第7話 六日目夜、七日目
六日目。
今日は早朝から動き出して、夜の七時頃にホテルの駐車場に戻った来た。
そのままホテルにあるレストランへ行くと、お互いに好きな物を食べた。
正直二人とも疲れていた。特に車で往復八時間は体がこわばった。
食事を終えると最上階の大浴場へ浸かり、こわばりをほぐした。
「樹里、部屋に戻ったらマッサージしてあげよっか?」
「どんなやつですか?」
「うつ伏せになってもらって肩から背中、腰、お尻、足って順に揉みほぐすやつだよ」
「誰かにしたことあるんですか?」
「うん、肩と背中はね……」
「じゃあ、部屋に戻って痛かったら、肩と背中をお願いします」
「えーっ、きっと上手なのにー」
「実験台にはなりたくありませんよ」
「見てよ、このゴッドハンド。こうやってムニムニするんだよ」
「咲さんの正気が保てなくなりそうなので、やっぱり背中までですね」
「じゃあ、お金払ったら好きにしていいの?」
「駄目です」
「お仕事だったじゃん。すごく気持ち良かったのに、またシちゃ駄目なの?」
「まず私にも選択権というか、拒否権があります。次に咲さんは覚えたてのサルになってます」
「サル?」
「ヤリたいってそれしか頭の中に無いでしょう」
「そっ、そんなこと無いよ」
「私、もう咲さんとはシませんよ」
「えっー、どうして……」
咲は半泣きになりながら樹里を見つめた。
しかし、戻ってくるのは冷めた視線だけだった。
咲は天井を向いた。もやがかかっていて霞んでいる。一生懸命にこれ以上考えることを止めようと努力した。胸がしくしくする。あと少しで涙がこぼれ落ちそうだった。
隣で樹里が湯船から上がる音がした。
私も上がるとシャワーを頭から浴びた。
大浴場前の自販機にはビールや缶チューハイが並んでおり、私のことを誘っていた。
どうせ寝るだけならと買いたくなったが、一人だけで飲んでも美味しくないと思い直し、スポーツ飲料だけ買ってエレベーターに乗った。
部屋に戻ると疲れがよみがえって来た。
樹里が自分のベッドに横たわった。私も自分のベッドに横たわった。
もうおやすみのキスも出来ないのかなと思いながら、重たい目蓋に勝てず、そのまま眠ってしまった。
それが起こった時、私は眠りが浅くなっていたのだろうか……
樹里が寝言を言って、その声に驚いて目が覚めた。
「ごめんね……」
「ゆるして……」
「ゆるして真子!」
「真子!、ごめんね」
「出て来て真子!」
樹里がうなされていた。
真子って人に謝っている。
夢?、誰なんだろう……
樹里はそれっきり寝言を言わずに寝てしまっているようだ。
私ももう一度眠りについた。
翌朝、七日目金曜日の朝。
心配した私が夕べの寝言を教えた。
すると明らかに樹里の表情がこわばった。
これが何か彼女が背負い込んでいるものの、一つのような気がして、質問をした。
「ねえ、真子って誰?、謝っていたけどどうしたの?」
樹里は目を見開いて私のことを見た。それから目を伏せた。
「樹里の心にささってる棘のように感じたんだけど、何かあったの?」
「もう昔の話ですから……
それよりお腹空きました。モーニングを食べに行きましょう」
「う、うん」
レストランで朝食バイキングを食べるとコーヒーを飲みながら、ディズニーの、話を持ち出した。
「まず、お金の心配はいらないよ。だから一緒に行くよ。それから、もし良ければ、しばらく泊まっていって」
「しばらくって?」
「例えば、私の休暇が終わる日までとか。もちろんそれ以上居てもいいよ」
「着替えとか。身の回りの物は宅急便で送っちゃえばいいし。どうかな?」
「ディズニーに行くのは一日だけですよね?」
「今は二日間で考えている」
「へぇ、二日間ですか。凄いですね」
「まぁ、せっかくだしね。どうかな?」
「お金とか負担が大変だろうとは思いますけど、それでも良いなら、行ってみたいです」
「よしっ!、じゃあ、決行だね♪、それに先立って一つだけすることがあります」
「なんですか?」
「ご家族に、東京へ一週間ほど出掛けることを伝えることだよ」
「えっー!、そんなのいりませんよ」
「私も一緒に行くから、行こう」
「そんな事するぐらいなら行きません」
「そういう事は言わないの。きっと何かのチャンスなんだよ。そう思って東京見物に行こう」
「じゃあ、部屋に戻って電話するよ」
樹里は不機嫌になって押し黙ってしまった。
でも今の私には樹里の現状を変えたいという強い気持ちがあった。
かなり強引だが、私の描いたシナリオで樹里の人生を良い方向へ向けてあげたいのだ。
部屋に戻ると樹里に実家へ電話をさせた。
そして今日の午後から顔を出す事を伝えさせた。
昼食を食べ終えると、渋る樹里と一緒に手土産を買いに外へ出た。
樹里にご両親の好みを聞き、それを買うと車に乗って出発した。
