第8話

「ここが食堂です。定食もいいのですがうどんが絶品なんですよ」

「そうなんですか」

 まあ、蕎麦派なんだけどね。と心の中で付け加えながら黙って若い医者の病院案内に黙々と付いて行く。

(もともと叔父さんがいるってぐらいだから奇人揃いだと思ってたけど...思った通りだなあ)

 すれ違う患者さんや看護師さんたちは案内してくれている医者を見るや否や笑顔で挨拶したり握手を求めていて人望が厚いのだとそれだけでも伺い知れたが極めつけはやはり院長先生と遭遇した際のやり取りだ。

「あ、院長!」

「おお河野君! 随分と美人な患者さん連れてるね~もしかして婚約者探しヘッドハンティング?」

「違いますよ。診察場所を今探していたところです」

「そうなの? もし見つからなかったら個室紹介するから遠慮なく連絡してね~!」

 私の意見は無しですかそうですか。

 和気あいあいと話す二人を白い目で見届けてしばらくしていると視線に気づいた院長先生の方が慌てて去っていった。

「それじゃあ中庭にでも行きますか」

「ワカリマシタ由希ゆうきセンセイ」

 下の名前を言い当てられた若い医者はびっくりしてこちらへ目を丸くしながら見て来たその様子があまりにも可笑おかしくて思わず吹いてしまう。



「───では、今のところ胸部に痛みも違和感も無いんですね?」

「はい。そもそも昨日の失神が珍しいぐらいです」

 なるほど、と河野先生は真面目な顔で頷きながら手元のタブレットに打ち込んでいきまた顔を上げると爽やかな顔で話しかけてくる。

「診察はこれで終わりです。病名などが判明するまではここで待っていてくださいね」

「ありがとうございました。それじゃあさようなら」

 十八番おはこのビジネススマイルを浮かべながら丁寧にペコリと頭を下げ、ベンチから腰を上げると河野先生は慌てて腰を浮かべて制してきた。ちょっと面白い。

「なんですか?」

「こ、コーヒー飲みませんか?奢りますよ」

 そのへたくそな誘いに一瞬呆気にとられたが、暇なので時間つぶしがてら付き合おうと思い承諾した。

「ブラックを。キリマンジャロで」

「私はカフェラテで。あ、豆はお任せします」

 カフェの店員さんは「かしこまりました」と言って壁に掛けてあるラックから豆の入った瓶を二つ取り出し、それぞれミルの中に注いでゴリゴリと音を立てながら芳醇な匂いがこちらにまで来る。

「ここは注文から削るので少し時間がかかるんです」

「そうなんですか。てか、病院なのに施設豊富ですね」

 オシャレなジャズミュージックを背景に対面する河野先生はぎこちない表情で頷き、お冷を一気に飲み干す。

「河野先生って案外社交的なんですね」

「え!?あ、はい...」

「そういえば何科なんですか?叔父さんの弟子なら心臓外科?」

「はい。今は山上先生の助手をしています」

「...」

「...」

 まずい。話が続かない。社交的だって褒めたけど全然話さねーぞこの人。

「河野先生の趣味は?」

「映画鑑賞が好きです。でもこういう職業上、足を運ぶのは滅多に出来なかったんですけど山上先生のおかげで時間の確保も出来て今は一日中映画館に籠ったりしてます」

 お、生き生きと話すじゃん。

「良いですね。今のおススメとかってあります?」

「そうですね.....恋愛系なら『陽の彼方』、見て損しないのは『一人の支配人』ですかね」

「あ、最後のは知ってます。確か主演俳優がめっちゃカッコいいんですよね」

 マジで苦痛だった電車通勤中に安らぎとして見ていたテレビ広告感謝。

 河野先生は私が知っていると分かるとタガが外れたかのように顔をぱっと明るくさせ少し前のめりに興奮した様子で捲し立ててくる。

「そうなんですよ! 主演の彼は実はこの作品まで目立った役をせずエキストラやアクション映画のやられ役だったんです。端役とはいえ真摯な態度で臨む彼に気が付いた本作の監督がスカウト、オーディションをしてみたら化けたんですよ!」

