第6話 六日目_四万十川
休暇六日目の木曜日。
スマホのアラームで午前四時に目覚めると、冷蔵庫からお茶を取り出して樹里と飲んだ。
そのままご飯は食べずに支度をして部屋を出る。
外はまだ暗いが、気温が二十五度ぐらいあるので少し暑い。
エンジンをかけるとナビがルート案内を始めた。
あとはエアコンとFMラジオを点ければ出発準備はOKだ。
「樹里、出掛けるよ」
「はい、大丈夫です」
駐車場から車を出すと、高速に向かって走り始めた。
車は愛媛県松山市から宇和島市を抜けると高知県に入り、四万十市に着いた。
「無事に着いたね。ファミレスでご飯にしよっか」
「はい、探しましょう」
時刻は朝の八時。
国道沿いに見つけたお店に車を駐めて、朝食を食べに入る。
「九時過ぎたら、屋形船の会社に連絡してみるよ」
「はい、屋形船ですか?」
「そう、川下り出来るの。往復で一時間ぐらいだって」
「他には何を予定しているんですか?」
「天然うなぎと鮎を食べたいかな。あとは河原に下りて水に触れたい」
「へぇ、可愛らしい♪」
「日本最後の清流って言われるぐらいに水が綺麗なんでしょ」
「そうみたいですね」
「沈下橋は川下りで下から通るらしいから、それで満足だと思うんだよね」
「高知は隣の県なんですけど、あまりよく知らないんですよね」
「沈下橋はさ、ドラマのロケ地でも有名になったんだって」
「へぇー、私、家でテレビとか見なかったからな」
「実家はどの辺なの?」
「松山から電車で三十分かからない所に、柳原って駅があるんですけど、そこから歩いていける所です」
「愛媛県?」
「はい、松山市府中って場所です。海がすぐそばなんですよ」
「松山市なんだ。同じ市内なら案外近い感じがするね」
「あっ、そろそろ、九時ですね」
「ほんとだ、そうだね」
「今日は松山へ戻るのが夜になるから、そのまま一緒に泊まってもらおうと思ってるけど大丈夫?」
「はい、着替えも部屋に置いてきましたし、いいですよ」
「でもこれで考えてた事、全部出来ちゃったな」
「着いてから一週間もいらなかったですね」
「樹里はどこか行きたいところある?」
「USJとかディズニーとかかな」
「四国の自然には興味ないの?」
「うーん、地元みたいなもんですからね。美味しい物もたくさん食べちゃったし」
「そうか……、じゃあディズニー行く?」
「どういうことですか?」
「早めに四国旅行を切り上げるから、一緒に東京へ行こうよ」
「へっ!?」
「無茶かな」
「想像が出来ないですね」
「じゃあ、行きたいか、行きたくないかだけで答えて。樹里は行きたいですか?」
「はい、行ってみたいです」
「よしっ、じゃあ、明日は計画日にしよう」
「は、はい……」
「じゃあ、電話してくるわ」
咲はお店の外へ出て、屋形船の会社へ電話した。
「十一時に出航だって」
「じゃあ、そろそろ出ますか?」
「あと十五分ぐらいここに居よう」
「分かりました」
二人で順番にトイレを済ませたりして、時間が経つと支払いをして外へ出た。
咲はエンジンをかけるとカーナビの目的地を確認し、車を発進させた。
車は市街地を通り抜けると川と並行して走る道に入り、上流を目指して進んだ。
そして三十分ほど走ると目的地付近に到着した。
「あののぼり旗が立ち並んでいる辺りですかね?」
「そうね、行ってみるわ」
車を砂利道に入れると広い駐車場に向かって進んだ。
「そうだ、ここだね」
「河原もあるね」
咲は車を駐めて、受付を済ませると、靴と靴下を脱ぎ、タオルを持って川岸に近付いた。
「咲さん、足を浸けるんですか?」
「そうだよ」
そう返事をして裾を捲くりあげた。
「コケで滑って転ばないでくださいね」
「うん、気をつけるよ」
私は冷たい水に足を浸した。
「気持ちいいー!」
「樹里もおいでよ♪」
「私はここからで十分です」
「じゃあ、バッグを持っていて欲しいから、もう少し近くまで来てくれる?」
「はい、行きますよ」
樹里がスタスタと川岸まで近付いてきた。
私はそのタイミングを狙って、「それっー!!」、水を盛大にかけてあげた。
「わっー!!、もう!、何やってるんですか!」
「一緒に入らないからだよー!」
「もう、ほんとにガキなんだから!」
「もう入っておいでよ。どうせ素足にミュールでしょ!」
「分かりました。行きますよ」
樹里はミュールを脱ぐと、スカートの端を持ち上げて、足元を気にしながら水に入ってきた。
私はその姿がきれいに見えて、こっそりスマホで撮影した。
パシャ
「むっ!、何か撮りました?」
「ちょっとね」
「何撮ったんですか?」
「樹里が川に入るところ」
「なんでまた?」
「ミュール片手にスカートをつまんで、足元を気にしながら川に入る姿がモデルさんみたいに綺麗だったよ」
「ちょっと想像出来ないんですけど、拡散はしないでくださいよ」
