第2話 新生活

 春休みも終わって新学期。ここ、私立白鷗坂はくおうざか学園もまた、新年度としての学園生活が始まった。

 俺のクラスは、二年E組。因みに、白鷗坂学園では二年に上がる前に文理選択をさせられてA~Cまでが理系。D~Fまでが文系。それから海外進学を視野に入れた国際文化と就職狙いの実技系のGやHクラスがある。

 はい、がちがちの文系です。その癖、英語は苦手。一応、赤点をとったことは無くとも七割前後が限界。

 俺の学業成績は兎も角として、この学園の一クラスは凡そ三十五人という事になってる。

 凡そって言うのは、国際文化と実技系が三十五人に届かない場合があるから。確か、どっちも二十五人程度じゃなかったか?

 俺の席は、六列ある席の内で一番左の前から三番目。窓際の席で、日差しはきついが窓を開ければ少しマシなそんな席。このご時世、各教室にはエアコン完備だけども稼働するのは、夏とか冬とかそれ位。場合によっては残暑厳しい秋も稼働する、か。少なくとも、春は起動しない。

「……」

 カバンの中身を出しながら、チラッと周りに視線を飛ばす。

 男子も女子も仲のいい人間同士で纏まっているのがよく分かる。もちろん、全員が全員じゃない。俺含めて。

 一つ補足をするなら、俺は別にボッチじゃない。いや、強がりとかではなく、これは事実。

 ただ、俺自身は一人でいる事が別段苦じゃないってだけだ。一人焼肉、一人カラオケ。割と平気で行ける。ついでに、知り合いは一人を除いて全員理系に居る。

 そんな俺の味方は、制服の上着のポケットに収めた文庫本。本好きが見たら怒られそうなもんだけど、便利だから仕方ない。因みに、自分の本だ。流石に借りた本をポケットには突っ込まない。

