第4話 しっとりと

 今日は素敵な一日だった。見慣れたベッドの天蓋を見上げて、私は一つ息を吐き出す。

 教室を出るとき、彼と出会ったのは本当に偶然だった。より強い繋がりを求めていた私には渡りに舟。尚哉自身も、私を探していた事も今回は上手く働いてくれた。

 思い出すだけでも、胸が高鳴ってくる。

 日本人の平均身長よりも僅かに高い背。決して顔は悪くないのに、女性慣れしていない雰囲気。さりげなく、私を観察していたあのブラウンの瞳。

 ああ、全てが愛おしい。そしてあの部屋もようやく役目を果たしてくれた。

 私と尚哉の愛の巣。あの部屋は、ただ家具を配置しただけじゃない。お爺様にお願いして生徒は勿論、教師陣も侵入を禁止した区画にある。

 足を踏み入れて良いのは、私とそれから彼だけ。

 ただ、

「あの女は要らないわ……」

 左耳に嵌めたイヤホンに聞こえるのは、彼とそれから彼の幼馴染の女の声。

 尚哉は制服を自室に持っていくみたいね。お陰で、外からだけじゃ確認できない情報もこうして拾えるのだから。

 そして、あの女の事も知ってる。

 松井照喜。尚哉の幼馴染で、そして今も彼にしなだれかかる女。

 排除する事は、そう難しい事じゃない。けれど、同時にこの女が学園にとっての利益になる事も事実だから悩ましいわね。

 何より、彼女は尚哉にとっても外し難い存在でもあるわ。……今の私よりも。

 腹立たしい。けれど、時間というものはそれだけ馬鹿にできない。工作に時間をかけすぎたせいであの春休みが本格的な接触になったのが悔やまれるわ。

 それに、

「覚えて、ないのかしらね……」

 その事が、気にかかる。今日のあの時間だけじゃ、確認しきれなかった。

 私の、恋の始まり。

 恋は燃え上がるもの、愛は育むもの。

 恋は一方的で、愛は相互的。

 私の気持ちは、恋でしかない。でも、それでも良い。

 そこで、私はスマートフォンを起動して、とある鍵付きのフォルダを開く。

 今日の驚いた顔、春休みの彼のつむじ、照れた横顔、驚いた顔、うとうとしている顔、流れる汗を拭う顔、優し気に微笑む顔、顔、顔、顔、顔――――

「ああ……恋しい愛しいわ、尚哉。貴方の毛筋の一本まで。全てが恋しい愛しいの……」

 必ず、手に入れてみせる。



「ッ……!……?」

「どうかした?」

「……いや、急に寒気が……風邪ひいたか?」

「えー?あったかくしてよ?私に移さないでね?」

「そこまで言うなら、離れろっての」

 言い方は刺々しくても、尚哉は自分の膝に頭を乗せた私を押しのけたりはしない。

 雑なところや、やる気の内面が多い尚哉だけど、本当はすごく優しい。ぶっきらぼうで恥ずかしがりな所があるから、その優しさは大抵の人には気づかれてないけどね。

 ごめんね、尚哉。私は、それで良いと思うんだ。君の良さを知ってるのは、私だけで良い。そう思うんだよ。

 だから、あの時私の中にはどす黒い気持ちが巻き起こった。

 分かってる、尚哉にはあの時お礼以上の感情は無かった。その為に、あの白鳥とか言うお嬢様を探していたのも。

 でも、ダメ。学校が終わって私を迎えに来た尚哉から、別の甘いニオイがした。

 これは、ダメだ。許せない。見逃せない。

「……何だよ。今日はえらく甘えただな」

「べっつにー」

 だから、上書きする。

 尚哉は拒否しない。私のこれが、小さい頃からの甘え癖だと思っているから。

 胸は、そこまで大きくならなかったけど、だからこそ密着しても尚哉は慌てないし、寧ろ私の頭を撫でてくれる。

 この手が、好き。雑だけど、手つきから優しさが感じられるから。

 幼稚園の頃からずっと一緒に居る。小学校も、中学校も、そして高校も。

 勿論、他に友人は居る。自慢じゃないけど、私は顔が広い方だから。部活も続けているから先輩の方にも知り合いは多い。

 けど、一緒に居るのは尚哉だけ……ううん、尚哉が良い。

 今は幼馴染だけど、いずれは……こ、恋人なんて……。

 でも、告白は出来ない。これは私じゃなくて、尚哉の問題。

 さっきは、彼の優しさは気付かれないって言ったけど、全員が全員気が付かない訳じゃない。尚哉自身も、優しく接する相手を選ばないから。

 その過程で、彼の優しさに気付いて惹かれる子は少なからずいる。積極的な子の中には告白した子も居た。

 可愛い子も、綺麗な子も居た。なのに、尚哉は全部断ってきた。私に難癖をつけてくるような子も居た。

 ただ、私にも分からない。尚哉は彼女を作ろうとしない事だけは確かで、直感的に私が今告白しても尚哉は多分断るんだろうと思う。

 それは、直線的な言葉なのか、それとも迂遠的な言葉なのか。予想は付かなくても、断られるっていう結果は変わらない、と私はそう感じ取ってしまったんだから。

 だから、これはマーキング。彼が私の物だっていう意思表示。

 誰にも渡さない。

 彼の隣ここは私の場所だから。



 最近の女子ってボディータッチが多いのか。そんな阿保みたいなことを考えながら、俺は朝の通学路を歩いていた。

 昨日は……何だろうな。何というか、色々あった。

