知らぬが仏のしっとりラブコメはお断りしたい

白川黒木

第1話 ぼーいみーつがーる

 小さい頃から、俺には将来の夢というものが無かった。

 小学校の頃は困ったもんだ。先生やら両親やらは、軽い気持ちで俺に将来の夢を聞いてくる。でも、俺には興味のある職業なんて一つも無かった。

 だから、その場凌ぎで適当な事を言う。その繰り返し。

 大人たちは、誰も気づかない。それが本当に俺の将来の夢だと信じていたみたいで、両親に至ってはソレ関連の絵本やらなんやらを買ってくる始末。

 俺自身、いつかは自分が熱中するようなそんなものが出来ると思ってた。

「……んな訳ねぇだろ、クソが」

 昔の自分の楽天っぷりを思い出して、悪態が口から飛び出してくる。

 春が近づいてくる三月の下旬。高校一年生だった俺は、二年生への昇級を前にモラトリアム期間の春休みに何をするでもなく街をぶらついていた。

 俺には、何もない。幼稚園から小学校低学年まで続けていた体操クラブは面倒になって辞めた。その後に始めた水泳も、無理矢理上げられた一段階上の練習コースにぶち込まれて辞めた。

 人並みに毛が生えた程度の運動神経は、大抵のスポーツが出来てもそれ以上のレベルには絶対に到達しないっていうね。

 勉強に関しても、そう。典型的な文系の俺は中学に上がって数学、科学、物理の数式系がちんぷんかんぷん。文系科目に関しても百点を採るようなものじゃなく、精々が八割強といった所。全体的な成績もパッとしない。

 容姿もそうだ。平凡といって良い顔だろう。典型的な日本人顔で、彫りは浅くも深くも無い。顔面のパーツが整ってる訳でもない。ブス……じゃないとは思う。思うけども、俺自身自分の容姿を前面に押し出すような事した事無いから分からない。

 兎にも角にも、俺には何もない。内面なんて、腐ったヘドロか、がらんどうだ。外面だけは良いから、明確に嫌われたり、いじめの対象にならないだけマシ、だけどな。

 嫌な事ばかり考えていると、思考が暗黒面に堕ちてくる。

「ああ、クソだ。お前には、何もない。クソ野郎だ、本当に。夢も無ければ、努力もしない。流されるばかりで本当に役立たずのゴミムシだ」

 マスクをしてるから口の動きじゃ分からないだろうけども、自然と口からは悪態しか出てこない。

 良くない。実に良くない、けれども止められない。

 ゆらゆらと歩道を進みながら、誰も居ない事を良い事に吐き出し続ける。もっとも、どれだけ吐き出しても俺の貧相なボキャブラリーから捻りだされる悪態は全く途切れることは無いんだけれども。

 それだけ、俺は自分の事が嫌いだ。内面に目を向けたら、黒い洞しかないような自分が大嫌いだ。

 目が淀んでいく気がする。体は鉛のように重い。背筋は前に曲がっていく。

 それでも、足だけは止まらない。

 どうにも俺は、一度歩き出すとしっくりくるまで歩いてしまう癖があった。暇な時なら、下手したら三時間以上歩き回ってる事もある。ついでに、この散歩のときには信号待ち以外で立ち止まる事は、絶対に無い。GPSでもつけてみたら、街中を蜘蛛の巣でも張り巡らすように軌跡が残るんじゃないか?

 一応、財布とスマートフォンは持ってるからどこかの店に入って時間を潰すぐらいなら出来る。

 でも、やっぱり足は止まらない。

 そんな足が唯一止まる信号待ち。街の中心部辺りにあるアーケード。そのさらに中心辺りにあるスクランブル交差点で信号が変わるのを待ちながら空を見上げる。

 この季節は、あんまり好きじゃ無い。俺は、花粉症なんだ。それに気温的にも服の調整が難しい。何年か前に、風邪と花粉症のダブルパンチでくたばった時には地獄を見たから。

 そんな事を考えていたからか、視野が狭かったのか信号が変わった直後に一歩踏み出した俺は、急に後ろに引っ張られて尻もちをついていた。

 何が起きたのか分からないまま呆然とすれば、数歩先の道路を一台の乗用車が猛スピードで走り抜けていった。

 風が前髪を揺らして、ついでに自分のありえたかもしれない未来に血の気が引く。

 もしも、後ろに引っ張られてなかったらまず間違いなく、俺はこのスクランブル交差点で潰れたトマトになって、近くの電柱に花が供えられていたことになってた気がする。だって、走っていった車、明らかに百キロ以上出てたもの。

