第14話

「くそっ!」

 奇麗に机の上にまとめていた書類を叩き落し、山上夏輝は頭を抱えていた。

 理由は自分のむすめの病の事だった。

「どうしてここにまで気づかなかった...いや、なんで分からなかったんだ!!」

 黒い影が差すレントゲンを見ながら再び怒りが沸き上がった彼は机に拳を振り下ろし、誰もいない当直室に鈍い音を響き渡らせる。

 拳からじわじわと来る痛みに堪えるようにギリと歯を食いしばり、いくらか頭に昇った血を冷ますためコーヒーメイカーから一杯を注いでいると静かだが慌ただしい声と足音が外から聞こえてきた。

 深夜なのに騒がしいなと思いつつも嫌な予感を感じ、それも一緒に忘れ去ろうとコーヒーを一気に口に含んだ瞬間、山上を見つけた看護師が入ってくる。

「山上先生大変です! !」

「ぶっ!」

 思わずコーヒーを吹き出した。




「ひゃっほおおおう!!」

 我ながら下品な声を上げているなと思いながらもそれほどにまで眼前の景色に興奮を抑えられない。だって私は今、

「いえええええい!!」

 セエレも一緒になって声を上げてくれ、私も負けじと空へと吠える。

「うおおおおお!!」



「セエレ、来て」

「はいはい! なんです───ちょっ!? 服着てください!」

「ああ、ごめんごめん」

 紋章をなぞりながら呼ぶとセエレはすぐにどこからともなく現れ、そして顔を赤くして自分の視界を塞ぎながら可愛い声で抗議の声を上げてきた。ちょっとだけ自分の身体に自信が持てた。

「それで、どこに連れて行ってほしいんですか? それとも何を持ってきますか?」

「もうその目隠しはしなくて大丈夫よ」

 シャツを着て、まだ両手で顔を覆い隠す彼へ言うと恐る恐ると言った様子で手を開いてこちらを覗き込んで、安心したのか完全に両手を放して尻についた汚れをパンパンと払って跪いて上目遣いでこちらを見てくる。

「そうねえ...じゃあ、セエレにとって一番きれいな場所に連れて行ってくれない?」



「ありがとうね。セエレ」

陽七乃さんマスターのお願いならいつでもいいですよ!」

 本当に天使みたい。アイツとは文字通り天地の差ほどだ。

「悪魔ですからね一応は。僕もソロモン様に使役されている栄えある七十二柱の一柱ですから」

「うんうん。なら、代償は何を求めるの?」

 今なら大体は投げ出せると思い聞くと彼は意外そうな顔を浮かべ、すぐに笑顔へと変えて首を横に振る。

「代償なんていりませんよ!」

「ゑゑゑゑ??」

 悪魔の概念を問い正したい。そんな事を思っていると視界を射抜く一筋の光が見える。

「もうこんな時間か」

 セエレの少し驚いたような声を聞きながら私は目の前に広がるオレンジとダークブルーが織りなす景色に見惚れて声を失っていた。

 だが、ふと私は現代にも召喚されていると自称している彼に対し、少しイタズラがしたくなって大学時代に遊んでいたゲームのセリフを口にしてみる。

「東の空に明るみが...朝が来る」

「何言って───ふふ...僕らの夜間飛行が終わる」

 コイツ分かってるな? そう思っているとセエレもまたニヤリとし、セリフを続ける。

「見たいなあ。一番奇麗な朝焼けを!」

「朝は訪れ続けるのさ。変わらぬ太陽がこれからも、な」

 しばらくの沈黙。

「....そうだ。来週誕生日だったんだ....僕」

「見ろ。生きていればいいことがある」

「陽七さんが...生きて帰ってきたらみんな喜ぶでしょうね」

 そこでアドリブをかますな。泣いちゃうでしょ。

「お前自身が二人を───いや、もう変になっちゃうね。ありがと、茶番に付き合ってくれて」

「僕も楽しかったからいいですよ。それでどうしますか? このまま病室へ戻るつもりなんて、毛頭無いんでしょ?」

 初めて見せる青年らしからぬ少し意地汚さとからかいの籠った視線で聞いてくる彼へ私も同じような笑顔を浮かべて(いたはず)頷き、下を指差す。

「急降下ですか?」

「違うわ。私の自宅。てか、悪魔にも誕生日ってあるの?」

「ありませんよ。あ、もう着きましたよ」

 はっや。

 彼に言われた通りに周りを見ると、なるほど確かに見慣れた寂れた景色が広がっており目の前にはそれなりに年季の入ったアパートが立っていた。

「よいしょっ....ありがとうね。セエレ」

「何か用があればまた呼んでくださいね。あ、服は着た状態で!」

「ははは!」

 からかうような言葉を最後にセエレの姿は馬と共に消え失せ、一人残された私にはどっと徹夜明けに我が家を見た時と同じくらいの疲労感が襲って来て階段の手すりに身を預ける。

