第3話 再会と

 朝のHRホームルームに始業式が終われば、後は部活の時間。この日は在校生も授業は無いし、部活に関してもそもそも俺はやってないんだから参加もクソも無い。

「……ねぇ、本当に行くの?」

「行く。というか、行っとかないと多分忘れるから」

「……」

「何だよ。というか、お前こそ早く行かなきゃ遅刻するぞ?陸上部のエース様」

 カバンに一通り荷物を詰めながら、俺は松井にそう言った。

 こいつは、運動が得意だ。そして、所属は陸上部。中学の頃から変わらずで、主戦場は主に短距離。

 前に何度か観に行った時も、ぶっちぎりだったな。ついでに、松井は俺にも陸上をやらせようとしてきたんだが、生憎と俺はインドア派。散歩ぐらいがちょうどいい。

 話は戻して、どうにもこいつは愚図ってる。何でかは、知らない。

「……夜に、行っても良い?」

「んー、まあおばさんたちが良いって言ったらな?あと、本当に来るなら、先に連絡入れろよ?迎えに行くから」

「…………そういう所だよ」

「あ?何だよ」

「べっつにー?……じゃあ、夜にね」

 急に機嫌のよくなった松井は、そのまま軽い足取りで教室を出て行った。

 本当に、何なんだアイツ。ついでに、周りもヒソヒソしてるんじゃねぇよ。何だその目は。陰口は宜しくねぇけど、そうやって見える範囲でチラチラこっち見ながら声潜めて話してるのとかかなり気になるんだよ。メンタルが弱い奴なら、心削れてんぞ。

 っと、そんな事を思っても誰かに言う事はしない。意味も無いし、意義も無いからな。その代わり、そそくさとその場から逃げ出すように教室を後にする。

 時間帯は、まだ昼間。始業式と連絡事項だけなんだから当然と言えば当然か。

 廊下は明るい、すれ違う生徒の顔も明るい。明るすぎて、直視する事も躊躇われるな。

 今更ながら後悔してきた。元々、俺は社交的な人間じゃないんだ。

 ただ、時すでに遅し。もう俺の足はC組の近くまで辿り着いていた。ここから奥へと進めば、B組、A組と向かう事が出来る。

「……」

 とりあえず、教室に突撃する前に廊下から中を窺おう。幸いというべきか、他クラスもホームルームが終わって生徒の大半は自由行動中。教室の扉も開いてるお陰で態々開けて中を確認する必要が無い。

 出来るだけ目立たないように、ゆったりとした足取りのまま横目に教室を観察していく。

 C組には、居ない。B組も、派手な金色は無し。

 となると、A組か。教室棟のどん詰まりで、ここまで行くとちょっと目立つんだが、まあここまで来て何の成果も得られないってのは俺としても御免被る。

 そして辿り着いたA組の前……なんだが、

「閉まってるな」

 そう、閉まってる。前も後ろも閉まってる。

 人の気配はするから、教室に誰かは居るんだろう。けど、その正確な人数が分からない。

 最悪のパターンは、ここで扉を開けてホームルームにかち合う事。かといって、長々と教室の前で待つのも針の筵に座る様に居心地が悪いな。

 仕方なく、廊下の壁に凭れかかって、手持無沙汰に周囲を見渡す。

 部活に入らなかったことに後悔があるかと聞かれたら、俺は無いって答える。

 別にニヒルを気取っているとか、もっと他にやりたい事があるとか、そんな理由じゃない。

 惨めになるんだ、自分が。だから、やらない。それだけ。

 それは兎も角、遅いな。もしかしたらホームルームは終わってるのか?

 いろんな可能性が頭に浮かんでは消える。この決断力の無さも、悪いところだなやっぱり。

 うじうじうじうじと悩んで、結局保留にして動けない。ああ、嫌になる。

 自己嫌悪に目を腐らせていれば、不意に扉が開いた。

 教室から出てきたのは、顔見知りの先生だ。

「ん?何してるんだ、藤坂」

「どーも、並川先生」

 一年の頃に担任だった並川先生。ちょっと頭が薄いのが気になる若い男の先生だ。

「まあ、ちょっとした人探しですよ。理系って話なんで、A組もちょっと覗こうかと思った次第です」

「そうか。まあ、面倒事は起こすなよ。まだ初日だからな」

 そう言って、並川先生は職員室の方に向かっていった。やる気が無い、訳じゃなくてどちらかというと先生は放任主義なんだ。必要以上に口出ししてこない。でも締めるところはキッチリ締めるから割と信用できる人だ。

 その背中を見送って、ついでに先生の開けた扉から教室の中を、

「何をしてるのかしら?」

「あん?」

 見ようとしたら声を掛けられた。

 声の方に居たのは、探し人。廊下の窓から差し込んでくる陽の光に煌めく金髪は宛ら蜂蜜色に見える。

「あ、えっと……白鳥さん、だよな?」

「ええ、そうよ。そういう貴方は……そうね、ちょっとついてきてくれるかしら」

 そう言って、白鳥は颯爽と教室から出てくると廊下を行く。後ろ姿まで目を引くんだから、何というかオーラが違うって奴を実感させられる。

 まあ、とにかく後を追いかけないといけないんだがな。離れていく背中を小走りに追いかけて隣に並んだ。

 改めて横目で白鳥を観察してみる。

 俺の身長が大体173センチぐらい。もしかすると、もう少し伸びてるかもしれないけども、そんな俺の視点から見下ろせるぐらいだから、彼女は大体160センチ台だろうと思う。

