第2話

 辛い。正直に言って今の仕事は地獄だ。

 真面目にやっていても上司からは毎回粗探しに近い形で不備を見つけてそれを指摘され、何もない時なんか字体が違う、だなんて言われる。

「左江内テメエいいか!これはゴシック体だ!明朝体で誰が書けって言ったんだよ!」

「いや、その字体は先輩がこれで書けって指定してきたんじゃん」

 この口答えに職場は凍り付き、言ってから自分もしまったと思い口を抑えた。

「おい、今なんて言った?」

「何でもないです。さっさとご指摘通りに修正させていただきます」

 ご指摘、という箇所を強調して言いながらそっぽを向いて自分のデスクに戻って怒りに身を任せてキーボードに指を走らせ、カーソルを字体の欄に運んで学校の教科書などで使っているような太い字体にして制作し、それを上司に直接提出せずあえてメールで送信する。

 上司の席の方を見ると送られてきたメールに気付いて開こうとして私の設置したトラップに引っかかった。

「な、なんだこれは!!」

「ざまあみろ」

 太い字体でさらに文字の大きさを40にしたレポートは面白いほど重たく、下へスクロールするのもページを閉じるのも一苦労なのだ。

 我ながら大人げないし、2×歳が考える嫌がらせでもないと分かっている。

 でも、これほどの事をされたのだ。私は悪くないと言い聞かせ爽快な気分で残っていたタスクをこなしながら時計を見ると既にお昼の時間だった。

「さて、今日のお昼は~?」

 そんなことを言っても自分で買ったので既に知っていたがビニールの中を見る。

 ソ〇ジョイのチョコレート味が二本と豆乳紅茶味の紙パックが一個。

「これで五百円以内なの本当に罪だよね~」

 お昼休みで大半のフロアーにいる社員たちは社食を食べに出ていったのですっかり人のいないオフィスでつぶやいた声は響きわたり、意気揚々とソ〇ジョイの封を切って一口で三分の一を頬張る。

 ナッツをかみ砕き、鼻腔の余すところなく巡るチョコレートの香りを楽しみながらまた三分の一を齧り、咀嚼する。

「ん~.....明日は別の味にしよ」

 流石に同じ味は飽きが来る。そんなことを思いながら乾いた口に豆乳を注ぎ込む。

 チョコとナッツの味が残る口の中を紅茶と大豆の味が駆け巡りながら洗い流し、同時に潤してくれる。

「ふう....まだお腹は空いてるけど我慢!」

 瞬く間に食べ終わり、満足感はないものの最低限のカロリーは摂取したので大丈夫だと言い聞かせながら最後に薬を飲む。

 時計を見るとまだ少し時間に余裕があったのでスマホを取り出し、画面を点ける。

 ボワッとリンゴのマークが浮かび上がりしばらくしてロック画面の推しが映った。

「あ~今日もかっこいいよ~!!〇〇〇!」

 普段はオフィスでこんな事はしない。極力こういうオタクチックなところは見せないように心掛けているからだ。もし同じキャラが、アニメオタクがいたらどんな絡まれ方をされたかたまったもんじゃないと思っているから。

 しかし今日は憎い上司に仕返しもできてタスクも効率以上にこなせて気が緩み、決め手は自分以外居ないオフィスと余裕のある時間。

 だから油断しきって思わず推しの名前を叫んでしまった。

 まあ、どうせ誰も聞いてないし?聞いてても「空耳では?」と素知らぬ顔で言おうと考えていたのが運の尽きだった。

「え、先輩そのキャラ好きなんですか!?」

「―――――え??」

 声の方を見るとエレベーターから降りたての後輩が目を輝かせながら迫ってきた。

 ここからエレベーターの場所まで距離があったのに一瞬で距離を詰めてくるほど興奮した様子の後輩を見て私は確信した。

(あ、これガチ勢だ)

 そんな私の様子などお構いなしに後輩は話を一方的にまくし立ててくる。

「先輩はどのシーンが好きですか!?やっぱり海外で再会した時のあの絶妙な表情ですか?それとも雨に打たれながら涙するシーンですか?私はやっぱり――――」

 ああ、終わった。何もかも終わった。

 後輩の話を相槌を打ちながら聞いているとエレベーターから多くの社員たちが吐き出されてきたのが目に留まり、これ幸いと話を切り上げさせて自分のデスクに戻って立ち上げる。