「す、すごいですね....」

「ですよね! でも彼以外にも───」

 興奮した先生をどう抑えるべきかと悩み始めた瞬間、店員さんがひらりと現れそれぞれの前にカップを置いてきた。

「お待たせいたしました。こちらは遅れてしまったお詫びです」

「ありがとうございます。先生、来たのでとりあえずお開きにしません?」

「!───そうですね。すいません思わず熱くなってしまって」

 さっきまでの態度が嘘のようにまた縮こまってブラックコーヒーを啜りながらお詫びの品として来たタルトを頬張っていた。

 そんな彼を見て私も手元のチョコケーキとカフェラテへ手を合わせ「いただきます」と言ってフォークを差し込む。

 ふわりと優しい反動がフォークを伝い、そのまま切り離して口元へ運んで食べる。

 たちまち口内に広がる幸せ要素。ああ〜癒されるわ〜。

 そのまま間髪入れず、でも余裕のある動作でカフェラテを飲む。

 まだ残るチョコクリームとナッツの残滓をふわりとした甘味のないスチームドミルクが攫い、そこに苦味の凝縮エスプレッソが通り過ぎる。

「ふふっ」

 一昨日までの自分とはあまりにもかけ離れたこの様子に思わず漏れた笑みに気付いた私は慌てて引っ込めたがもう遅い。しっかり見られてました。

「そういう風に笑うんですね。意外です」

「初対面の人に、しかも患者に対してそれって失礼じゃなくないですか?」

 少しとげのある言い方をすると河野先生ははっとした顔になって慌てて頭を下げてくる。

「そんなつもりで言ったつもりじゃないんです。気分を害してしまったのならすいません」

「別に害してはいませんよ。それより、病名に関してはもう分かってるので包み隠さず言ってくれて構いませんよ」

 微笑みながらフォローし、そのまま真面目な表情に切り替えながら告げると驚きでブラックを飲む手を先生は止めてこっちを見て一瞬悲しそうな眼をした。

「そうですか.....では───」

「あ、ここにいたのね陽七乃ちゃん」

 姿勢を正し、真剣な表情を作って病名を告げようとした先生の言葉を遮るように呑気な、それでいて気にかけているかのような声がカフェの入口から飛び視線を向けると桜叔母さんが歩み寄ってきていた。

「院内を歩き回れるぐらい元気があるなら自分で取りに行きなさいよ。あんまり顎で使うもんじゃないと思うのだけれど」

「ごめんごめん。叔父さんが出させてくれなくて」

「あの人、こういう時無駄に過保護だものね.....それよりそこの人は?」

 なんで連続してこんなことを疑われなくちゃいけないんですかねえ。不思議。

「違うって。それより、持ってきてくれた?」

「ええ。冗談も効かない真面目さんへのプレゼント」

 そう言いながら背負っていたリュックから見慣れたノートパソコンを取り出し、ついでに中程の大きさの袋を渡された。

「これは?」

「病室戻ったら開けなさい。それじゃあ私は帰るわ。まだまだタスクが残ってるし」

 忙しいアピールをしながら桜叔母さんは手を振りながら帰って行き、再び二人になる。

「それじゃ、時間もいいですしこれで」

「そうですね。とりあえずは療養でお願いします」

「分かってますよ」

 河野先生は去り際に医者としての忠告をして二人分のお会計をして去った。



「さて、仕事しますか」

「療養中は仕事しないって約束しませんでした?」

「いいのいいの。バレなきゃ──ってうおっ!? ビックリしたあ!」

 病室に戻り、パソコンを立ち上げていると今日初めてガブリエルが来た。だが、いつものシワシワのスーツではなく新品のようなキッチリと決め、死んだような青い顔も幾分か明るい様子で立っていた。

 いや、そもそも天使って死んでる判定なのかな?

「僕たちは神の炎って言われる物体から生まれてるんで一応生きてる判定です」

「へ~。で、息をするように私の心を読むな」

 ガブリエルは少し肩をすくめて首を横に振って拒否の意を示してくる。ウザッ。

「それで? その服装は?」

 キーボードに指を走らせながら質問する。

「色々ありましてね。規則で生者に天界あっちの情報は極力話せないんですよ」

「もうすぐ死ぬとしても?」

 一瞬の沈黙。私の叩くタイピング音だけが響く。

「はい。死ぬ間際まで精一杯生きてくださいね」

「あと一年の身で出来ることは可能な限り働き、貢献して迷惑をかけないことだよ」

「それは幼稚な発想ですね」

「なんだって?」

 指を止めてガブリエルの方を見ると心底冷たい目線でこっちを見下ろしていた。沈黙する私を置き去りにそのまま彼は話を続ける。

「あなたの言う貢献とは誰にですか? 勤めている会社? 同僚や友達? それとも育ててくれた夫妻へ? 僕はあなたの半生を見てきました。両親が亡くなってから自分の意見は二の次。いつも他人へ迷惑をかけないよう自己犠牲の精神で生き続ける。あまつさえ死ぬ直前まで自分の事は後回し? はっ! 馬鹿らしい!」

 ガブリエルは初対面の時から今に至るまで穏やかな口調でいたが今の彼は違う。人智を超えた存在だと誇示する威圧感をまとっていた。

「もし仮に死ぬ間際まで働いていたとしましょう。倒れたらまた搬送したりするのは他人です。その迷惑は彼らからすれば辛い手助けでしょうよ」

「何が言いたいの? 私にこのまま入院していろと?」

 少し怒りを滲ませ、ぶっきらぼうな言い方になる。

「そうは言ってません」

 ガブリエルは少し青い顔をニヤリとさせながら否定する。

「逆ですよ逆。したかったこと、やりたかったことをするんですよ。だって余命一年とか言われてますけど実際は半年ぐらいしかないですし」

「は?」

 ガブリエルのしまった、と言う表情と共に病室の空気は一瞬で凍り付き、私の思考もキーボードを駆けていた指と同時に停止した。

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