第6話
昔、俺たちが住んでいたおんぼろアパートよりも、さらにおんぼろのそのアパートの玄関先に俺はいた。
父に聞いていた鍵の隠し場所を探って、合鍵を見つけて、木製の扉をゆっくり開ける。ギィっと大きな音がした。
中は思ったよりきれいで、何もない部屋だった。
テーブルの上にある灰皿の吸殻だけがたくさんあった。部屋中も父の吸っていた、赤いマルボロの香りで充満していた。
「押入れの箱を処分してくれ」
その言葉のとおりに押入れを開ける。そこには一組の布団と、衣類の入ったプラスティックの衣装ケース。それから小さなお菓子の空き箱があった。
処分しろという箱は、この箱に違いなかった。
俺と、母さんと、父さんの写真の詰まっていた小さな箱。
赤ん坊の俺。
ハイハイしている俺。
父の足につかまって立っている俺。
母のエプロンを引っ張っている俺。
笑っている小さな俺。
そして笑顔の3人家族の写真。
この箱には幸せだった時間が詰め込まれていた。
開けてはならないパンドラの箱だった。
俺と母のいなくなった10年間、父はずっとこの写真を眺めてすごしていたんだ。
自分が壊してしまった幸せを、きっと、悔やみながら。
ドーーーン、パラパラ。
外で音がした。
花火が夜空に散っていく。
今日は花火大会だったんだ。
俺が殴られたあの花火大会の日。
華やかな光が窓に反射して、カラフルな光の粒が少しだけ見える。しばらく続けて花火が弾けて、夜空に光が溶けて消えた。
あの日弾けた三尺玉。
ばらばらになった家族は、もう戻らない。
その箱を持って、俺は走り出していた。
父の通う病院は知っていたし、救急車もたぶん一番近いその病院に向かっているんじゃないかとなんとなく思ったからだ。
空の上では華やかな光が舞っていた。
尺玉、スターマイン、少し形の変わった花火。
道行く誰もが空を見て、その瞳に花火を映していた。
誰も俺に気がついていない。
病院も、祭りで出払っているのか、静かだった。
受付のおっさんは、ケーブルテレビで実況中継している花火を見て寛いでいた。
「あ、あの、ちょっと前に救急車で中年の男の人が運ばれてきたと思うんですけど・・・・」
受付のおっさんは少し怪訝そうな顔をしていた。
「父かもしれないんです。あの、母とは離婚しているから前の父ってことなんですけど」
個人情報とかあるから、もしかしたら会わせてくれないかも知れない。俺は父の名前と、ペースメーカーをこの病院で入れたということを伝えた。
おっさんは案内してやるよ、と言って席を立った。
ケーブルテレビのスイッチが切られて、遠くの花火の音がさらに小さくなった。
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