 とりあえず、お礼を言おうと横を見れば、そこにあったのは絶対領域。

 いや、本当にふざけた訳じゃない。顔横に向けたら、白いハイソックスに黒の短いスカート、そしてその間からむちっとした太ももが覗いてるんだから。

 今日の気温がそんなに低くないとはいえ、ファッションってのはよく分からないな。

「……いつまで、私の足を見てる気なの?」

「あ、いや……すみません」

 上から降ってきた高圧的な言葉に、思わず背筋が伸びる。というか、いつまで俺も座ってるんだって話な。

 立ち上がって、尻についた汚れを払い落として命の恩人に向き直ってみれば、そこに居たのは金髪の、どこかで見た覚えのある美少女が一人。

 どこで見たのか、思い出せない。割と身近だったような気もする。

 にしても、綺麗な顔だな。陶器みたいな染みの一つも無い白い肌に、すらっとした鼻立ち。ルビーみたいに紅い目は意志の強さを感じるし、ツインテールに結ばれた金髪は枝毛の一つも見つからず、陽の光を綺麗に反射してる。

 出来る奴、に見える。少なくとも、彼女は随分と金を掛けてあるから。

 金を掛けられた人間は、二種類に分けられると俺は思う。

 一つは、掛けられた金相応の、もしくは相応以上の結果及び実力を有している場合。

 もう一つは、掛けられた金をどぶ川に捨てる場合。

 ただ、後者に関しては周りの環境が悪い場合もあるから一概に掛けられた側が悪いともいえないのが面倒なところ。

 閑話休題それはともかく。これからどうしたもんか。

 この、見るからに気の強そうな見覚えのある女子は、俺の命の恩人という事になる。

 まあ、兎にも角にも、

「ありがとうな……本当に、助かった」

 感謝を伝えるべき。俺はそう判断して頭を下げた。中身の無い、軽い頭ではあるけれども、やっぱり下げないよりはマシだろ、うん。

 打算、というか。そんな身も蓋も無いような事を考えていれば、目の前の気配が動いた。

 そして、小さなフラッシュと、それからシャッター音……って、

「……何してるんだ?」

「気にしないで頂戴」

「いや、人のつむじいきなり撮っておいて気にしない方がおかし――――」

「気にしないで頂戴。アンタに害がある訳じゃないわ」

「えっと、でも――――」

「私、命の恩人よね?」

「ぐっ……それは、まあ……」

「だったら、報酬の一つ貰っても問題ないわよね?」

 いや、その理論はおかしい……って言えたらよかったんだけども、頭を上げて見た彼女の目を真正面から見て言葉が出なかった。

 淀んでいた。それはもう、逆に澄んでいるんじゃないかと錯覚しそうなほどに、彼女の目は紅い瞳は澄んでいたんだ。

 そんな目を見せられたら、ヘタレな俺は何も言えない。寧ろ、言える奴が居たら称賛物じゃないか。

 直感的に、関わるのは宜しくない相手だと俺の怠け切った本能が警鐘を鳴らしてきた。

 一応、命の恩人と言えどもこれ以上の接触はヤバい。そんな判断を頭で下して、俺は回れ右をする。

「じゃ、じゃあ、そう言う事なんで……」

「……ええ。事故に遭わなくてよかったわね」

「お陰様でな……それじゃ」

 そそくさと、その場を離れる。決して振り返らずに、決して走らず、でもなるべく早く立ち去れるように。

 何となく、視線がずっと背中に張り付いているような違和感が拭えなかったけども、それも交差点から離れて角を曲がったら無くなった。

 昔からお気楽な俺の脳ミソは、この件の事を一週間もしないうちに忘れる事になる。一応、事故に遭わないように気を付けるようになっても彼女の事はすっかり頭から抜け落ちてたんだ。

 それが、俺の首を絞める事になるなんて、この時は考えもしなかった。



「……ふふっ、可愛いわね」

 離れていく背中を見つめながら、私は右手に残った感触に思いを馳せる。

 私、白鳥清しらとりきよは恋をしている。

 あの猫背な彼は、藤坂尚哉ふじさかなおや

 彼は、本当に面白い。そして、可愛い。

 何より私が惹かれたのは、その優しさ。そして、優しさを持っているくせに当の本人は欠片もその事に気づいていない事。それどころか、見る人が見たら分かる溢れる自己嫌悪の黒さ。

 全てが、愛おしい。

「それにしても、アレは許せないわね」

 スマートフォンを取り出して、短縮ダイヤルを回す。

「……あ、森野もりの?今から言うナンバーの車、その持ち主含めてしておいて頂戴」

『畏まりました、お嬢様』

「あと、いつものも用意しておいて」

『そちらも、委細承知いたしました』

 そこで、通話終了。スマートフォン画面に映るのは、愛しの彼の横顔。

 珍しい赤面して、照れたように頬を掻く、彼の顔。

 この表情をさせたのが、私じゃないって言うのは気に入らないけれど、それでもレアは、レア。

 まあ、でも、

「いずれは、専用にするんだけどね」

 逃がさないわよ、尚哉。

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