第7話

「ふう...美味しかった...」

 超絶豪華な朝食をそれはそれは時間をかけて、ゆっくりと咀嚼し味わって腹を満たし満足した私は時計を無意識に見て身体全体が硬直する。

「げっ」

 慌ててベッドから飛び降り、病室のクローゼットを開く。中には皺ひとつない奇麗なスーツが掛けられておりそれを取り出しベッドの上に置いて今着ている道着みたいな患者衣を脱ぎ去って着替え、とても軽いカバンを持ち上げてから靴がない事に気付いた。

「あとで買うか」

 どうせ院内に設置されてる購買所で売ってるだろうと思い、ドアに手をかけた瞬間勢いよく開く。

「朝食はどうだ───何してんの?」

「い、いや~身体の調子も良いし外でも歩こうかな? って思って.....ダメ?」

 叔父さんはさっきまで快活な笑顔だったが私の服装から何かを察し、医者としての厳しい顔に変わって首を横に振りながら脇に挟んでいたカルテを手渡してくる。

 そこには今の自分が客観的に書かれていた。

「やっぱり治っていなかったんだね」

「ああ。もし退院するつもりならそれは絶望的だ。素直に養生しろ。お前が生きるのを望んでいる人がいるんだからな」

 最後の方は私に対してではなく叔父さん自身に言い聞かせるような、噛み締めるように言って扉を閉めて去った。

「あと一年、病室に篭りっきりかぁ...」

 スーツのままベッドに横たわり、一年間ベッドの上で点滴を受けながら治療をし、最後には自力で起きることも叶わなくなる将来を想像してみる。

 一定のリズムで鳴る心拍音、浅い呼吸を繰り返しながら点滴やら何やらで無理やり生き永らえさせる自分。

 そして来るかも怪しい面会客。

 答えは一目瞭然だ。

「よし。───電話するか」

 携帯をカバンから取り出し、電話帳から見慣れた名前の人物を探し電話をかける。

 しばらくコール音が流れ、やがて目当ての人物は応答した。

『あら陽七乃、大丈夫? まあ、電話してくるなら平気よね』

「久しぶり叔母さん」

 開口一番の毒舌は慣れっこ...のはずなのにおかしいな。目が潤んじゃう。

 すると突然、電話越しに聞き慣れたメロディーが聞こえてくる。

 ん? これもしや.....

「叔母さん、そう言えば今どこに? 騒々しいのを見ると研究室ではないよね?」

『今? あなたが一番よく知ってる場所よ、フフ』

 一番よく知ってる場所、聞き慣れたメロディー。

 一つだけ心当たりがあった。一番来て欲しくない場所、そして今一番まずい場所。

「もしかして私のアパート行こうとしてる?」

『正解。もし持ってきて欲しいのあったら教えてね』

「あ、じゃあ居間のテーブルの上に置いてある〈リスト〉って書いてあるノート持ってきて。ついでにノートパソコンも」

『分かったわ。ちなみに鍵は大家さんに開けてもらうから気にしないでね』

「はーい────じゃないっ! 今行かないで!?」

 思わず流れで頼んでしまったが今行かれると非常にまずい。多分あの不審者ガブリエルが家にいるはずだからだ。

『何言ってるの? もう鍵開けてもらう所だし、必要なのもあるんでしょ?』

「ああ〜いや、別にそんな火急ってほどでもないし日を改めて.....ね?」

『良くありません。あ、開いたわ』

 天国じゃなくて地獄の門が開いちまったぜ。

 いや、奥にさえ行かなければ問題はないと分かっているし、荷物も全部居間にあるから絶対セーフ。多分。

『陽七ちゃん、あなた冷蔵庫空っぽじゃない。作り置きぐらいしておかないと朝ごはん食べずに出勤とか───まさか、食べずに行ってるの?』

「まあ....はい」

『ダメじゃないの! 朝ごはんを食べないと脳が覚醒しないしそもそも─────』

 やっぱり始まった説教。スマホを耳から離し、スピーカーにして終わるまで天井のシミを数えて待つ。

 

 山上桜やまがみさくらは夏輝叔父さんの奥さんで某大手製薬会社の研究主任を勤めており普通は十年単位で作られる薬をその三分の一の時間で制作することに成功した化け物人材。人体実験をしてると一時は噂されていたが単純に薬品の構成式をいとも簡単に構築し、それが人体に極力害を出さないよう過度に反応しない安全装置も同時に講じていたという本当に脳内構造が知りたい。ちなみに年齢は今年で30代を超えるので歳の差夫婦である。


『───でもね、あなたのお母さんの頭脳には負けたわ。三日間熟考した薬品構成式の間違ってる場所を一目で見抜いてさらにそれをさらに改善した式を提案してきたんだもの。ちなみにそれは今流通している頭痛薬なの。あの眠くならないヤツ』

 いつの間にか私の母親の話になっていたらしく、さらに衝撃の事実もさらっと言われて起き上がってスマホを鷲掴んで声を上げる。

「マジで!?」

『その意識外の事を言われると反応するのもそっくり。でも、整理整頓が苦手なのは理解できない』

 グサグサと刺さる発言をしながら叔母さんは探し物を当てたらしく静かになった。

『しつこいと思われるかもしれないけど陽七乃ちゃん、貴女の母親はとても優秀だったわ。貴女もそれを少なからず受け継いでいるのだから気を強く持ってね』

「下げてから上げるのは何故ですかね」

『そんなの気分に決まってるじゃない』

 楽しそうに答え、桜叔母さんは電話を切った。

「気分屋なのか〜.....」

 今日何度目かのベッドに寝そべり、天井のシミを数えるのを再開する。

「...シミじゃあ無いんだけど?」

 よくよく見るとシミだと思っていたのはシミではなくカーテンを動かす際のレールの跡で、それ以外は我が家の天井とは大違いなくらい新しかった。

「さっきご飯食べたばかりだから暇なんだよなあ...」

 予期せぬ休暇は骨身に染み込んだブラック企業員の血が騒ぎ、じっとしていられずに病室の外へ出る。

「あ、駄目ですよ! 部屋に戻ってください!」

 病室を出ると一人の若い看護師が慌てふためいて止めてくる。

「誰から言われてるの?」

「それは、山上先生から───」

「その人は僕が出てきてほしいと頼んだんです」

 看護師が叔父さんの名前を出そうとしたとき、昨日の若い医者が制してきた。

 え?なんで?

「え?」

「症状について詳しく話すにしても窮屈な場所ではいけないと思ったので食堂や中庭で検診をしようと思ったんです」

 若い医者はペラペラと噓八百を並べるが、看護師はいたく感心したらしく頷く。

「そうだったんですか。でも、主治医は山上先生のはずだったんですが.....」

「はい。さっき臨時でメールが来たんです」

 そう言って携帯画面を見せると今度こそ看護師は納得してこちらにお辞儀をして去っていった。

「さあ、行きましょう左江内さえないさん」

 おいサエナイって言ったな。はっ倒すぞ。

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