第6話 揺籃
帰宅部=最速で帰宅、っていうのは俺には当てはまらないと思う。
噂話が完全に浸透しきってないお陰か、チラチラ見られる程度で済んだけれども視線はやっぱり煩わしい。
今更ながら、昼休みの一件も尾を引いてる気がする。
そりゃ、そうだよな。松井も、男女問わずに人気があるし。そんな奴が冴えない男子と昼休みに消えれば噂も呼ぶ。
……仕方ない、割り切ろう。アレは、必要な事だったんだから。
カバンを肩に提げて向かうのは、教室棟の端。
何でもかんでもそろってる
蔵書数もそうだけども、使ってる教室の規模が普通の教室三つ分×2。二フロアに分かれてる上に、図書室自体も中にある階段で繋がってる。因みに、出入り口は下の階。流石に二フロア分を司書の先生一人じゃ見きれないからな。
散歩と同じく、俺は読書が好きだ。別に見聞を広げる為、的な高尚な理由はないけどな。ほら、本読んでると自然と周りも放っておいてくれるから。
「あら、藤坂君。いらっしゃい。相変わらずの、読書家ね」
「どうも、寺沢先生」
このブラウンの髪を三つ編みにして垂らした眼鏡の女の先生が、この図書室の司書してる寺沢先生だ。
おっとりしてて、学生からの人気もある。もっとも、授業はしないし、強いて挙げても図書館の利用法説明位でしか生徒の前に立つ機会の無い人なんだけども。
さて、本を選ぼうか。と言っても俺が選ぶのは大抵、文庫本だ。
利点はやっぱり、その持ち運びやすい大きさ。嵩張らないっていうのは、徒歩でカバンを持ち運ぶ人間には重要なんだわ。
選ぶ本の種類としては、あんまり拘らない。ただ、堅苦しい文章は苦手だから、大抵は大衆文学に落ち着くな。そこからは、ミステリーでも、群像劇でも、恋愛ものでも、コメディでもどれでもバッチこい。
純文学なら、芥川龍之介とか夏目漱石の有名どころなら、読むかな。問題があるとすれば、文章自体が古い文字の使い方をしてる点。
それは兎も角として、文庫本は柱を囲むような棚に置かれてるんだわ。で、入りきらない分は別の棚にも置いてある。
「……んじゃ、これとこれで」
「いつも思うんだけど、藤坂君。もっと借りて良いのよ?図書館のルールは知ってるわよね?」
「知ってますよ?知ってますけど、五冊借りると中途半端なんすよね。だったら二冊借りて一日で読んで、次の日また二冊借りる方が良いんすよ」
図書室では最大五冊まで借りれて、返却期限は一週間後。それを超えると督促状と場合によっては呼び出しをくらう事になる。
で、俺が二冊しか借りないのは、俺の無理のない読破限界が大体二冊だから。学校とか課題とかいろいろ加味しての限界な。一日中暇なら、何冊かは読める。
それで五冊だと三日目に読める分が一冊になるんだわ。読んだら返すのヘビロテ戦法が出来ない訳じゃないけど、俺の場合変なところで忘れる事が珍しくないからな。
だから、読了したらすぐに返せるように二冊が一番。土日前なら、五冊借りるけどな。家にある本、ほとんど読んで基本が読み直しになるから、ミステリーとかはネタバレくらった上で読んでるようなものになるし。
「良い本を選ぶね。何か、コツでもあるの?」
「別に、無いっすよ。まあ、フィーリングっすね。表紙とタイトル、決めあぐねたら裏面のあらすじ読めばいいんで。んじゃ、先生。また明日」
「はい、また明日。気を付けて帰ってね?」
これも文庫本の良いところ。人によってはあらすじはネタバレ、とか思う人もいるけども、流石に俺はそこまでじゃない。
手続き終わらせて、やっと帰宅。といっても、部活やってる人間に比べれば格段に早い。
夕暮れ時の校舎。部活があってる特別教室棟なんかとは違って、教室棟は人の気配がグンと減ってまるで別世界。怪談話に事欠かねぇ訳だよ。
そういえば、学校の怪談が廃れないのは音楽室やらの慣れない場所が、そのまま非日常感を演出して子供の想像力とかを掻き立てるからだとか。だから、怪談話は理科室とか音楽室が多いんだよな。トイレの花子さんとか一段多い階段も、トイレは商業施設とか行かないとこの規模は無いし、階段に関しても家とは比べ物にならないぐらい広いから、かな。
はい、そんなクソ広い階段を下って昇降口に着きましたよーっと……ん?