「うわ~疲れた~~」

 散々だった。あの後、上司への仕返しイタズラがバレて自分の分の仕事も押し付けられ結局定時に帰れそうだったのにその課せられた仕事で深夜になってしまった。

「ホントむかつくわ.....」

 愚痴を言いながら帰り道にあったコンビニに入って明日の分のソ〇ジョイを二本と豆乳パック、そしてビール缶とビーフジャーキーを籠の中に入れてお会計をしようとしてボディソープを切らしていたのに気づいて急遽詰め替えパックも買った。

「ありゃとございやした~」

 店員の無気力そうな声を背中に受けながら帰路につき、アパート前に着くころには気力も何もかも限界だった。

「う~―――う?」

 いつものようにポストに入っていた勧誘やハガキを取り出して眺めていると一通見慣れた名前が書いてあった。



 左江内 陽七乃 様


 古賀 葵



「古賀?」

 見慣れぬ苗字に首をかしげながら裏返すとそこには大学の唯一の親友、七瀬葵がウェディングドレスを纏いイケメンとツーショットの写真に手書きで『結婚しました』と書かれていた。

 その姿に胸がいっぱいになると同時に嫌なことに気付く。

「これ来たってことは私招待されてなかった?」

 自分で言いながらなんて馬鹿なのだろう、と思ったがもう遅い。親友だと思っていたのは所詮自分だけだったのだ。

 そんな悲しくも嬉しい気持ちで鍵を開け家に入る。

「ただいま~」

 一人暮らしなので当然返答はない。というかあったら警察に通報する。

 電気も点いておらず、人気がないのは明らかだったが私は暗闇の奥に何かがいると本能で察知し、電気を点けることを一瞬拒んだ。

 もし強盗だったら?殺されない?いや、そもそもあんなオタク全開の部屋を漁って何の意味が―――

「ああ、そういうのは気にしてないので大丈夫です」

「は??」

 暗闇の向こうから今、明らかに人間の声が聞こえた。怖すぎて電気をつける。

「まぶしっ」

「誰!?」

 電気が灯され、明るくなった部屋の居間に堂々と座っている男は一瞬まぶしそうに目を細めつつもこちらをしっかり見てきた。

「いや本当に誰?」

「あ~っと.......死神って言うよりかは天使っていうか.......天使です」

「信じられるか!!」

 男はありふれた社会人のようにスーツを着ているのだがシャツは皺が目立ち、顔は青く目の下には隈もあり病人のように見えるが目だけは生気がみなぎっており自分とは対極的だと思った。

「確かに対極的ではありますけど、そんな風に見えるんですね」

「ちょくちょく人の心の中身覗くのやめて?」

 もういいや通報しよう。

 そう思いながらスマホを取り出そうとポケットに手を突っ込み、無かったので慌てて他の心当たりのある場所を探したが見つからない。

「このロック画面、彼氏ですか?」

「人の趣味に口出すな!」

 いつの間にか男は私のスマホを持っており、ロック画面と見比べながら質問してくる。危ない危ない。どうやら奥の部屋は見られていない。だがまずはスマホを取り返すのが最優先だと思い、一歩踏み出すと身体が硬直した。

「え?」

「とりあえず人の話は―――まあ、僕は人じゃないんですけど」

 勝手に一人コントを繰り広げる不審者を見続けるという苦行を強いられながらもとりあえずは話を聞こうと思った。ほら、心読めるなら話せ。

「そういう態度なら正座してもらいましょう」

「私の家だぞ!? 私がトップのはずだ!?」

 無理矢理したくもないのに身体が勝手に正座し、男と対等な視線になる。そうなってからやっと男は口を開いた。

「僕は天使のガブリエルと申します。名前は聞いたことあるんじゃないんですか?ほら、マリア様の受胎告知したあの天使です」

 信じられなかった。こんな見え見えの嘘をつく人間がこの世界に、自分が出会うとは思わなかったという意味で。

「いや、本人ですよ? やれやれ、最近の人は信心がなってないなあ」

「急に現れて何言ってんの?」

 至極まともな質問のつもりだったがガブリエルを名乗る男の癪に障ったらしく、突然立ち上がって両手を広げた。

 その瞬間、背中からバサッという擬音そっくりそのまま翼が一対出てきてよく分からない光が彼の頭上から降り注ぎ、神々しさを醸し出していた。

「信じた?」

 無言でコクコクと頷く。これはトリックでも何でもない。正真正銘、本当の天使だ。

 しかし、光と一緒に風も吹き、その風で部屋を仕切っていた暖簾が吹き飛ばされ奥に隠していたグッズが巻き込まれ空を舞い、開けっ放しだったベランダから外に飛ばされた。

「ああああああ!!!」

「やべっ」

 果たして、ガブリエルの降臨(?)によって私のオタクはアパート周辺の人々と隣人や大家さん全員に知れ渡る結果となってしまった。

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