 陽の光に輝く金髪は、まるで……何だろうか。チープだけども幻想的な雰囲気がある。

 意志の強そうな紅い瞳は、ルビーのようで。しかし、そこらの宝石よりもよっぽど惹かれる気がした。

「私の顔に、何かついてるのかしら?」

「え?あ、いや、そういう訳じゃねぇよ……悪い、見過ぎた」

「別に怒っていないわ…こっちよ」

 怒ってないのなら、もう少し言葉の棘を緩めてほしいもんだ。

 そんなこんなで、俺達は白鳥の先導の下で渡り廊下を通って特別教室棟へとやってきていた。

 遠くで管楽器の音が聞こえる中、階段を上って辿り着いたのはこれまたどん詰まり。

 というのも、この白鷗坂学園には用途不明の空き教室が結構な数存在している。

 何故か調理室が二つあったり、音楽室に至っては三つもあって、その三つを繋ぐようにして吹奏楽では使う事の無い楽器が色々と収められている音楽準備室と楽器庫もあった。

 今回、連れて来られたのは普通の教室。ただ、机やテーブルは撤去されて、代わりにブラックレザーのソファベッドやら、それに合わせたローテーブル。ポットに、紅茶やコーヒーを淹れるセット。ツードアタイプの冷蔵庫に三枚の畳。窓にはカーテン。

「……私室か?」

「あながち、間違ってないわね。ここを使うのは、私ぐらいだもの」

 ポツリと呟けば、白鳥はあっさりとそんな事を言ってローテーブルに自分の荷物を置くとポットその他が置かれた区画へと歩いていく。

「楽にして頂戴。今飲み物を淹れるから」

「え?」

「紅茶は?ミルク?それともレモン?ストレートでも良いわよ?」

「……あー…飲んだ事ねぇからお任せする」

「そう。それじゃあ、ミルクティーにするわね」

 上機嫌……に見える白鳥を止める事は、俺にはできません、はい。

 そもそも、何がどうしてこうなるんだか。俺はただ、春休みのあの事に対して礼を言おうと思っただけなのに。

 とりあえず、言われた通り一番近かったソファベッドの端に腰掛けて、その脇にカバンを下して待つことにする。

 生憎と、この状況下で本を読んだり、スマートフォンを弄ったりする様な余裕も度胸も俺にはない。

 居心地が悪い中で、紅茶のいい香りとそれから湯の注がれる音、時計の針が動く音だけが響く、広がる。

「はい、どうぞ。隣失礼するわね」

 そろそろ話題の一つでも出してみようかと考えていた所で、白鳥がカップを二つ持って戻ってきた。

 そして、俺の前に一つおいて、彼女自身はマジで俺の隣に座ってくる。

 本当に、隣だ。というか腕を動かせば当たるようなそんな距離で、その上にいい匂いがする。紅茶じゃなくて、柔軟剤か?柔軟剤だよね?柔軟剤と思う事にしよう、うん。

 感触だとか、ニオイだとか、それら一切合切から意識を逸らすためにカップに手を伸ばす。

 湯気と一緒に上がってきた香りは、芳醇。荒れたメンタルを宥めてくれた。

 そして一口。

「……旨い」

「そう、お口に合って何よりだわ」

「いや、本当に旨いな。何というか、手間がかかりそうなイメージだったから紅茶って毛嫌いしてたんだが……」

「それは物によるわね。ティーパックなんかでも簡単に飲めるし、場合によってはコーヒーを一杯淹れるよりも手間がかからない場合もあるわ」

「ほーん……」

「それで?落ち着いた?」

「……え?」

「私に話があって探していたんじゃないの?」

「あー、まあ、そうだな」

 紅茶で吹っ飛んでたわ。いや、それだけの衝撃だったって事なんだけど。

 カップを置いて、改めて白鳥へと向き直る……ついでに近さを再確認する事になったんだが、流石に露骨に距離は取れない。

「えっと、白鳥さん。春休みは、助かった。本当にありがとう」

「気にしないで頂戴。あの場に居たのは、だったもの。貴方が感謝するべきなのは、自分の幸運よ」

 なんか、言い回しが凄いカッコイイ。え、絶対俺が言わないであろうランキングのトップが更新されまくってるんですけど。

 それにしても、絵になるな。カップ傾ける美少女なんて。

「……ふふっ、そこまでじっと見られると、恥ずかしいわね」

「あ、ごめん……」

「良いわ、許してあげる。その代わりに、一枚写真を撮らせてくれないかしら」

「写真?……そういえば、あの時も撮ってたな。趣味なのか?」

「趣味……ええ、そうね。趣味よ。特に貴方って写真に映えるもの」

「それは無いだろ……SNSとかに挙げて晒上げたりしないのなら、まあ……」

「そう、ありがと」

 言うなり、フラッシュが俺を襲う。本当に一瞬でいつ手元に用意したのか、白鳥のスマートフォンがそこにはあった。因みに、最新式の奴。

「……まっぶし」

「あら、ごめんなさい……ねえ、藤坂君」

「ん?……アレ?俺名乗ったっけ?」

「ええ。それで、藤坂君。連絡先を交換しない?」

「え?」

「折角、こうして縁が出来たんだもの。交友関係を広げるのも大切でしょう?」

「……そういうもんかね」

「そういうものよ。ほら、スマホ出して頂戴」

「お、おう」

 言われるがままに、ポケットからスマートフォンを取り出す。

 そういえば、連絡先が増えるのは随分と久しぶりだな。それも、女子の名前が増えるとは……。

「時々、連絡してもいいかしら?」

「ん?まあ、良いぞ。それこそ、深夜とか早朝みたいな時間じゃなければ。気付かない事はありそうだけども」

「その時は、他の手段でメッセージを送るわよ」

 何が楽しいのか、白鳥の表情は柔らかい。

 それにしても、この部屋の本来の用途って何なんだ?

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