第15話

「良い風呂だった~」

 最高。湯船に浸かれることがこんなにも幸せだったのかと痛感しながらホカホカと湯気が上っているうちに冷蔵庫を開け、缶を一本手に取ってプルトップを引く。

 カシュッと小気味のいい音と共に僅かに聞こえる炭酸の泡が弾ける音。

 我慢できず一気に口を缶に添えて流し込む。

 ゴクゴクと喉を通り過ぎていく刺激、身体に染み渡りじわじわと現れる高揚感と満足感。ああ~この世の極楽。

「っはあ~!」

「良い飲みっぷりですね。最近死にかけた人とは思えないです」

「あ、話は終わったの?」

 ビジネススマイルを浮かべながら労ってくるガブリエルへ気持ち悪さも抱かず、寧ろ景気のいいオッサンのように感謝を覚えながら家に戻ってきた彼へ聞くと首を縦に振ってから突然右手の中指に付けていたリングを外して私に渡してきた。

「え? なにこれ」

「おまじないですよ。旅路の無事を祈って」

「天使様から貰えるなら、ありがたく」

 受け取り、手のひらでそれを転がす。見た目死にかけの天使とはいえ男性(?)なので、中々に大きなリングは私の指に合うのか不安だった。

「大丈夫です。はめてみてください」

「右手の中指?」

 うんうんと頷いてきたので中指にはめてみる。するとさっきまで大きかったリングはなんの力が働いたのか私の指にピッタリとはまって違和感もなかった。

「へえ~」

「それでは、僕はこれで」

「えっ」

 ガブリエルはペコリと会釈をしてそれから私が何かを言う前に部屋を出ようとするので思わず玄関前で彼の袖を掴んで引き留める。

「なんですか?」

「あ、お礼言うの忘れてたなって思って」

 とっさに出て来たアドリブは直近の出来事に当てはまるのでガブリエルは小さく頷き、礼を言うなら早くしろと目で言ってきた。なんて野郎だ。

「あの時、私を助けに来てくれてありがとう」

「仕事ですから。魂をきちんと天の国にまで案内するのに、地獄へ先に落ちてしまったら元も子もないので」

 そこはもう少しオブラートでもよくない?

「あとさ、一緒に来てた天使にもお礼を言っておいて」

「一緒にいた? 誰の事ですか?」

 コイツ手柄を独り占めしようとするって中々クズじゃね? そんな思いは置いておいて(どうせバレてるけど)むっと顔を膨らませて昔ミスをしていた亜紀ちゃんを叱る時のような口調で話しかける。

「ハシュマルいたじゃん。彼か彼女によろしくって言っておいて」

 ガブリエルは一瞬キョトン、とした表情を浮かべていたがすぐに考え込むような動作で指を鳴らして笑顔に戻った。

「ハシュマル...ああ、彼。分かりました。言っておきます」

 にゅっとドアを透過して去る間際「明日の朝、迎えに来ますので待っててくださいね」と言い残して向こうへと消えていった。

「明日の朝って...」

 一人取り残された部屋で呟き、気分を替えてリビングへと振り返る。

 桜叔母さんが一回来たという事もあり一昨日とは打って変わってとても整理されて、所々に指南や一言が書かれたメモが貼られている。若干の毒を添えて。

「 洗い物はしっかり水気を切る 総菜は賞味期限が切れて四日経ったら捨てる って...」

 冷蔵庫の中にある作り置きが入ったタッパーの上にあるメモ達は圧をかけながらも温かい文字で同時に励まし、そして蓋を開けてさらに胸が熱くなった。

「覚えててくれたんだ...」

 一つのタッパーの中は私の好物である肉うどんのが入っており、もう一つには辛子明太子を使ったおつまみが入っていた。

「 病人だから食べすぎ注意 って余計でしょ」

 本当に考えてたら作ってくれないと分かっているからこそ余計にありがたみがしみじみと感じられ、同時にグーと腹の音が豪快に鳴り響く。

「うどんはあったっけ...」

 整理された冷蔵庫の中をガサガサと漁るとあったあった。〇ちゃん正麺のうどん袋があった。

「絶対これ買い足された奴だな」

 自分が買ったうどんは確か半年前に見たのを最後に缶の山の向こうに隠れてねまっているだろうから、これは叔母さんが買って入れてくれた新しいうどん袋なので食べられる。なんだこの判断基準。

「ささーっと作っちゃいましょう」

 封を切り、同時に手鍋へ水を注いでコンロの上に置き強火にさらす。

 沸騰するまで待ち、ぐつぐつとなり始めた頃に勢いよく──ではなく優しく、そっとグツグツと音を立てる湯の中へと突き落として箸でグルグルと変則的に右回り、左回りを繰り返すこと五分。

