまり腫れていない目元を拭って決意の籠った眼で俺を見てくる。リストはまだ見ていないがどうやら生前は中々いい人間だったらしい。
「ああ、受けてやるよ」
「よし。お前の仕事は回収だ」
「回収?」
さっきと似たような疑問を口にしてくる。
「自殺した魂を回収して届けるだけだ。簡単だろ?」
「分かった。それで? アンタの事は何て呼べばいいんだ?」
生前着ていたヨレヨレのスーツの皺を少し正しながら問う彼は覚悟が出来上がり既に一人前を気取っていた。
「そうだな...ガブリエルとでも呼んでくれ。ちなみに新入りのお前は
「オーケー。その名前を奪ってやるよ」
「ほう? 早速宣戦布告か」
だが、俺の名を奪うのは不可能だとはこの場ではあえて言わないように殺しながら血の気が多い期待の新人の額を指で小突くと少し上ずった声で反抗してきたので面白くなった。
そこから新人の活躍はすさまじかった。あっという間に
「普通は十年くらいかかるんだが、まさか四年で最下層から這い上がるとはな。どんな手を使ったんだ? まあ、つい最近デカいのが発生してたからな。それか?」
「それもありますけど、文字通り真面目にコツコツとここまで来ました」
言葉遣いも丁寧になり、笑顔も心なしか柔らかくなった気がする。だが、なんだ? この胸騒ぎは。
今日は部下の晴れ舞台だ。そんな邪推は抱くだけでも不敬だと追い払い、咳払いをして巻いていた羊皮紙を広げて授与を始める。
「さあ、お前に名を授けよう。お前の名は───」
ピピピッ! ピピピッ!
「んぇ?」
「起きてください先輩! 休憩時間とっくに過ぎてますよ!」
身体が、気怠い。と言うよりは自分ではない誰かの懐かしい夢を見た気がする。きっとその夢の情報量が莫大すぎてまだ処理しきれていないんだ。
「ふぁ~、ああごめんごめん。ちなみにどれくらい過ぎてた?」
「三分休憩なのにたっぷり十五分も寝てました。ほら早く早く!」
まだ上の空な身体を無理矢理に起こされて部屋の外へと投げ出され、どこかの道路にバタンと叩きつけられ、起き上がる。
「全く...人使い、いや天使使いが荒いなあ」
そんな事を呟きながらポケットに入れていたクシャクシャのメモを取り出し、中に書いてある特徴に当てはまる建造物を探す。
「あー? あれか」
見つけてからその建造物に近づき、ポストを見て対象を探していると背後に気配を感じた。人間ではない、もっと別の何か。
少し嫌な予感がして振り返るが誰もおらず、胸の奥でズキンと鋭い痛みが走り、歯を食いしばる。
「まあいい。今日の最後の対象は見つけたからね」
錆まみれの階段を上がり、ある部屋の前に立ってネームプレートを確認する。
「左、江、内...うん。ここだね───
だがそんな一時の疑問に割く時間はない。ノブには手を触れず、通り抜けるとゴミが満載の袋や空き缶が転がっており、一瞬入る場所を間違えたのかと思ったが正解だった。
「さすがにマズいだろ」
これは駄目だと思いながらとりあえずゴミ袋たちをゴミ収集車たちの中へと転送していき、空き缶は不思議な力(本当に原理が分からない)で圧縮して存在を抹消し、そして最後に軽く掃除をして奇麗になった部屋を満足げに見ているとゾンビのように力ない足音がこちらへ近付いて来ているので電気を消し、リビングで正座をして待つ。
「ただいま~」
おかえり、と言いたくなるのをぐっと抑えて正座する。
しかし、勘が鋭いのか野生児なのか見えない僕の存在に気付き、即座に様々な考察を飛ばす。全部悪いやつだったけど。
「ああ、そういうのは気にしないので大丈夫です」
「は??」
困惑した声と共に一瞬、暗闇の中で対象と目が合い硬直したことにより空気が固まったがすぐに覚悟を決めたのか電気のスイッチを入れ、周りが明るくなった。
「まぶしっ」
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