 始業式に、白鳥との本格的な顔合わせ。あの紅茶は旨かったから、ペットボトルを買ってみたけども、半分も飲めずに撃沈。残りは松井に飲んでもらうなんて事に。

 そういえば、昨日の松井は随分と甘えただったな。何というか、人懐っこい犬みたいな感じでグリグリすり寄って来たし。

 今更ながら、アイツともかなり長い付き合いだな。親除いたら最長かもしれない。というか、最長だな。

 ホント、俺みたいな奴にはもったいない限りだ。

 少し、気分が沈んだ。朝はどうにも苦手だ。いや、俺に得意な時間帯なんて無いんだけどな。

 どんな時間でも死んだ目をして、体を引きずる様に、徘徊老人の様に動き回るばかり。

 落ち着いてる、とか言われた事もあるけど、それは単に俺に活気とかやる気とか元気とかがごっそり抜け落ちて、結果的にそう見えるだけ。

 いつからだったかは、分からない。ただ、いつの間にか一歩踏み出すだけで良いはずの足が重たくなった。

 一歩踏み出せば、何かが変わるかもしれない。何も変わらないかもしれない。

 俺は、後者が現実だと常々思ってる。

 言葉では表現しにくいけども、分かるんだ。それは未来視とかそんな中二的な事じゃなくて、経験則と予想から。後は、俺自身が大きく期待をすると大抵は裏切られる。

 まあ、後ろの部分は愚痴でしかないんでどうでもいい。

 問題は前半部分。始める前から、ある程度の予想が立つんだからだったら必要最低限で熱意なんて持つだけ無駄って言うのが持論なんだ。

 まあ、結局のところ俺はやる気のない燃え尽きた枯れ木みたいなカス野郎って事だな、うん。

 ドロッとした精神状態だったせいか、頭の中でクソ野郎の文字が堆積した辺りで学園の校門前についていた。

 少し小高い山の上にある白鷗坂学園。敷地面積は、野球のドーム数個分だとか。金持ちだな、うん。

 俺がこの学園に進学を決めたのは、家から近かったから。後は中学の先生からの推薦と、それから学費が安かったことから。

 俺のイメージ的に私立は学費が高いイメージがあったんだけども、学園の経営陣は子供への教育の為、とか言うので普通の県立高校とほとんど変わらない学費しかかからない。

 流石に、学食無料とか、教科書無料、みたいなことは無いけども、それでも十分良心的な値段で、その上旨い。俺は殆ど使った事ないけど。

 敷地内も、野球用のグラウンドに、サッカー用のグラウンド。陸上のトラック、投擲系の競技用設備。テニスコート。体育館は第三まであって、五十メートルのプールに、武道場、卓球場。部室等もあれば、文化部用のクラブハウス等など。

 今更ながら、よくもまあ受かったな、俺。そして、設備の大半は使った事が無い。

 いっその事、普通の県立高校に通う方が良かったんじゃないか。そんな事を考えていれば、不意に鼻に甘いニオイがした。

「おはよう、藤坂君」

「お、おはよう……白鳥、さん」

「ふふっ、清…と呼んでくれても良いのよ?」

「勘弁してくれ……」

 いたずらっ子の様に微笑む白鳥は、何が面白いのやら。ついでに、さっきまで背景の一つに溶け込んでいた俺に対する注目度が跳ね上がってる気がする。もっとも、その大半は、白鳥を見るついでの物ばっかりだけどな。

「……てっきり、車で送り迎えされてるのかと思ったんだが?」

「門の前までよ。流石に、学内に車を乗り入れたら邪魔になるもの」

「リムジン?」

「ええ、そうよ。今度、乗せてあげるわね」

「確定事項なのかよ……迷惑じゃないか?」

「リムジン、何て言うけど車は車よ。人を乗せてこそ意味があるの。置物にするには維持費がかかりすぎるわ」

「そういうもんか……いや、待て。乗る感じに話が進んでるけども、別に俺は――――」

「冗談よ。貴方の慌てる様子が見たかったの……ねぇ、一枚良いかしら?」

「流石に止めてくれ。ただでさえ、視線集めて居心地悪いってのに」

 視線と一緒に、ヒソヒソとした中身の聞こえない会話があちこちから聞こえる気がする。それが酷く、居心地が悪い。かといって逃げ出す度胸も俺にはない。

 逃げるっていうのは、勇気が要ると俺は思ってる。

 無防備に背中を晒して、その背中は指をさされて糾弾されるかもしれない。逃げた後に残るのは周囲からの冷たい目。

 その他にも色々あるけども、逃げる事には大きなリスクが付いて回る。

 今回の場合は、俺が白鳥から逃げれば彼女に向けられていた目も含めて、俺が視線を独り占めする事になる。そこから良からぬ噂を流されて、周りからヒソヒソされ続ける。

 流石に、辛い。ゴミカスクソ野郎でも、だからって必要以上に敵を作りたいわけじゃないんだから。

 今俺に出来るのは、白鳥の機嫌を損ねる事なく、尚且つ周りからのヘイトを集め過ぎない程度に相槌を打って、更に退屈させない事。

 ……無理ゲー過ぎませんかね。でも、やらないと今後の学園生活が、死ぬ。

 幸いというべきか、白鳥は鈴が転がる様にコロコロと笑ってくれてる。

 昇降口は、まだ遠い。

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