謎の少女との出会い

 軽くストッレチをして身体をほぐしてから、水場へと足を運ぶ。水場の近くで焚火をしていたので数十歩で歩くとすぐに到着した。

「よいしょっと」

 川辺にしゃがみ込み、休憩中にナイフでくり抜いて作った即席の木の容器で川の水を汲み上げる。一度で汲める量が少ないので、後二回ほど来ないと駄目そうだ。

 焚火の元に戻ろうと立ち上がろうとした時に、ふと、何かの気配がした。

(ん?魔物の気配じゃないな。なんだろうな?)

 魔物の気配で無いのであれ、直ぐにでも近くの草むらに身を隠してから様子を窺う方が絶対にいいのだろうと思うが、なぜかこの時はすぐに顔を上げて、気配がした方を見た。

(何もいない?気のせい、だったか?……いや、あれは―――)

 少し離れた対岸に怪しげな黒い塊を視界にとらえた。よくよく目を凝らして見てみると黒い塊、ではなくどうやら頭まですっぽりと覆う黒い外套を被ったひとのようだった。

 その人物はこちらの気配に気付いたのか、ぴくりと身体を震わせた。そして、ゆっくりと振り向いた。

「―――」

 黒いフードの奥の暗がりから覗く真紅の瞳がナルガを鋭く射抜いた。

 その瞬間、ナルガは、ぞくりっ、と背筋が震える感覚を覚えた。

「……」

「……」

 しばらくの間、時が止まったかのようにお互いに固まり無言で見つめ合う。

 ナルガから視認できるのは真紅の双眸だけで、顔立ちなどは確認できない。

(もう少し前で、)

 もっと近づいて見てみたい、という衝動にかられたナルガは、立ち上がって近づこうとする。

「―――ッ」

 我に返ったのかはっとした黒衣の人物は、ナルガに背を向けて近くの草むらに飛び込み、脱兎の如くその場から逃げ出した。

「あ、ちょっと待ってくれ!」

 ナルガは手に持っていた水入りの容器を容赦なく投げ捨てると、逃げ出した黒衣の人物の後を追う。

(―――――って、速いっ!?)

 全力で追いかける。が、黒衣の人物の逃げ足は恐ろしいほど速かった。

 足元が悪いのもものともせず、黒衣の人物は速度を落とさず突き進んでいく。

「く、そぉっ」

 どんどんと距離を突き離されていく状況にナルガは歯噛みするしかない。

 先行する黒衣の人物がちらりと振り返る。ナルガが追いかけてきているのを確認したらしく、速度を更に上げた。

 ナルガも負けじと走る速度を上げるが、一方的に突き離されていき、やがて少し開けた場所のあたりで完全に見失ってしまう。

「見失った……か」

 速度を落として立ち止まったナルガは、腰に手を当てて喘ぐ喘ぐ呼吸を繰り返した。

(足の速さには結構自信あったのにな。逃げ切られたな)

