第12話

 暗く広い部屋の中、目の前の壁に大きく設置された水鏡で遠くの光景を間近で見ていた男は腹を抱えて笑っていた。

「面白い....面白いぞ人間!」

 笑いすぎて浮かんだ涙を拭いながら男はこちらを睨みながら威嚇してくるボロを纏った女の近くに出口を出現させるべく指をパチンと鳴らす。

主天使ドミニオンが来たことは不問にしてやろう」

「はあ!? 私は!?」

「笑わせた事には感謝してる。だが、冥界の主に働いた狼藉は相殺できぬぞ」

 そう言いながらケルベロスを向かわせ、最後に狼藉を働いた功労者の顔を拝もうと視線を向け、男は思わず声を漏らした。

「この女....我を睨むか。絶望せず、渇望もせずただ純粋に軽蔑の意を込めて」

 ボロを纏う女は男から見て高潔さとは程遠い存在であるが、その芯は確たる強さと誇りがあり、感心の気持ちも湧く。

「だが、所詮は咎人だ」

 男は抱いていた興味や関心を全て捨て去り、冷酷な主人として命令を下す。

「殺せ」



 私の目の前にいたケルベロスは大きく口を開き、それを見届けてから目を閉じる。

 けれども、いつまで経っても食われたという感覚は湧かず、おかしいと思いなが恐る恐る目を開くと正面には大きく開いた口に剣を突き刺し、阻止している人物が立っていた。

「はあ...本当にヤンチャが過ぎますよ」

「な、な...ガブリエル!?」「そんな!?」

 ガブリエルはため息をつきながら剣を犬の口から引き抜き、黒い返り血でスーツを染めながら振り向く。

「わっ」

 反射的に何かされると思った私は咄嗟に両手で頭を守るとその上から優しく撫でられる。

「すみません」

「へ?」

 初めて聞く優しい声に思わず素っ頓狂な声を上げながら彼を見ると、すぐにこちらから視線を外して背後のドミニオンを見た。

「無理言ってごめんね。最初の仕事をこなしてくれ」

「わ、分かりました!」

 ドミニオンは慌てた様子で私の手を取り、いそいそと岸の方へと走る。

「ちょ、ガブ!」

「あの方は大丈夫です! まずはここを超えるのを最優先で!」

 遥か向こうの見えない向こう岸──すなわち現世へ行く手段が無いことに気付いたドミニオンは両膝をついた。

「飛べないの?」

「生憎死者じゃない魂は運べません」

 ドミニオンのきっぱりと言い放った言葉に頭を抱えていると川の向こうから声が聞こえてくる。

「おーい! こっちこっち!」

「知り合いですか?」

「知らない」

 ボートの上から手を振りながら近づいてくる人物の顔をまじまじと見て私は気づく。

「私じゃん!」

「カロンです!」

 憤慨を顔に表しながらカロンは吠えてきた。

「カロン。ああ、そうなの───はぁ!?」

 思わず声をあげて驚くとドミニオンも唖然としており、一緒に棒立ちでいると背後からズウン.....という腹に響く衝撃音が聞こえ、はっとする。

「ほら逃げるんでしょ。急いで」

「あ、そうじゃん!」

 乗り込み、発進したボートを見てからドミニオンは遅れて我に返ったのか慌てて走ってこちらに近づいてきたがあっという間に離れて行き、乗り込めず岸に置いて行かれてるのを見る形となった。

「一人忘れてる!」

「天使だし大丈夫」

「それもそうだね」

 サッパリとしてんなあ。私ら。

 どんどんスピードを上げ、行きの時とは対照的な荒っぽい操舵に揺られながら私は舟渡の顔をまじまじと見る。

 ちょっと鋭い目つき、まあまあ整った鼻立ち、そんでもってはきはきと喋りそうな口元。既視感しかない。

「本当に私の顔とそっくりだね」

「まあ、押されちゃったし?」

「意味わからん」

 ため息をつくカロンは初対面の時とは違って困惑をこれでもかと浮かべており、そのギャップの凄まじさに少し可笑しさを覚える。

「舟渡として何者でもあれ船賃を渡さない魂は乗せないと言う平等を持ち、その際に顔を持つのはよろしくないという事で剥がれたからあーなってたの」

「グロイ話すんな」

「でも、剥がれたというよりかは凹凸のある地面が平らにならされたっていう表現が合ってますかなあ。というわけで上から何かが強く押されるとその跡がついちゃう.....言っている意味わかる?」

