第13話 十四日目_別れ
十四日目、金曜日。
部屋の中には夕べの焼き肉の匂いがまだ残っている気がする。
それでも樹里の香りを少しでも記憶に残しておきたくて、今は髪に鼻をつけている。
こうしているとシャンプーに混じって、樹里自身の香りも感じられる。
「そろそろ起きますか」
不意に樹里にそう言われて、起きていたことに気が付いた。
「うん……」
樹里が朝食の準備をしてくれる。私はテーブルを拭き、食器を運ぶ。
「「いただきます」」
静かな朝食だった。
樹里の作ってくれた食事を噛み締めるように食べた。
朝食が終わってしまうと、後は着替えて支度をして出発だ。
私は樹里にお願いして、着替える姿を見せてもらった。
今、そこには私の好きな人が綺麗な姿を見せてくれている。
必死に目に焼き付けた。
支度がすべて終わったのは、予定よりも少し早かった。
「咲さん、本当に感謝しています。ありがとうございました」
私は言葉を出すと涙がこぼれそうで、うんうんと何度も頷いた。
「じゃあ、行きますね」
そんな私に笑顔を見せると、樹里が私の横を通り抜けて、玄関に行った。
私も慌ててバッグを持つと、外に出た。
一緒に品川駅へ行き、ご実家への手土産と、お弁当を買うと、新幹線が到着するのをホームで待った。
時間どおりに新幹線が着くと、樹里は大きく頭を下げて列車に乗り込んで行った。
私は車内の通路を歩く樹里を追いかけて、樹里が席に着いて私を見てくれた時、大きく両手を振って別れを告げた。
そして列車が見えなくなるとそのままホームのベンチに座り込んでしまった。
結局、夕方まで新幹線ホームに残っていた私は、樹里からの帰宅しましたというLINEを読んで、ようやく腰を上げた。
その晩、何をどうしたのか分からないが翌日、十五日目の土曜日は調布の実家へ行った。
「ただいまー」
玄関を開けて家へ入る。
荷物を下ろして必要な物だけ持つと、お父さんの居る客間に入った。
「お父さん、ただいま!」
お父さんの前髪を撫でる。
するとお父さんがこちらを向いた。
「咲だけど、具合はどう?」
「おー、咲。具合はいいぞ」
具合がいい人間が介護ベッドに寝ている訳ないが、挨拶みたいなものなので仕方がない。
「何かしてほしい事はない?」
「うん、だいじょぶだ」
「あのね。四国に行って来た。これ、お土産のタルト。後で食べてね」
「それで、お父さんの実家の辺りも見てきたから写真に撮ってきた。見てくれる?」
「うん、うん」
私は写真を納めたアルバムをめくると一枚一枚説明した。
「ほら、今の実家の様子。それから前の川。」
お父さんが目を細めている。
「昔、みんなで一緒に行ったよね。その頃と変わってなかったよ」
実際にはきれいな道路が通っていたが、それ以外の景色は変わっていなかったと思う。
「変わんないなぁ」
「そうだね。神社もお参りしてきたよ。これが石段、そして境内」
「そうか……」
「昔、よく遊んだんでしょ」
「うん、そうだよ」
「咲、おかえり」
お母さんが買い物から帰って来た。
「お昼食べた?」
「まだだけど」
「そうめん茹でようか?」
「うん、ありがとう」
「お母さん、今日、泊まってもいい?」
「かまわないよ。座卓をかたしてここで寝るんでいいだろ」
「うん、ありがとう」
「夕飯に何か食べたい物はあるかい?」
「今日、お兄ちゃん達は?」
「向こうの実家に行ってるよ」
「ねぇ、お母さん。私、たぶん結婚出来ない」
「そうかい。でもどうして?」
「女の人しか好きになれないみたい」
「誰かいるのかい?」
「片想いだから無理かな」
「そうかい。家のことは心配しないで、思うように生きればいい」
「うん、ありがとう」
週が明けた月曜日。
しっかりと目覚めた私は、カフェで朝食をとり、会社へ出勤した。
「おはようございます」
分散で今週に休暇を取っている人達もいるので、まだ三割程度が空席の感じだ。
休暇明けの身としてはありがたい。
頭のリハビリでたまったメールを確認しながら午前中を過ごし、昼食は外へ食べに出た。
お店にいる他のお客さんの話が聞こえるが、やはり休暇中のレジャーなどの話が多い。
窓に面したカウンターに座りながら、どこかのんびりした雰囲気の店内でゆっくり食べた。
