第8話 休戦

 街の郊外にある大型商業施設。

 三階建てで横に広いその場所は、業種問わずに多くの店舗が入っており、映画館や銀行の支店、病院まで入ってる。

 ここに来るには、バスかタクシー、或いは自家用車か。自転車で来るような奴も居るけども、周りの交通量を考えれば、基本的に車で来るのがベストだろ。

 まあ、つまるところ何が言いたいのかと言えば、

「……おえっぷ」

「相変わらず、尚哉は乗り物酔いが酷いね。大丈夫?」

「吐きはしねぇけど……ニオイがキツイ」

 松井に背中を擦ってもらいながら、俺は噴水近くで項垂れていた。

 昔から、俺は車が苦手だ。それも、揺れとかで酔うんじゃなくて、ニオイで酔うタイプだから物凄く気持ち悪い。加えて、酔い止めの薬を飲むと、その味で更に酔うから余計に困る。

 一つ断っておけば、俺は別に遠出は嫌いじゃない。寧ろ、旅行とかは好きだ。乗り物は嫌いだけども。

 最悪、移動時間は常に寝ておけばいい。そうすれば、ある程度はマシ。ヤバいのは道中で目が覚めて二度寝が出来ない場合。これは本当に地獄。

 噴水で冷えた空気を吸い込んで、体の中に溜まったニオイの塊との入れ替えが気持ち済んだところで、ようやく吐き気は収まってきた。

 今は、朝の九時四十七分。十五分近くも早く着いたけども、バスの時間的にこの時間がベストだった。この後の時間になると、開館に合わせた客のごった返しになるからな。

 さて、吐き気の波もある程度引いた。大きく伸びをすれば肩が鳴る。

 因みに、今回の俺の格好は、紺のワークパンツに無地の白いTシャツ、それからこれまた無地の黒いパーカー。足元は、そろそろ履き潰しそうなスニーカーだ。

 一方で松井はというと、前髪を左右に分けて、デニム生地のショートパンツに、イラストの描かれたシャツと、これまたデニム生地の上着。今日は結構暖かいからな。まあ、ファッションは、よく分からねぇよ。

 もう一つ補足をすると、松井は茶色のポーチで財布やらを運んでる。俺は、上着の裾の下にウエストポーチ。

 ダサいって言われても、これが一番使い勝手がいいから気にしない。

 時計の針は、九時五十分を少し過ぎた頃。

 元々、集合時間よりも早く来てるんだから、その辺はどうでも良い。

 一つ気になるのは、白鳥ってどうやって来るのかって事だ。

 松井が現地集合って言ったから、俺達は時間的に示し合わせてバス停で待ち合わせた。

 じゃあ、白鳥はどうやって来るのか。まあ、送ってもらうんだろうな。自転車に乗ってるのはイメージできないし、郊外のここは歩いてくるのは不可能じゃなくとも面倒くさい。

 気長待とう、そんな心持でウエストポーチからスマホを取り出そう――――として、周りが少し騒がしくなった。

 騒がしいつっても、ちょっとざわついてるだけ。ただ、そのざわついてる人たちの目は揃ってある方向に向けられてるんだから、目も引く。

 視線を辿れば、

「遅かったかしらね。お待たせして、ごめんなさい」

 ど、童貞を殺す服、だと……!

 口には出す訳にいかないんだが、白鳥のプロポーションは、かなり良い。出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んでる、男子垂涎ものだったりする。

 そんな奴が、体のラインをハッキリ見せる服を着て周りの注目を惹かないはずもない。

 唖然としてるのは、俺だけじゃない。松井もまた目を見開いて固まってる。

 こいつも、スタイルは悪くない。足はスラッとしてるし、陸上しているから引き締まってる。胸はまあ……程々?

