ソは青い空
電楽サロン
ソは青い空
「あらら」
魅々子の目の前には六芒星の魔法陣。中に鎮座するのは首のない着物の死体。おおっと、殺人事件だ!
時間をぐるっと巻き戻そう。
サークル活動が終わり、杏子先輩と魅々子はファミレスで夕飯をとっていた。
杏子先輩はいつものZARAのフラワープリントワンピース。対する魅々子はいつものラバースーツに鉄仮面。
「ねぇ知ってる?」
杏子先輩が、差し出すスマホの画面には見知らぬ物体が写っていた。皿に盛られたそれは、象牙の質感をもっている。
「鉱物ですか?」
「違う違う、お菓子だよ。蘇って言うの。蘇生の蘇って書いて〈蘇〉」
「不思議な名前ですね」
「飛鳥時代から平安時代に作られたお菓子なんだって。」
「ほう」
「SNSで話題みたいで、ゼミの会話もコレでもちきりなんだ」
「SNS……あんまり関わらない方がいいです。きっと毒かもしれません」
「心配してくれてるの?魅々子」
杏子先輩が微笑む。「ありがと」と笑う背景にはひまわり畑が似合いそうだ。
「先輩は少し加減を覚えるべきですね」
落ち着いた声のトーンとは裏腹に、魅々子のかぶる鉄仮面から血が流れ出す。
「私、蘇が食べてみたいな」
「任せてください。歴史の謎を解き明かしましょう。」
時間は今に戻る。
魅々子は「餅は餅屋」という諺を知っている。杏子先輩と別れたその日の夜。ブックオフで手に入れた黒魔術の本で、飛鳥時代のスーパースター、蘇我入鹿を呼び出した。
はずだった。だが折り悪く大化改新直後の彼を呼び出してしまったのだ。送られてきたのは、中大兄皇子に斬り飛ばされた残りの体。人生何が起こるかわからない。
部屋と鉄仮面と死体。これは困ったことになってしまった。
山に捨てに行くか……?明日も講義が1限からだし面倒だ。
切り分けてトイレに流すか……?大家さんに怒られそう。だめだ。
「お困りのようだな、お嬢さん。」
ダンディな声がした。声の主は足元、首なし死体からだ。
「わあ」
「吾は入鹿の体。蘇我ボディ……。今や地位にすがる脳が取り払われ吾を満たすのは平穏な心。爾、何を願う」
「魅々子です。蘇を作りにきました。」
「魅々子……、吾とレッツクッキン」
「クッキン!」
蘇我入鹿あらため、蘇我ボディはむっくりと起きあがる。
鉄仮面と死体のお菓子作りが始まった。
「まずは牛乳500ccを中火にかけよ」
「はーい」
魅々子が牛乳をフライパンに入れる。熱が通ると、牛乳の表面から気泡がぽこぽこと浮き出てきた。
「吹きこぼれぬようにせよ」
「オッケーです。ところで、首の血が入らないようにしてくださいね」
「あっすまぬ。ティッシュとかある?」
「お風呂場使って大丈夫ですよ」
「その〜……汚れちゃうかもだし、吾は少し憚られる。」
「いいですって。私との仲じゃないですか」
遠慮がちに蘇我ボディが風呂場に入る。本当にいいの?と言わんばかりに何度か振り返るが、魅々子は手を振って送った。あまり気にしないタイプなのだ。
シャワー音がして10分後。
着物の血の滲みも薄れて、ピカピカの蘇我ボディが出てきた。
「恩に着るぞ」
「それより、牛乳が固まってきました」
「おっと、魅々子。ゴムべらなどはあるか?牛乳がこびりつかぬよう混ぜよ。」
「はーい」
魅々子はフライパン上の凝固しかけた牛乳に、ゴムべらを動かす。フライパンの熱気で少し汗をかいてきた。
「あちち」
「煮詰まってきたな。もう少しの辛抱だ。
それにしても魅々子よ、鉄仮面が熱伝導で熱くなってはないか?」
「大丈夫です。脱ぐとかあり得ないので」
「うむ、そうか。爾には気概と譲れぬ信念があるのだな」
「はい。ボディさんはないんですか」
「吾もかつてはあった。だが闘争の末、今の姿になってしまったよ」
そう言うと、蘇我ボディは着物の裾を握る。おそらく魅々子にも想像もつかぬ貴族同士の醜い争いがあったのだろう。