「ざるは...よいしょっ」

 ざるをシンクの上に持っていき、その上から手鍋を勢いよくどばーっと注ぎ込むと湯気が舞い、ざるの上ではホカホカと白いオーラを発すうどんがデローンとしていた。

 それらをどんぶりの中へといったん避難させ、うどんを茹でていた鍋の隣で弱火で昆布だしやら鰹節やらで出汁を取っていた手鍋へ砂糖やみりんで味付けをし、どんぶりへと注ぎ込む。

 じゅわーっとほのかに湯気を上らせながらうどんは中で踊り、鼻腔の奥いっぱいに良い香りが澄み渡って早く食べたい衝動に駆られる。

「さーて、ここはあえての冷えた状態で...」

 そして温かいうどんの中へ桜叔母さんが作ってくれた肉うどんのを入れ、完成!

「天かす入れてもよかったな」

 リビングにある机の上に運び、キンキンに冷えているお酒ではなくお茶をコップに注いで準備完了の私は手を合わせる。

「いただきます」

 さあまずは一口お肉を...。

「うま~」

 思わずだれる声が出る程肉は味が染みており、そして適度に柔らかかった。万能すぎるよ桜叔母さん。

「ズズッ、ズズ...」

 うどんたちと一緒に啜り、咀嚼すればするほど中では味がコロコロと変わり、飽きることがない。と言うか、いつもは多めにしていた出汁への味付けを無意識にセーブしていたおかげでと味が喧嘩せず、仲良く口の中で共存している。

 あっという間に食べ、しかしそこまで満たされていないお腹は控えめな腹の音を出して主張してくるが正直これ以上食べて寝たら太りそうなのでスルーしようかと思った矢先、病室から持ってきたバッグが視界に入り、その決意は砕け散る。

「まあ、夜は長いしおつまみでも一緒に食べますか」

 少し大き目のジョッキを棚から取り出し、中に缶の中身を注いで置き、小皿におつまみを取り分けてそれも隣に置いて真ん中には私が書いた”ノート”を置いた。

「まずは一杯」

 風呂上がりの一杯を無視し、一気にぐびっと飲む。

「っかあ~!」

 自分でも分かるくらい幸せに歪んだ顔をアイツに見られなくてよかったと思いながら早速ページを開く。

「これとこれは叶ったでしょ? あと、これも...あ、まだ書いてないのもあったな。ここはいらないな」

 最後のページに書いていた言葉と小さな落書きを破り、ゴミ箱へ捨ててからカリカリと鉛筆を進めたり斜線を引いて消したりを繰り返しながらジョッキを呷り、おつまみをつまんで気づけば時計の針は丑三つ時を指していた。

「準備を先にしちゃうか」

 進める手を止め、タンスの中から服を取り出したりしてそれをいつぞやの海外旅行で買ったアンティーク調な旅行鞄へと詰めたりしてとりあえずの準備を済ませた私は鞄を閉じてまるでファンタ〇ティック・ビー〇トの主人公のようにロックをしてそれを机の近くに置いて再びノートを進める。


 

 チュンチュン、チチチ!



「...んえ?」

 なにやら外が賑やかだ。いや、これは.....

「ったああああ!!」

 お酒の飲み過ぎで頭がグワングワンとして、聴覚過敏になっているだけのこれ以外を除けばなんら変わり映えのない朝だった。

「いたた...うわ」

 机の上には中身がない状態で横になるジョッキと空き缶数本、そしてなんか色々書き足されたノート。

「完成したって事でいいかな?」

 昨晩の自分を褒め称えながら冷水をコップに注ぎ、それを飲んで時計を見る。まだ朝の六時半だ。

「刻み込まれた習慣ですかい」

 皮肉かな、と思いながらいくらかマシになった頭とバッキバキの身体に鞭打ってスーツではなくお洒落な旅装で身を包む。勿論、紋章が見えないよう露出は控えめな服装だ。いや、五月とはいえまだ肌寒いもん。部屋の奥にある『祭壇』の中心部に置いていた神代もどきを手に取る。

「まさか使う日が来るとは」

 感心しながらそれを通勤用バッグへ入れ、歯を磨いて最低限の化粧をして玄関で靴を履いて電気を消す間際、振り返った。

 思えば、ここでの生活も案外窮屈ではなかった。と言うか、半分以上は脳死で過ごしていたからかもしれない。

「でも───さようなら」

 なんら変わり映えのない友人たちと過ごす、残り僅かな楽しい日々へ私は背を向け、最後の戸締りを確認し、階段を下りる。

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