人形おじさん

尾八原ジュージ

人形おじさん

 俺の住む町には、変わった年寄りが住んでいた。時たま聞く「町の名物おじさん」の類だったのだろう。

 その人はいわゆるロリータファッションというのだろうか、年がら年中ビスクドールみたいな格好をして、特に意味もなく町中を練り歩いていた。真っ白く化粧した顔は皺やシミを隠しきれず、おまけに180センチ以上ある身長とがっちりとした体格は、完全に男のものだった。俺たちはその男を人形おじさんとか、人形じじいなどと呼んでいた。

 人形おじさんが死んだのは、俺が中学一年生のときだった。そのとき俺は初めて、彼の名前が「富木さん」であることを知った。独居老人で身寄りもいなかったので、葬儀は町内会が何やかんや面倒をみたと聞いた。

 ともかく、人形おじさんはいなくなった。そのはずなのに、葬儀の後から「死んだはずの人形おじさんを見かけた」という噂が立つようになったのだ。

「誰かがイタズラでおかしな格好してるんじゃないか。それか噂を流してるか、どっちかだろう」

「嫌ねぇ。わざわざそんなことするなんて」

 父と母などはそう言って憤慨していた。


 九月の終わり頃だった。公園の生け垣で、キンモクセイが満開の花を咲かせていた。その日、一人で下校していた俺は、その生け垣の側にドレスを着た男が佇んでいるのを見たのだ。

 こちらに背を向けてはいたが、がっちりとした体格といい、極端な猫背といい、それはまさに死んだはずの「人形おじさんの富木さん」に見えた。色あせたピンクのロングドレスも、見覚えのあるものだった。

 声をかけるなど思いもよらなかった。ぞっとして立ちすくんでいる俺の視線の先で、人形おじさんらしき人は、キンモクセイの花を毟って食べ始めた。彼の行為の異様さが理解できるまでには少し時間がかかり、その間俺はずっとその光景を眺めていた。

 五時を知らせるチャイムが鳴り始めた。俺ははっと夢から醒めたような気分になった。俺に気づいたのか、こちらを向きかけたおじさんの口からは、黄色い花弁が溢れていた。

 俺は逃げ出した。這々の体で家にたどり着くと、母が夕食の支度を始めるところだった。

「どうしたのよ、そんなに急いで」

「に、人形おじさんが……富木さんがいた」

「やだ、あんたまでそんなこと言わないで」母は嫌悪感を露わにした。「そんな話、亡くなった人に失礼でしょ」

 そのとき、誰も触っていなかった電話台の引き出しが、ひとりでにガタガタと音を立てて震えた。

「きゃっ」

 母が悲鳴を上げた。

 俺は恐る恐る引き出しを開けた。そこには文房具や銀行でもらえるメモ帳なんかが入っているだけで、特別なものは何一つないように見えた。

 ただその引き出しを開けた瞬間、中からキンモクセイの香りがむっと立ち昇ってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人形おじさん 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