「ふう、ふう...これもしかして狭窄症の症状だった?」

 額と背中に浮かんだ気味の悪い汗を洗い流すべくカンカンと軽い音を立てながら上がって行き、自分の部屋のドアへ鍵を差し込んで捻る。

 ガチャッと錠が解ける音と共にドアを開くと冷えた空気が足と首筋を舐め取って通り過ぎて行った。

「冷え...」

 思わず口を突いて出たつまらない冗談に自己嫌悪を覚えながら靴を脱ぎ、リビングへ入り電気を点ける。

「まぶしっ」

「...何でここにいんの?」

 何故かガブリエルが暗い私の部屋でスタンバっていて中々オーバーなリアクションをしているので白い目で見つめているとシュンとしたがすぐビジネススマイルを浮かべながら立ち上がった。こう見ると背高いな。

「あ、初対面の時は同じくらいでしたね」

 そう言うと彼と私の視線は対等なくらいにまで縮む。なんでもありかよ。

「天使なので」

「それ便利だよね」

「はい。あ、あと“例の計画”いつでも行けますよ」

 待ってました。思わずニヤリとし、ガブリエルはその浮かんでいる私の顔を見て少し顔を歪めていたので相当悪い笑顔だったんだろう。

「天使を使ってこんな計画考えるの、中々悪いかもね?」

「中々、じゃないです。 か な り です。それでは───おっと」

 早速仔細を話そうとしたガブリエルは急に顔を曇らせて目の前で手を合わせ、謝罪の意を示しながらベランダの向こうへとガラスを透過して向こうへ消えていった。

「便利な能力だよね~」

 一人呟きながら私は冷蔵庫の中を確認し、賞味期限も炭酸も抜けていない缶ビールを確認してから替えの下着を持ってユニットバスへと向かう。久しぶりのお風呂だ! 蒸しタオルさようなら!




「ああ。向こうに消えていった。話していいよ?」

 ベランダのバルコニーで両手をポケットに突っ込みながら立つ男は呟くと隣のバルコニーへいつの間にか病院でも会った青年が現れ、顔も向けずに話し始める。

「とりあえず了解は得られました。ですが、僕やあなたと同じくあの御方たちもまた作られた存在。気変わりするかもしれません」

「構わない。一時の了解が得られればそれは誓いだからね。そうなれば君さえ裏切らなければ手は出せない」

「まさか全部分かってて一番最初に僕に話したんですか?」

 青年は手すりの上で頬杖をつきながら隣の男へ顔を向けて投げかけると男はフッと笑みを浮かべ、首を横に振った。

「それは買いかぶりすぎだよ。僕は身近な者の嘘にさえ気づけなかったんだから...」

 その言葉は青年へと言うよりはまるで自身へ投げかけるように嘲笑を浮かべながら呟き、両手で手すりを掴んで僅かに身を乗り出す。

「だが今は違う。彼女に悪意を持って近づく者は許さない。頼むよ?」

「それについてなんですが...かなりマズイ事態に陥っています───うわっ!?」

 青年は濁した言い方で話すと一瞬の間にその胸ぐらを男に掴まれ、彼のいるベランダの方へ引っ張られ宙ぶらりんの状態で鬼の形相の男と対面する。

「誰だ。誰が来る!」

「ご、“59”...と“盲目の管理者”が来るそうです...どちらも己の意思で動いているそうです...あっ」

 男は目を見開いて手を放し、思案を張り巡らせる。

「管理者は“邪眼”持ちのか?」

「そうです。てか、突然手を放さないでくださいよ!」

 青年は背中に羽を生やし、男の隣に着地しながら不平を申したが男は聞いていないのかしきりに「邪眼...オリアス...侯爵...」と呟き続けており、突然顔を明るくさせて指をパチンと鳴らした。

「対策はこっちで講じる。君は彼らの動向を逐一報告してくれ」

「仰せのままに───ちなみにどっちですか?」

「どっちもだよ。君の配下を使えば出来るだろ?」

 男はここで初めていつものようにイタズラっぽい笑顔を浮かべながら提案すると丁度部屋の中から鼻唄が漏れ聞こえ、部屋へ戻ろうとし、入る間際に青年へ念押しをして消えた。

「職務はきちんとこなしているから文句言いづらいんだよなあ...」

 バルコニーに一人残された青年は頭を掻きながら呟き、その直後に一本の羽をその場に残して消えていった。

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