 流石に言わない。屑な俺だけども、幼馴染を免罪符にしてセクハラしようとは思わないからな。

「……あ、いや。俺らが早く来ただけだからな。遅刻でも何でもねぇよ」

「それでも、よ。様式美っていうのは、世渡りを円滑に進める為に必要な措置なの。それは、偉かろうとお金持ちだろうと必要だわ」

「さいで……んじゃ、そろそろ入口の方に行こうか。開館時間ももうすぐだし」

「ええ」

 俺の言葉に頷いた白鳥は、そのまま流れるような自然さで未だに固まってる松井の手をとった。

「ッ、白鳥さん……!?」

「ふふっ、私ってこんな風に同年代の子と買い物に行ったことが無かったの。だから、楽しみにしていたのよ?」

 言いながら、白鳥は俺の手も勝手にとってくる。

 細いな。華奢って言葉がよく似合う、肉体労働の似合わないそんな手。

 そして、俺は一瞬だけど、それを見た。

 俺と松井の手をとって引っ張っていく白鳥の、その耳が赤く染まっているのを。

 どうやら、照れてるらしい。思えば、心なしか頬の血色もよく見える。

 何にも知らない相手の、ちょっとした一面。それが知れた瞬間だった。



 楽しい。それが素直な感想。

 食べ物も衣類も雑貨も、普段私が行くような場所と比べれば雲泥の差があるようなもの。

 それでも、精神的な充足感は今この瞬間が私には最も高まっているように思えてならない。

「アイスティーは邪道だわ」

「美味しくないかな?」

「及第点……に届かないわ。全国チェーンとして名を馳せるのは分かるわ。けれど、それだけね。本物には及ばない」

「その割には、捨てないんだね」

「食べ物は粗末にするべきじゃないのよ」

「……白鳥さんって、お嬢様だよね?」

「お金を持っていようとも、持っていなくとも、最低限の守るべき矜持というものがあるわ。それは、常識だったり、感謝だったり。“いただきます”と言ったのなら、“ごちそうさま”と言うまでキッチリと頂くべきなのよ」

「へぇー……」

 頷きながら、松井さんは自分の頼んだ炭酸飲料にストローを通して息を送り込んで気泡を立たせ始める。

 一通り見て回って、今はフードコート……だったかしら。その席の一角で休憩中。

 尚哉は、お手洗いに行ってるわ。

 洒落た言い回しなんてしないわね。似合わないし、尚哉は鴨やシカを撃ってるようなタイプじゃない。どちらかというと、森の中で森林浴か、昼寝を楽しむようなタイプでしょうし。

 それにしても、

「尚哉君は、服に興味が無いのね」

「無いね。家でもジャージか、パーカーだし。酷い時には、パジャマのスウェットを日がな一日中着てる。それで買い物に行くのも躊躇わないし」

「今日の格好は?松井さんのコーディネートかしら?」

「ううん。尚哉が持ってる、数少ない外着を引っ張り出したの。下手したら、作業服のつなぎで出歩くんだもん」

 呆れたようにため息を吐く松井さん。

 ……そうね、確かにそんな彼を見てみたいとも思うけれど、一緒に歩き回るにはちょっと悪目立ちしちゃうかしら。

 でも、良いわね。尚哉は、運動していない割には、体格が良いもの。

 肩幅が広くて、身長も日本人の平均よりも高い。数年の水泳によってプールの塩素が原因か赤茶けたような髪色も、彼にはよく似合っているし。本人は、焦げ茶か、それに近い暗めの色だと思っているみたいだけど、傍から見ればその髪色は染めていると見られてもおかしくないわ。

 オシャレでなくとも、せめて外行きの服を何着か見繕えるようにならないとね。素材を生かせないもの。

「やっぱり、ジャケットかしらね。スラックスやシャツ、革靴を合わせれば大人っぽくなると思うわ」

「逆に、パンク系はダメだね。尚哉のキャラじゃないし」

「でも、冒険も大事よ?無難な格好も悪くはなくとも、それで満足してほしくはないわね」

「だからって、急にヤンキーみたいな格好されても困るけどね」

「それは似合いそうにないわね……ああ、でも。金髪の尚哉は見てみたいかしら」

「金髪……そういえば、白鳥さんの――――」

「おっ、可愛い子居んじゃん」

 油断、してたのかしらね。

 松井さんの言葉を遮ったのは、軽薄な声。目だけで見れば、下品な髪色をしたチャラついた二人の男が居た。

 体格は、平凡かやや貧相。その分を服やアクセサリーでカバーしているみたいだけど……追いついてないわね。シルバーアクセサリーもネックレスなんかも、そこまでジャラジャラと着けるような物じゃないわ。