「はーい♪」
「確かに水は冷たくて気持ちいいですね」
「そうだよね、あとは水の中に何かいないかな」
「水の中に?」
「そう!、エビとかカニとか」
「テナガエビ?、サワガニ?」
「うん、テナガエビ。天ぷらが美味しいんだって」
「咲さん、テナガエビは釣るんですよ」
「そうなの?」
「さすがに手づかみは無理だと思いますよ」
「そうなんだ。しょぼーんだね」
「しょぼーん?」
「言わない?」
「言わないですね……」
「年の差?」
「咲さん、顔文字とかよく使うでしょ」
「高校生の時、いっぱい使った」
「その名残りじゃないですか?」
「なるほど……」
「でも魚ならたくさん泳いでいますよね。
ほら、あの岩の周りとか、それからそこの浅瀬には小さいのがいっぱい」
「ほんとだ!」
「この辺、釣りとかサイクリングとか、カヌーも出来るんだよね」
「何かしますか?」
「ううん、天然うなぎを食べるほうがいい」
「そうですね」
川の中に立っておしゃべりをしていると屋形船が戻って来るのが見えた。
私達はタオルで足を拭くと靴を履き、集合場所へ向かった。
お金を払って船に乗ると屋根が付いているので、川面からの風が涼しかった。
そんな涼しい風と、川面からのキラキラとした反射光を顔に受けながら目を細めている樹里が愛おしくて、またシャッターを押した。
カシャ
「拡散禁止ですからね」
それだけ言うと、樹里はまた外を見て、風に目を細めた。
定刻になると船は出航した。
川から見る景色は、岸辺に自然が豊かに残っており、まるで一時代昔の世界に居るかのようだった。
船内にアナウンスが流れ、沈下橋が見えてきた。
船はそのまま近付くと、欄干の無い橋の下をくぐり抜けた。
後でもう一本、くぐり抜けるらしい。
前を向くと樹里の後ろ姿が自然に目に入る。その背中を見ていたら、いつの間にか頭を背中に寄せて、両手を腰の辺りに回していた。
樹里はしばらくそっとしておいてくれたが、そのうちに私のつないだ手に手を乗せると、ほどくように手首を優しく引っ張り、腕を解いた。私は樹里から離れると元の姿勢に戻った。
それにしても気持ちがいい。穏やかな流れの中を船がゆっくりと進んでいく。こんな場所にくらしていたら、性格もおっとり穏やかになりそうな風景だった。
私は東京の調布市で生まれ育った。世田谷区と隣接しており多摩地域の中では二十三区寄りだ。
都心まで近いわりに自然豊かなことが特徴だろうか。
ただ中学生になると電車通学を始めた。そして社会人になる時に一人暮らしを始めた。
なので、絶えず気を張って、周囲を観察するような行動が身についてしまった。
もちろん、まだ電車で痴漢にあったことはない。
その反動かも知れないが時々甘えたい衝動に駆られる。
今までは甘える相手が母しかいなかったが、今は樹里がいる。
旅先という状況とあわせてタガが外れやすかった。
ぼーっとしていたら、船が船着き場まで戻ったようだ。下船のアナウンスが流れ始めた。
船を降りるともう一度、四万十川とその周りの木々を眺めて駐車場へ向かった。
「熱っち!、車がチリチリですね」
「炎天下だからね」
エンジンをかけてエアコンをかけると、車内が涼しくなるのを木陰で待った。
「ふぅ、火傷するかと思いましたよ」
「どれ、見せて」
「はい、もちろん大丈夫でしたけどね」
私は樹里の手のひらに、手を添えて見つめると、空いている手の指で樹里の手のひらをなぞった。
「ひゃん!?、何するんですか!」
「ごめん、つい……」
「また欲情しましたね」
「そう言うならそうかな」
「今、スキを探しましたね」
「そうお?」
「はい、キスされるかと思いました」
「させてよ」
「駄目です。そういう関係じゃありませんよね」
「私は望んでるけどね」
「遠距離なんて続く訳ないじゃないですか……」
「・・・」
「一人で寂しい思いをするのは嫌です」
「じゃあ、東京においでよ」
「そのためだけになんて無理ですよ」
「働きながら何かやりたい事を探したら?」
「非現実的ですね……」
「・・・」
「この話はここまでですね。さぁうなぎ食べに行きますよ」
車に戻り、ナビにお店の場所を設定すると屋形船の駐車場から出た。
天然うなぎは初めて食べたが、私は美味しかった。
身がしっかりと締まっていて、タレも甘くて美味しい。ただ、ネットでは様々な評価があるようなので好みが分かれるようだ。
「美味しかったですね♪」
「うん、ここまで来ないと食べられないからね」
「まだまだ、陽は高いですけど、このあとどうしますか?」
「のんびり帰ろうよ」
「いいですよ、帰りましょう」
西陽を避けるためにサングラスをかけると、車を西に向けて走らせた。
(つづく)
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