エピソード6 前編
変人一族に
苦手科目は英語と化学。
数学と物理は得意なのに、と悔しさを噛み締めながら選ぶ。
ふと列の向こうに目を向けると赤本を手にするカップルの姿があった。眼鏡をかけたジミメンと茶髪の派手女子。
まさに俺と橘を彷彿とさせるようなそのふたりが一つの赤本を眺めている。きっと同じ大学を受験するのだろう。とても幸せそうだった。
俺も橘とあんなことをする日が来るのだろうか。
いやでも、あれだけ優秀な橘と同じ大学に行けるとは到底思えない。恐らくは日本一の高みへ進むだろうから。姉が通う某大学というのも恐らくはそこだろう。
「ねえおにーさん? エッチなお勉強しない?」
「――ッ!」
不意に耳元へ届いた吐息に飛びのいて振り返る。
「橘っ!? こんなとこで何を……っ」
にへらと笑いながら立っていた橘は、長袖の白ニットに黒のタイトスカート姿。丈は膝下まであり、いつもよりは清楚である。
「姉に買い物を頼まれまして」
「そうか」
「おろろ?」
不思議そうに俺の手の本を覗くものだから咄嗟に隠してしまう。これじゃあまるでエロ本を買っているようじゃないか。
「それ、やめた方が良いよ」
「え!?」
「その化学の本、わたしも買ったんだけどさ、姉が猛批判してたから。誤植だらけでなってないって」
「そうか。じゃあダメだな……。ちなみに姉は何の学部に?」
「薬学部。夜の媚薬を注文中」
「そんなもの注文して誰に飲ますつもりだっ!」
「さあ?」
人差し指を軽く唇に添えて白を切る橘。
好きな男がいるんだ。きっとそうだ。
ハリウッドスター顔負けのナイスガイなんだろうなぁ。
「それで? お勉強しないの?」
「え? だからこうして参考書を――」
「エッチな方」
「な、なんてことをっ!」
耳打ちされた瞬間大声をあげると、他の客が睨んでくる。
「委員長、焦りすぎ」
「すまん」
その後、橘講師直伝の参考書考察を交え、英語と化学を一冊ずつ購入した。「頼まれ物取ってくるから」と俺をレジの列に置いてひとり駆けていく橘。天才の姉からの頼まれ物だ、さぞ崇高なものなのだろう。
ものの数秒で橘が戻り、一度に会計を済ませるため商品と代金を渡された。
何故裏向けで渡してくるのか、と疑問に思ってひっくり返せば、
「ええぇっ!?!?」
その商品を見て、あまりのことに声を漏らすと、列を並ぶ客、そしてレジに立つ店員から視線が来る。
「委員長、お静かに」
「いやしかし、コレ……っ。本当に頼まれたのか?」
「はい、姉はガチオタなんで」
商品名『幼なじみが夜這いしてくる件』。
天才の嗜好品はまさかのライトノベルだ。R18ではなくR15と指定されているところを見ればそのハードさは緩いのだろうが。
ずる賢い橘は俺ひとりをレジに残して距離を取る。ちらりと女性店員に顔を見られたことが恥ずかしかった。
「橘っ。逃げるなっ。横に立っててくれよ」
「いやあ、姉と違ってわたしは上がり症なんで」
「…………じゃあ何か? 姉は堂々と買うとでも?」
「ええそりゃあ堂々と、表情ひとつ変えずに。姉はわたしと違ってクールキャラだからすごいよー。店員が引いてたから」
何も言えない。天才は感覚がズレているのだろうか。
「ちなみに、どんな?」
「この前なんてR18の漫画買ってたんだけど、表紙がモロでね。『コレお願い』ってスッとカウンターに置いたら男の店員さんに見られたんだけど『なにか?』って凄んでたもん。わたし横でドン引き」
「なんて猛者だ」
「生徒会室にも大量のラノベと漫画持ち込んでたらしーよ? 先生が入ってきたらどーすんのって聞いたら『人体の研究とでも言うわ』って言ってた」
「姉妹でやってること変わんないじゃないか! 姉もお前のゲームと同じで持ち込んでたのか!」
頭をかいて照れる橘。褒めているわけではないのだが。
「だからグッドタイミングだったよ。委員長がエロの伝道師でよかった」
「何を言うかっ。俺はこんなもの読みたかないっ」
「そーだよねー。委員長は本じゃなくて生がいいんだもんねー」
「いやらしい言い方するなっ」
笑顔で歩き出す橘の背中を追いかけると、何故か怒りは鎮まっていく。不思議だ。橘といると落ち着く。
「んじゃカラオケにでも行きますか?」
「カラオケはやめとこう」
「え? なんで?」
「……俺は自信がない。小中と音楽の成績は散々だった」
下を向いて唇を噛み締めると、聞こえてくる囁き声。
「カラオケは歌うだけじゃないんだよ?」
「え? どういうことだ?」
「知らない? カップルはホテル代わりなんだって」
「なんだって!? ち、違うマイクを使うっていうのか……っ」
「……委員長けっこう上手いこと言うよね?」
「アホか! 俺はいかんぞ! そんなとこ!」
頑なに拒否すると「えーーー、なんでーーー」と駄々をこねる子どものように俺の腕を引っ張ってくる橘。
「んじゃカラオケの中で英語と化学教えてあげてもいいよ?」
取引を持ち掛けてくる橘。
こんな天才にご教授願えるとは絶好の機会ではあるのだが、いささか危険だ。
「本当だろうな?」
「ホントホント、ビリギャルが偏差値四十から何たらみたいに」
「俺はそこまで低くない!……だが、頼む。少しでも成績を上げたい」
「よし決まり! それじゃあレッツゴー。いざ行かん、モザイク混じりの勉強部屋へ」
「ち、ちょっと待て! 不安しか感じないんだが!」
手を引かれるまま、俺たちはデパートを後にした。
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