「いいじゃないですか。また見つければいいんです。」
蘇我ボディに答えはなかった。だが、魅々子は顔はなくとも体の傾き、所作から彼が考えに浸っているのを見てとった。
部屋にはへらとフライパンの擦れる音だけが響く。
いい感じに牛乳の匂いが立ちのぼってきた。フライパンの上では白い固形物が出来上がりつつある。鍋いっぱいの牛乳は、鍋底が見えるまでに小さくなっていた。
「すごい。お団子っぽくなりましたよ」
「うむ、もうすぐ完成に近いぞ。冷蔵庫で冷やそう」
魅々子は固形物をまとめる。
手頃なラップを探していた時。
部屋を突如包む旋風。超自然の紫電がバチバチッとなり始めた。魅々子が興味深げに頭を出す。
一際大きな電撃が弾ける。
魔法陣の中央には片膝をつく人影。冠と着物からして貴族か。腰に携えるは直刀。
「死ねい、蘇我の妖術師」
立ち上がりざま。挨拶と同時に、男の腰から光芒がきらめく。金属同士の衝突音と火花。
男の片眉が上がった。
刃は魅々子の首の数センチ上、鉄仮面のくびれに触れていた。
空気摩擦が刃を曲げたのか、それとも2m近い距離が感覚を狂わせたのか。直刀が放つ神速の水平斬りを逃れたのは魅々子にとって偶然としか言いようがなかった。
「よく鍛えられた鉄じゃ」
男は既に納刀していた。
「爾がなぜ……」
この時になってようやく蘇我ボディは口を開くことができた。
「知り合いですか」
「知り合いも何も。あやつこそ、儂の首をはねた男。中大兄皇子じゃ!」
「飛鳥のチェゲバラ!」
魅々子の感嘆にも、皇子の相好は崩れない。
「神祇官に追わせてみれば、斯様な苫屋に隠れていたとは」
「ボディについては?」
「知れたこと。もう一度殺すまで」
魅々子と皇子の間に不穏な空気が過ぎる。
「待て待て、魅々子よ。元は吾の落ち度。爾が皇子とやり合う謂れはない」
「ボディさん」
「皇子よ。吾の体は引き渡そう。だが、一つだけ望みがある。蘇の完成だけ見届けさせてはくれないか。それが首なしになった吾が見つけた信念である」
皇子は依然変わらず、三白眼でボディを見ている。が、しばらくして身を翻した。
「よかろう。今の汝は政治にとりつかれた入鹿と異なると見た。無事完成させるまで見届けるがよい。」
再び、紫電が弾けると皇子の姿はなかった。
「帰りましたね」
「うむ。では最後の仕上げと取り掛かろう。」
魅々子と蘇我ボディは、ラップで牛乳の塊を包む。工程を終えると、棒状に成型し冷蔵庫に収めた。
「コレで一晩寝かせる」
「その間どうします?」
結局、魅々子と蘇我ボディは飛鳥文化あるあるを言い合い、グーグルアースで京都を見て暇を潰した。
日が昇り、空が青くなり始めた頃。二人はワクワクで冷蔵庫から蘇を取り出した。
「さてさて出来栄えは……?」
蘇は、はじめより色が濃くなり、象牙のような色味を帯びていた。目の前には杏子先輩と見た完璧な蘇があった。
「でかしたぞ!」
「やりました。ボディさん、サンキューです」
魅々子が蘇我ボディを見る。
彼はもういなかった。
鱗粉と見紛う虹色の光が風に溶けていった。
その日のお昼。
「んー!美味しい。」
一口頬張るたびに、杏子先輩の顔は綻んだ。お菓子を食べるために生まれてきたようなふにゃりとした笑顔。いつもサークルで見せる厳しくも気品ある杏子先輩も素敵だが、これは私だけが知る顔だ、と魅々子はほくそ笑む。
「ごちそうさま。とっても美味しかった」
「秘伝のスパイスが入ってますからね。」
「スパイス?」
「ふふ、内緒です。」
「もー!」
杏子先輩は、抗議の代わりに魅々子の鉄仮面をわしわしした。
空は青い。中天には虹がかかり、どこまでも伸びつづけていた。
ソは青い空 電楽サロン @onigirikorokoro
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