 白鷗坂学園の制服は、紺のブレザー。ポケットが大きめで、右側にはスマートフォンとイヤホン、左のポケットには文庫本。趣味が読書と言える程度には、読んでるつもり。

 さて続きを――――

「おっはよー!尚哉ー!」

「ッ……!」

 音に殴られるって言うのは、こういう事なんだろう。

 机の右側の通路。つまり、俺の右隣に立ってるのは一人の女子。というか、昔馴染みというか何というか。とにかく、知り合い。

「……おはよう、松井。今日も元気だな」

「テルちゃんって呼んでも良いよ?」

「……で、何の用だよ、松井」

「もー、相変わらず強情というか、変なところで意地っ張りだよね」

 ほっとけ。

 こいつは、松井照喜まついてるき。男みたいな名前だけども、れっきとした女だ。

 黒髪のショートカットに、少し日焼けした肌と八重歯。見た通りの運動大好きっ子で、男子からの人気も高い。

 まあ、本当に。幼馴染とかじゃ無ければ関わる事の無い人種だわな。陽キャも陽キャだし。

「で、また難しい本読んでるの?」

「難しくねぇよ。流石に、純文学とかを持ってくるわけ無いだろ。普通のミステリーだって」

「えー、ちょっとは御話しよう?ほら、折角今回は席が近いんだから」

「近いって……いや、真後ろかよ」

 何でこいつ、態々となりに来たんだ?後ろから、声を掛ければいいだろうに。

「それは、尚哉と話したかったからだよ」

「いや、ナチュラルに心の中を読んで来るんじゃねぇよ。というか、横だろうと後ろだろうと変わらな――――」

「変わるよ」

「いや、でも――――」

「変わる」

「あ、はい」

 怖っ……時々、こいつは妙に威圧感を放ってくることがあるんだよな。

 こういう時は、話題を変えるに限る。

「……で?何の用だよ」

「尚哉、春休みは何してたの?ほら、今年はあんまり会わなかったしさ」

「春休み?あー……適当に課題を終わらせて、後はぐーたらしてたぞ。時々散歩に出たり、位だな」

「あっはは!相変わらずじゃん。ホント、尚哉って散歩好きだよねぇ。もう、街で知らない場所とかないんじゃない?」

「流石にそんな事ねぇよ……多分」

 そもそも、俺は別に道を覚える為に歩き回ってる訳じゃない。

 風の吹くまま気の向くままに歩き回ってるだけなんだ。寧ろ、道なんて覚えてない。

 そういえば、と俺は春休みの一日を思い出した。

「俺、一回事故りかけたな」

「事故!?ちょ、大丈夫だったの!?」

「大丈夫じゃなけりゃ、今こうして此処に居ないだろ。未遂だ、未遂」

「はぁ……心配させないでよ。尚哉って、時々変なところで危なっかしいんだからさ」

「……危なっかしさで言えば、お前も変わらないだろ」

「いいえ!尚哉の方が危なっかしい!……で?何があったの?」

「あのアーケードのスクランブル交差点あるだろ?あそこで渡ろうとしたら、赤信号を突っ切ってきた猛スピードの乗用車に撥ねられかけた」

「その車のナンバーは?」

「覚えてない。そもそも、そっちを見る前に助けてくれた奴を見たからな」

「助けてもらったの?それって、女の子?」

「ん?ああ、まあ……そういえば、松井。お前、金髪ツインテールの目が紅い女子って知ってるか?」

「……その子が、なに?」

「いや、俺を助けてくれたのが、その女子なんだよ。車が突っ込んでくるのに気づかなかったんだけども、後ろに引っ張って助けてくれてな」

 今思いだしても、アレは本当に紙一重だった。

 もしも、あの子が引っ張るのが少しでも遅かったのなら、体は無事でも踏み込んだ足を吹っ飛ばされてたかもしれないし。

 それにしても、松井が黙ったな。知ってるって事か?

「松井?」

「……その子が何なの?何でそんなこと聞くの?ねぇ、何で?」

「あ?えっと……その時は、気が動転しててな。挨拶もそこそこに離れちまったんだよ。で、どこかで見た気がしたからもしかしたら、学園の生徒じゃないかと思ってさ。松井は顔が広いし、知ってるかと思って聞いたんだけど」

「ふーん……その、金髪の子ね」

 何だろうか、窓際で日差しがある筈なのに、うなじの毛が逆立つような感覚がある。ついでに、周りで騒いでいた新しいクラスメイト達もどこか居心地が悪そうにその声の声量を落としていた。

 ハッキリ言って、気まずい。でも、俺にはどうにもできない。そこ、どうにかしろ、みたいな目で見るんじゃねぇ。寧ろ、どうにかしてくださいお願いします。

 だが、俺の願いは届かない。周りも、いつもなら松井に対して少しでも気を引こうとする野郎どもすら近付いてこない。

「あー……松井?」

「なに?」

「あ、いや、その……誰か分かったりするか?」

「まあ、ね……というよりも、学園の中でも相当な有名人だと思うよ?寧ろ、尚哉に見覚えしかなかった……いや、だからこそ尚哉、か」

「おい、何だよその意味深な発言」

「べっつにー?単に尚哉が、あんぽんたんの朴念仁の唐変木ってだけだよ」

「何でいきなり、罵倒されてるんだよ……で、結局、どこの誰なんだ?」

「ん?この学園の理事長のお孫さん」

「は?」

「それで、私たちと同じ学年だよ。クラスは確か文系説明の時に居なかったから理系だと思うけど」

 目が点になった。ついでに、松井が呆れるのも当たり前か、と納得も出来た。

 いや、同じ学年ならすれ違った事もある筈だ。目立つ見た目だし、多分道行く時でも彼女が通れば、目で追ってしまう奴も居ると思う。

 でも、

「うーん……?」

「どしたの?」

「……いや、何か違う気がするんだよな」

「違うって?白鳥さんの事?」

「……白鷗坂じゃないのか?」

「違うよ、白鳥。白鳥家の一人娘で、ご令嬢なの」

「ほーん……」

「で?何で首捻ってるのさ」

「いや……学園じゃなくて、別の所で会った気がするんだよな」

「……白鳥さんと?」

「おう」

「どこで?いつ?」

「さあ……」

 別にはぐらかしている訳じゃない。本当に思い出せないだけ。

 何故だか気温がさらに下がった気がするけども、俺としてはそんな事よりも彼女の事が気になった。

 まあ、気になるばかりで思い出せる訳でもない。何というか、喉の奥で言葉が溜まって、詰まって、でも出力されないようなそんな感覚。

 割と俺は、これがある。思い出せない事。そして、ソレが気にかかる事。

 そしてそして、結局最後には妥協して、なあなあで済ませる事。

 嫌になる、そんな自分。けれどそれらはおくびにも出さない。

 量産品の椅子に横向きで腰掛けて背もたれをひじ掛けに、窓の嵌められた壁に背中を預けてボケっと教室の中を観察する。

 談笑する者、騒ぐ者、静かに読書する者、勉強する者、寝ている者、何をするでもなく頬杖をついている者。

 色々居る。かくいう俺も、不特定多数の一人でしかない。

 それで良い、それが良い。そんな事を考えていれば、いつの間にか胸の内のつっかえも気にならなくなる。

 とはいえ、放課後にでも改めて礼を言いに行こうか。うん。

 この時、俺は気付かなかった。俺の横顔をじっと見つめる琥珀色の目に。

 その目が深く深く、沈んで濁っていく事なんて。

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