 松井さんも私と同意見なのか、男たちを見る目は冷めきっている。

 当り前よね。例え目の前で、話題沸騰の俳優がロマンチックなプロポーズをしてこようと、私たちには響かないもの。

「ねぇねぇ、俺達とパーッと遊ばね?」

「そうそう、折角の休みだしさ。すっげぇ楽しいところに連れてってやるよ」

「間に合ってるわ」

「それに私たち、待ってる人が居るの。他の人を当たったら?」

「じゃ、その子も一緒に遊べば良いじゃん!」

「おっ、タケチ冴えてる~♪って事で!」

 馬鹿の相手は、疲れるわね。この手の輩は自分の都合のいい解釈しかしないもの。

 ため息ついでにトイレを見れば、怪訝な顔した尚哉がこっちに戻ってくるのが見えた。

 そういえば、もう一つ尚哉には傍から見た特徴があったわね。

「――――俺の連れに、何か用か?」

 多分、尚哉は普通に聞いたつもり。だけど、言葉に乗らない温度と三白眼のような冷めた目。憮然とした表情が不機嫌そうに見える。

 案の定、勝手に舞い上がっていた男たちは冷や水を掛けられたように大人しい。

 首を傾げる尚哉は、少し困った様に私たちを見下ろしてきた。

の知り合いか?もしくは、松井」

「違うよ」

「私も違うわ」

「ふーん……そろそろ込み始めるだろうし、行こうぜ?肝心の松井の色々買えてないし」

「尚哉の服もね」

「……俺のは要らねぇよ。まだ着れるし」

「服は、着られるから買わないものではないわよ?」

 言いながら、立ち上がる。松井さんもこの隙に逃げる算段らしい。

 それにしても、あの二人には不快感しかなかったのに、尚哉との話は楽しいわね。これが、気持ちの問題かしら。

 そのままフードコートを離れられれば良かったのだけど、後ろから二つ分の足音が聞こえる。

「ちょ、待てって!そんな芋臭い奴より俺らの方が楽しめるって!」

「一地方都市の郊外にあるショッピングモールで、休日の昼間からナンパしかする事無い奴の、何が楽しいんだ?」

 男に答えたのは、尚哉だった。この時も別に怒ってない。

 ただ、若干振り返りながらの発言だったからか、自然と睨むような目つきになっていたせいか、二人がまた固まった。

 見た目で威圧しようとする人間は、総じて自分の威圧が効かない人間には弱い。

 今回の二人も、大学デビューかそれに近い理由からナンパに手を出したんでしょう。そして、目を付けた相手は質の悪い番犬が居た、と。

 ナンパ男が見えなくなった所で、尚哉はため息を吐く。

「はぁ……ナンパ、ね。二人とも気を付けろよ?松井も白鳥さんもモテる見た目してんだから」

「あら、呼び捨てでは呼んでくれないの?」

「……分かってるだろ?あの場じゃ、隙を見せない方が良かった。見た感じ、本物の不良とか遊んでるような感じの二人じゃなかったからな」

「……良いんじゃない、尚哉。呼んであげたら」

「ま、松井?」

「私も、白鳥さんの事、清って呼ぶからさ」

 思わぬ人からの、思わぬ援護。でも、利用しないことは無い。

「そうね。さんの言う通りよ。折角、こうしてお出かけしてるのよ?少しは、距離を詰めても良いんじゃいかしら?」

「ぐぬ……」

「ほらほら、尚哉。清も、待ってるよ。さっきは、あんなにさらりと言えたじゃん。言える言える」

「……ッ、し、白鳥……」

「ふふっ……なぁに、尚哉君?」

「…………勘弁してくれ」

 蚊の鳴くような声で片手で顔を抑えた尚哉は、端的に言って愛が溢れそうなほどに可愛らしかった。思わず、無音カメラで撮ってしまったわ……戦友の彼女にも、今回は塩を送ろうかしらね。

 ああ、今日は本当に楽しいわ。

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知らぬが仏のしっとりラブコメはお断りしたい 白川黒木 @pj9631

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