樹里は普段と変わらない服装だったが、私は襟付きのブラウスを着るなど出来るだけフォーマルな装いにした。
樹里は終始、外を見ていたが、案内に嘘は無かったようで、実家のそばに着いた。
車を降りると門からお宅を見上げる。
樹里は覚悟を決めたのか玄関をガラガラと開けて、ただいまと入って行った。
私はひとまず玄関の土間で声がかかるのを待った。
すると中からお母さんが出て来て、私を迎え入れてくれた。
そして二人とも客間に通されると、お茶をいただいた。
部屋にはお父さんとお兄さん夫婦が入って来て、総勢六人になった。
私は手土産を差し出しつつ、自己紹介をした。
「本日は突然お伺いして申し訳ありません。私、遠藤咲と申します。一週間ほど前から松山に滞在しておりまして、樹里さんと仲良くなりました。
樹里さんには松山や宇和島、そして四万十川などを案内してもらいました。
今度はそのお返しに東京へ一緒に行きたいと考えております。
私は東京に家がありますので、宿泊などの心配はいりません。
ただ、一週間ほど東京に滞在する計画を考えていますので、その間不在にすることと、滞在先の友人としてご挨拶に伺った次第です。
どうぞよろしくお願いします」
「うーん、唐突すぎて、よくわからんな」
「樹里、あなたは行きたいの?」
「うん、滅多にない機会だから行ってみたい」
「この話は、俺達が口を出す話では無さそうだから、部屋に戻るよ。
ただ、お金はあるのか?
それと東京の連絡先は貰っておいたほうがいいと思うよ」
お兄さん夫婦はそのまま部屋を出ていった。
咲はバッグから封筒を取り出すとお父さんに渡した。
「私の勤務先の名刺と自宅の住所と、携帯の電話番号が入っています」
「おう、随分と有名な会社にお勤めなんですの」
「息子も言いましたが、お金はどうするんですか?、樹里には無いでしょう」
「はい、実は私は松山に十六泊する予定でした。実際にはまだ六泊しかしていません。その使っていないお金を元に交通費などを用意します」
「なるほど、しかしなぜそこまでしてくれるのかな?」
「樹里さんに松山以外の場所を見て欲しいからです。一緒に過ごしていて、ずっと同じ場所に暮らすならではの、生きにくさみたいなものを感じました。
働く場所や仕事なども東京にはたくさんあります。そんな事も東京へ来て感じてほしいと考えています」
「樹里がそんな真人間みたいになれるとは思えんけどな」
「お父さん、彼女の可能性を信じてあげてください」
「樹里、覚えてる?
保母さん、学校の先生、看護婦さん、それから先はお母さん知らないわ」
「それは……、そうだ。昔、私がなりたかったものだ」
「樹里は人と関わる仕事に憧れを持っていたのかも知れないわね」
「お母さんは賛成です。遠藤さん、よろしくお願いします」
「俺も嫌だけど、樹里のためになるならいいぞ。
もう、もうこの家に戻ってくるつもりは無いんだろう」
樹里は俯向いて、涙をこぼし始めた。
「樹里、お前の部屋は使ってしまっているけど、まだこの客間があるんだ。何かあったらこの部屋に戻ってこいよ。
一年以上も一人でよく頑張った」
「お父さん……」
私は樹里が泣き止むまでその肩を抱いた。
「俺はちょっと、出掛けてくるよ」
「いつものところですか?」
「おう、そうだ。じゃあ、ごゆっくり」
私は樹里を抱えたまま、会釈をした。
「もう、仕方がないお父さんだね。こんな時にもパチンコ屋へ行ってしまうんだから」
「樹里さんが泣いているのを、見ていられなかったんじゃないでしょうか」
「遠藤さん」
「はい」
「あなたは樹里の恋人ですか?」
私は答えに窮した。
「えっーと……、残念ながら、今は違います。
でも私は樹里さんのことが好きです」
「そう、そういう相手なら安心だね。樹里は昔、怖い思いをしてるからもうそういう思いはさせたくなくてね」
「怖い思いをさせないように、気をつけます」
「ええ、よろしくお願いします。ところで今はおいくつ?」
「はい、二十七歳です」
「ちょうどいい歳の差だね。また遊びに来てちょうだいね」
「はい、ありがとうございます」
ようやく涙が収まってきた樹里を話に加えると、お母さんと三人で楽しくおしゃべりをした。
そのまま長くいたので、帰って来たお父さんが驚いていた。
夕方六時、夕食に誘われたが、それは辞退し、四人に温かく見守られながら、樹里の実家を後にした。
その後は樹里の部屋に寄った。ホテルに持ってきていたものは、すべて車に積んで来ていたので、部屋に戻す。
二人で夕食を食べると部屋まで送り、そこで分かれた。
明日はお互いの準備の状況次第で待ち合わせを決める。
私はホテルに戻ると飛行機の手配を行い、その予定にあわせて宿泊とレンタカーのキャンセルを申し込んだ。
(つづく)
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