 スタンプ台でスタンプをミスった色紙を見た時と同じ気持ちが湧いた。

「ひどーい」

「つまりお前は色紙だ」

「人間ですら──あ! ハリウッドで有名だった俳優!」

「マジ!? どこ!?」

 不謹慎すぎると思いながらも生で見れるなら、と私は少し身を乗り出して川で泳ぎ続ける影を見る。

 そして気付いた。

 冥界ここに来る人たちは皆、影で来ることに。

「ねえ、どうやって見分け───」

 振り返るとカロンがこちらへオールを振りかぶり、笑顔で立っていた。

「チッ....まあいいや。さようから!」

 舌打ちをしながら彼はこちらへ振りかぶっていたのを振り下ろし、私は両手で頭を守るようにしながら狭いボートの中で回避すると振り下ろされたオールは船首にぶつかり、鈍い音を立てて船を揺らした。

「何すんだ!」

「あなたが死ねば、その魂が手に入れば少なくとも向こう数百年はつまらなくない。それだけ!」

 意味がわからない。

「何言ってんの?」

「もしや、気づかなかったの? これはすごいなあ!」

 ケラケラと笑っているはずなのに目は据わったままオールを再び持ち上げ、じわじわと近寄ってくる。

「実は気になってたんだよね~? 生きてる魂って死ぬのかなって!」

「あああ!!」

 追い込まれた。死ぬのか。

「させませんっ!」

「なにっ!?」

 カロンの背後から飛来した光はタックルをかまし、オールが川に落下し一時の延命が叶う。

「ありがとう助かった! えーっと...」

「ハシュマルです! それとこれを!」

 背中から一対の羽を生やしながら主天使長ハシュマルは抱えていたカロンを船主側へ投げ飛ばしながらこちらへ一枚の小さな紙を取り出した。

「これなに!?」

「自分の血をそれに塗ってください! それで───」

「させるかあっ!」

 説明をしていた彼へカロンは飛び掛かり、渡そうとして来た紙が宙を舞う。

 本能で何かマズイと思った私は飛んでいる紙めがけて躊躇いなど一切見せずボートから身を乗り出してそれを掴み取った。

「そんで血文字を...血文字!?」

「指先を少し切ってそれに塗るだけです! それだけ!」

「それを寄越せっ!」

 ハシュマルの拘束を振り払い、こちらへ迫ってくるカロンの形相に怖気づき、足がすくんでしまったが私は唯一の活路を瞬時に見出した。

「でも...いや、死んだらあとはよろしく!」

 そう言って川へと飛び込む。

「なっ!?」「正気か!?」

 飛び込んだ川は真冬のそれよりも冷たく、沸騰した湯よりも熱い不思議な場所だった。

「っ、あああ!!」

 それでも必死の思いで指先を歯で傷つけ、濡らさずに持っていた紙にそれを押し付ける。

 すると紙に書かれていた模様が光り、手元から音もなく消え去った。

「え?え?」

 こんな苦痛に耐えたのに何もない? うそでしょ...。

「早く上がって!」

 こちらへ手をさし伸ばすハシュマルの手を掴もうと伸ばした瞬間、その手は数多の黒い何かが殺到する。

「俺も、俺も!」

「助けてくれ!」

「なっ...」

 押し寄せる魂に彼は思わず手を引き戻してしまい、それでもボートにしがみ掴もうとするのにはカロンが蹴りを食らわせて突き飛ばした。

 そんなやり取りを見ながらも私の体力は削り取られていき、浮かんでいることも辛くなり一瞬顔が川に沈む。

「っ!!」

 声も出せないほどの凍傷と火傷の激痛が同時に走り、沈んだ際に飲み込んだ水が喉を焼いてきた。

「がほっ、はしゅっ...マル! ガブ...」

 掠れた声は届かず、ボートの上で共闘している二人が見納めだとは何とも皮肉だと思いながら激痛が身体を支配しながら音のない世界に沈み込む。

 ああ、せめて向こう岸にたどり着けば希望はあったかもなあ。

「お望みのままに!」

「え? ───げほっげほっ...うそお!?」

 耳元で聞こえた幼い少年の声の直後、目を開けるとなんと向こう岸の上にいた。

「助かったあ...」

「どういたしまして!」

 先程の声が聞こえ、そちらへ視線を向けて私は目を疑う。さっきまで天使やら地獄の番犬やら見てきたがこれは凄まじい。

 顔の整ったショタが翼の生えた馬...ペガサス? にまたがってこちらに笑顔を向けてきていた。眼福やあ~

「助けてもらってありがたいんですけど、どちら様でしょうか?」

「僕? 僕はセエレ! ソロモン七十二柱が一柱にしてアモン様の配下。召喚に応じて参上しました!」

 FG〇ですか? マジでショタ召喚ありがとうございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る