 乱れた呼吸を徐々に整えながら、内心でしょんぼりと落ち込む。

「あ、そういえば」

 時間が経ち呼吸を整え終わったナルガは、頭の片隅に残っていた焚火を消す途中だった事を思い出した。

「……戻るか」

 追いかけるのを諦めたナルガは、踵を返してさっさと帰ろうとする。

 しかし。

「おい、誰かいるのか?」

 背後から聞こえてきた人の声がナルガの足を止めた。声は低くどうやら男の声のようだった。

「駄目」

「―――――わっ」

 ナルガが反射的に振り向こうとした時、いきなり近くの茂みから伸びてきた細く白い手にロングコートの裾を引っ掴まれて中に引きずり込まれた。

「静かに」

 引きずり込まれてすぐに制止の声が飛んでくる。

 ナルガは仕方なく喉まで出かかっていた言葉を静かに飲み込み、声の主を方を見た。そこには先ほどまで追いかけていた黒衣の人物が片膝立ちで様子を窺っている姿があった。

「!?」

 まさかの人物にナルガは目を白黒させていると、様子を窺っていた黒衣の人物がちらりとこちらを見た。

「色々聞きたいことがあるけど、今はそれどころじゃないみたいね。……来たわよ、見てみなさい」

「お、おう」

 戸惑いながらも静かに黒衣の人物の隣に移動して様子を窺ってみる。

 すると、そこには全身に銀色に輝く鎧を身にまとった人がいた。それも一人だけではなく、視認できるだけでも五人ほどいた。

 全く身に覚えのない鎧軍団を見たナルガは首をかしげる。見る限り鎧軍団は何かを探しているようだった。

 と、その時、その中の一人がナルガ達の方に目を向けた。

「気づかれる前に一旦ここから離れましょ。ついてきて」

「分かった」

 黒衣の人物の真剣な声音から、あの鎧軍団は友好的な存在ではない、と判断したナルガは素直に指示に従うことにする。

「さ、行くわよ」

 ささっと移動を始めた黒衣の人物の後をナルガは足音を殺して追った。

鎧軍団がいた場所からしばらく歩き続けていると、あの消し忘れていた焚火の位置まで戻ってきていた。焚火の元を離れてから随分と時間が経っているのだが、ぱちぱち、

と火の粉を散らして燃えていた。

「丁度いいわね。ここまで離れれば大丈夫でしょうし、休みましょう」

「そうするか」

 ナルガはもう一人分のイス代わりの石を焚火の近くに用意し、元々自分が使っていた石に腰を下ろした。

「ふぅー、まさかここまで追ってきてたとはね……」

 同じく腰を下ろした黒衣の人物のほうを見ると、が何やらぶつぶつと呟きながら、外套のフードを取り払った所だった。

 フードが取り払われた瞬間、ナルガは無意識に黒衣の人物の容姿に目を向けていた。

 処女雪のように真っ白で美しく長い髪。目、鼻、口、と一つ一つのパーツが精緻に整った顔立ち。体型はやせ型で手足はすらりと長く、細い。大人びた雰囲気をまとっているが、容姿から判断するに性別は女性。年齢はおそらく二十代前後、と思われる。

(そうそういないだろうな、こんな美人な人)

 ナルガは観察を続けながら心の内で静かに黒衣の人物の容姿に納得する。

「……?」

 まじまじと相貌を見つめていると、こちらに振り向いた黒衣の人物と真正面から目が合った。そのうえ、小首をかしげながら、「どうしたの?」、と尋ねられたものだから堪ったもんじゃない。

「あ、いやっ、なんでもない」

 羞恥心が限界に達したナルガは、顔を真っ赤にして口をもごもごさせながら慌てて視線を外した。

 その様子を見た黒衣の人物は、おかしそうに笑みをこぼした。

「変な人ね、私の名前はゼロよ」

「お、おう、ナルガだ。よろしく」

「ええ、よろしくね」

 黒衣の人物———改めゼロは、にこやかな笑顔を浮かべた。

「そういえば、どうしてさっきはいきなり草むらに引きずり込んだんだ?」

 ナルガはここに来るまで疑問に思っていたことを尋ねてみる。

「え?それは……あのままだと貴方が死んでたから」

「死ん……えぇ?」

 淡々とした口調で言い放たれたゼロの言葉に、ナルガは訳が分からず思わず素っ頓狂な声を上げた。

「ええそうよ。今の貴方はアイツらに見つかったら最後と思ってもらっていいわ。次から気をつけてね」

「ご忠告どーも。あと、助けてもらってありがとう」

「どういたしまして」

 ゼロは柔らかな笑みを浮かべながら答えた。

「あと、俺に何か聞きたいことがあったんじゃないのか?」

「ああ、そうね。でも、もう分かったからいいわ。もう、行かないとね」

 ゼロは満足そうな表情でそう言うと、立ち上がりフードを目深にかぶり直した。

「?俺に何か聞いたっけ?」

 ナルガは首を傾げて、ゼロに尋ね返す。

 が、ゼロはナルガの言葉を無視して、それじゃ。と言い残して、森の中に消えていった。

「……行ってしまった」

 引き留める間をなく消えっていったゼロに対してナルガは、まだ聞きたいことがあったのに、と残念そうに吐息をついた。

「まぁ、ゼロととはまた会う気がするんだよな」

 ナルガは謎の確信を胸にゼロがて消えていった森の中を見つめるのであった。

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