「白鳥さん?」
「あら、藤坂君。今、帰り?」
「お、おう……何で居るんだ?部活は?」
「言ってなかったわね。私も、帰宅部よ。家でやる事があるの」
「……その割にはちっと遅いご帰宅だな」
「色々とあるのよ……ねぇ、一緒に帰らない?送っていくわよ?」
「それ、男が言う奴ぅ……」
イケメンな事を言う白鳥に対応しながら、周りを自然に見えるように見渡す。
幸い、部活の時間だから人は居ない。良かった。ただでさえ噂話立てられてるのに、これ以上ゴタゴタするのは面倒くさいからな。
「んじゃ、俺は帰るから。白鳥さんも早く帰れよ?」
「ええ、帰りましょう」
「おう……おん?」
靴を履き替えて外に出れば、白鳥は自然な感じで俺の隣に並んでくる。というか、さっきの会話おかしかったな、うん。
反応が遅れたせいで逃げられない。というか、何でこいつはこうもスルッと潜り込めるんだ。
「……車じゃないのかよ」
「あら、私だって運動するわ。ウォーキングも体にいいのよ?」
「いや、そうじゃ無くてな……はぁ、家どこ?」
「私、貴方のそういう所良いと思うわよ?」
「流されてるだけじゃねぇか……」
ため息が止まらない。一応、学園は誰にもバレずに出れたはずだけども。今度から自転車通学にしようか……あ、ダメだ。確か駐輪場はいたずらする奴が出ないように管理されてて、学園支給のステッカー貼ってないと置けないんだったわ。
どうしたものかと俺が四苦八苦してる中、唐突に隣を歩く白鳥が笑う。
「どうした?」
「……いえ……ふふっ、貴方って紳士よね」
「はあ?紳士?俺が?……今は寝る時間じゃないぞ?」
「夢を見てる訳じゃないわよ。そうね、藤坂君。ちょっと止まってくれる?」
「……で、どうするんだ?」
「そこから、一歩進んで頂戴」
「おう」
言われるままに一歩前に。
そして、白鳥も一歩進むけども、身長差がある分ちょっと遠い。
「ね?」
「……何が?」
「私と貴方って、歩幅に差があるのよ。普通に歩いてたら私は置いて行かれるし、無理に追いつこうとしたら疲れてしまうわ。けど、さっきからその兆候すら無いもの」
「……偶々だろ。俺はのんびり歩くのが好きなんだよ」
この辺りは、本当に意識してない。自分では歩くスピードは普通か、それよりも若干遅い位、のつもり。
ただまあ、
「松井の影響かもな。アイツに合わせてた時もあったし」
多分、こういう事なんだろうとは思う。
小さい頃から比較的足が強くて歩き回ってる俺と違って、松井は鍛えた結果の健脚だ。そもそもの地が違うから、昔は歩いてると置いていきそうになったんだわ。
ンで、手を引いて歩いて、それから手を引かなくても歩けるようになった時には自然とこうなった……と思う。
確証はないけど、多分これが一番答えに近い、というか答えそのものの筈。
「松井照喜さんね……幼馴染、だったかしら」
「おう。幼稚園頃……いや、もっと前か。それ位からの付き合いだな」
「……そう」
また横並びで歩きながら、そんな事を話していると、ふと俺の記憶の扉がノックされた。
そういえば、昔の事でもう一つ朧げに覚えてる事があったわ。
「そういや、昔にも何かあったな……誰か、送った気がする」
「!昔の事、覚えてないのかしら?」
「覚えてない……ふとした瞬間に朧げに思い出すんだけどな。ハッキリとは、分からねぇ。嫌な事ばっかり覚えてる人の脳ミソは不便だよなぁ」
昔、何かの本かテレビかで見たけども、嫌な事を忘れにくいのは脳が別の場所で記憶してるから、だったか。
いや、ハッキリしない。昔過ぎて覚えてない。とにかく、黒歴史は量産すれば量産するだけふとした瞬間にこっちの首を締め上げてくるって事だけ分かればいいと思う。
「……ねぇ、藤坂君……いいえ、尚哉君」
「ん?……え、というか名前――――」
「気にしないで頂戴。ねぇ、尚哉君。昔の事ってどれぐらい覚えてるのかしら?」
「そう、だな……基本は、ぼんやりしてる。アレだな、磨りガラス越しに見た教室、みたいな?時々窓が開いてるのかハッキリ見えたりもするんだけどな」
「そう……」
なんだか、白鳥が煮え切らない。ついでに、気付けば馬鹿でかい白亜の宮殿みたいな……何だアレ屋敷?みたいなものが黒い鉄柵越しに見え隠れしてる。
「……あんなの昔からあったか?」
「ここ数年で改築したのよ。元々は、鹿鳴館の建築様式を取り入れてたけれど、老朽化には勝てなかったの。それで、今の当主のお父様が改築にGOサイン出したわ。モチーフはホワイトハウスとヴェルサイユ宮殿を足して2で割った感じかしら」
「いや世界遺産と大統領官邸ェ……何か、どっと疲れた気がする。この辺りで大丈夫か?」
「あら、門の前まで送ってくれないの?」
「直ぐそこじゃねぇか」
「今どきは、門の前で攫われるのよ?知らないの?」
「そんな今どきなんて知るかよ……」
世紀末か。流石に現代日本で、そこまでの無法地帯なんてある、のか?
……止めよう。何というか、この世の暗部を見る事になりそうだ。
それにしても、この辺りにはあんまり来た覚えが無い割には、見覚えがあるな。
なんでだ?
*
「嫌な記憶ばかり覚えてる、ね」
尚哉の話を反芻しながら、私は笑みを隠せなかった。
嫌な記憶を覚えていないのなら、朧げなのはそれが良い経験だった証拠。それに、完全に忘れた訳じゃないのなら、思い出す可能性もゼロじゃない。
それにしても、
「強敵ね、松井照喜」
尚哉の無意識の紳士的な行動には、彼女への昔からの経験が基盤になってる節がある。
その恩恵を受けている側ではあっても、つまるところそれ以上には成れないって事になるわね。
割り切ったつもりだったけれど、やっぱり時間は馬鹿にできない。
ただ、収穫もあった。
名前呼び、そして尚哉自身の感情の矢印。
彼のソレは、今の所誰にも向いてない。そして、年齢や見た目が純粋な好みという訳でもない。
寺沢先生はその一つの判断材料をくれた。
彼女は、その見た目から男が寄ってきやすい。
プロポーション、顔立ち、性格。全てが全て、男を呼ぶ。
現に学園の男子生徒の中には、彼女に対してそういう感情を抱く者も居る。嘆かわしい事に、教師陣にも。
勿論、実行に移した時点で彼らの人生は、即終了。豚箱も生温い場所送りは決定なのだけれど。
話が逸れたわ。そろそろ、一つモーションを掛けようかしらね。幸い、明後日は休日だし、ね?
待ってなさい、尚哉。楽しい時間にしましょう。
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