午後からは休暇中に依頼が届いていた報告物などを作成し、時間が過ぎた。
残業して対応するものも無いので、定時に退社した。
そして珍しくスーパーに寄ってみる。カートにかごを乗せて押してみると、目の前を樹里が歩いているような気がした。
その姿を追いかけて店内を歩き回る。いつの間にかカラのかごのまま、会計の列に並んでいた。
気が付いた時には恥ずかしくて悲しくて、何も買わないままスーパーを出ていた。
駅の反対側に行くと、それなりの歓楽街がある。
飲食店、風俗店、そしてラブホテルが集まっている。
道には電飾の付いた看板が並び、風俗店の店頭には男の人が立っている。
そしてその中には女性向けの店舗型風俗やホテル派遣型の風俗があった。
咲はふらふらと雑居ビルへ入ると、看板に書いてあるフロアへエレベーターで上がった。
扉が開くとシックな色調の部屋が待っていた。
扉は開いているが、つい立てがあり、中の様子は見えない。
足を踏み入れて、つい立ての裏側を覗くと、受付があり、女性が一人立っていた。
目があった女性は微笑むと何も言わずに私に寄ってきた。
そして柔らかい声でこう言った。
「ようこそ、初めてですね」
そして身振りでソファーを示すと、「どうぞこちらへ」と私を座らせて、自分も座った。
「うーん、何かお困りかしら。よろしければ少しお話ください」
「家に帰りたくなくて……」
彼女は静かに頷いてくれる。
「部屋に帰ると好きな娘のことを考えちゃって……」
膝の上でぎゅっと握った手に、彼女はそっと手を乗せてくれた。
すると自然と涙があふれて、伝わり落ちて足を濡らした。
「ねぇ、うちがどんなお店なのかは知ってるわよね?」
「はい」
「あなたは初めてだから、想像しきれないかも知れないけど、性的なサービスのほかにお話もするのよ。それは心から安心して楽しむには様々なコミュニケーションが大切だから」
「今日は私とゆっくり話をしながら、リラックスしてみてはどう?」
「おいくらですか?」
「今回はこの料金よ。指名無しのフリーで初回割引を適用するわ」
「わかりました。お願いします」
「悪いけど前金なの、いいかしら」
「はい、もちろん」
財布から料金を払うとエレベーターでさらに上に上がった。
「さあ、どうぞ、ベッドへかけて」
おしぼりを貰い、手をきれいにすると二人で並んでベッドに座った。
「部屋に帰りたくないのよね」
「はい」
「すごく好きだったんだね」
「はい」
「その娘とはどこまでいったの?」
「一度だけ、触り合って、あとはキスとハグしました。」
「そう、どんなキスしたの?、教えて欲しいな」
「唇を合わせて、ほかに色んな所にキスしてくれました」
「気持ちよかった?」
「はい、すごく」
「ハグしながらキスしてくれたの?」
「そうです」
「それはこんな感じかな」
彼女は優しく私を抱き締めてくれた。
樹里とは違うのに、その温もりと柔らかい香りが乾いた私の心に潤いを与えるようにしみてくる。
知らずと抱きしめ返していた。そして、うなじにキスを落とされた時、思わず吐息をもらした。
それからしばらくして、二人で裸で横たわりながら、私は彼女に聞いた。
「女性の同性愛者の処女、というかその卒業って、何をシた時なんでしょうかね」
「それ、悩ましいわね♪、破ってしまえばいいのかも知れないけど違う気がするわ」
「そうですか?」
「えっ、破って欲しいなら破ってあげるわよ♪、細めのティルドを挿れてあげるわ」
「いえいえいえいえ!」
「気持ちの問題だと思うけどね。あなたの場合、樹里ちゃんと初めてシた時よ。しっかりイッたんでしょ?、それで樹里ちゃんも一緒にイッたなら、最高じゃない。男女だったら大抵は男だけでしょ、出してスッキリするのは」
彼女に優しくそう言われると、そんな気がして安心してきた。
もう一度、キスをしてもらうと軽くシャワーを浴びて服を着た。
帰り際に彼女は名刺大のカードをくれた。
源氏名の怜という文字と、いつでも息抜きに来て下さいという言葉が、書いてあった。
(つづく)
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