エピソード2

 月曜の朝、少しばかり足取りの軽い俺が廊下を進む。その様子に「あ、風紀委員長ご機嫌~」などと女子が声を掛けてきたりもした。


 いや待て。俺、めちゃくちゃ昨日のこと喜んでない?


 少しモヤモヤし始めてすぐ当事者が見えた。


「委員長おは」


 悟られぬように平静を装いながらたちばなに近づく。


「またそんな恰好――ッ!」


 その平静は一瞬にして奪われた。橘のネクタイの近くにピンクの布を見たからだ。


「あー、これ?」

「本当は嫌で……。俺の好みに合わせて買っただけか……っ」


 てっきり白ブラを着けてくるとばかり思っていたものだから落胆はひどかった。


「違う違うっ。これにはワケがね」

「ワケ?」


 それを聞かせてくれないかと言った表情を俺はしていたのだろう、橘が慌てる。


「こんなとこで言えるわけないじゃん。夜、いつものとこで、ね?」


 何も返事をしない俺をなだめるように軽く手をあげて教室に入ろうとする。

 が、いつものように橘がリターンを決めて耳打ちされた。


「今日は何されるのかな? 委員長専用のお仕置き部屋で」

「な、なんてことを……っ」


 クスリと笑って橘は教室に入っていった。

 しかし、悔しさよりも白ブラ不在の理由の方が気になっていた。




 放課後、お仕置き部屋なる場所に赴くと、いつものようにひとりゲーム機を弄る橘の姿があった。

 委員会の仕事があるため、必ず俺が後になるのである。


「おっ、来たねー。ワクワクが止まんない感じ?」


 普段とおなじからかいを見せる橘に、普段とは違う態度を取ってしまう。


「なあ、それより早く理由が知りたい……っ」


 ニヤリとしていた橘の顔がスッと変わる。


「え!? そんなショックだったの!? ごめん……っ」


 橘がそんなしおらしさを見せるほど俺の顔は不安そうだったのだろう。


「嫌だったんならハッキリ言ってくれ。このお仕置きだって止めても良いんだ」

「今朝も言ったじゃん、違うって。んじゃ白状しちゃおっかな」


 話をするから座ってくれという風に手で仕草をされて椅子に腰掛ける俺。あちらは座ることなく立ったまま話し始めた。


「昨日の夜、紙袋から丁寧に白ブラを取り出してひとり部屋で眺めておりました。タグを取って明日着けて行こーと意気込んで飾っておいたのです」

「ならどうして?」

「夕飯を食べてお風呂に入り、さあ寝るぞという時、ふと思いました。一番きれいに見えるように着けたいな、と」

「橘ならどう着けても綺麗だろ?」


 急に背中を向ける橘。ここでお預けは流石に拷問だ。


「なあ? 続きは?」

「話の途中での攻撃はおやめください」

「はあ!? 何の話だ?」


 振り返って意味不明な言動を発する橘に突っ込んでみせる。


「えーっとどこまでしゃべったっけ? あ、そうそう、そこから始まったのです、エンドレス試着が」

「エンドレス試着!?」

「家族が寝静まった午前零時。部屋にある姿見の前で必死におっぱいを整えます。何か違うなー、いやこっちかなー、てな具合に。パンツはすぐに決まったんだけどブラがね。ようやく納得した頃には午前二時を回ってました」

「いつまでやってんだっ」

「疲れ果てたわたしはそのまま上半身下着姿のままで寝落ちしたのです」

「じゃあそのまま登校すれば万事OKだろ?」

「…………」


 次の言葉が橘の口から全然出てこない。顔も心なしか赤いようだ。

 そこからどう話が終結するんだ?


「あの、そろそろ」

「……濡れてました」

「え!?」

「あ、いや、濡れるってそういう意味じゃなくて。あ、汗、汗だからっ」


 いや、俺は汗だと思ったんだが。他に何で濡れるというのか。


「上半身下着姿で寒かったわたしは、知らぬ間に掛布団でミノムシ状態になっていたらしく起きたらビショビショで着けて登校できる状態ではなかったのです。…………以上ですぅ」


 以上です、という言葉がものすごくか細かった。


「……よかった」

「え!?」

「白ブラを嫌がってじゃなくて」

「当たり前じゃん。要らないもんに睡眠時間投資しないでしょ」


 嫌われていないと知り、安堵の念を抱いた。


 だがすぐに、それは絶望の念へと変わる。


「というわけで、本日は攻守交替したいと思いまーす」

「え!? どういうことだ?」

「一度目二度目同様、三度目も攻守同じでブラも同じじゃ流石に飽きるでしょ。それにわたしばっか攻撃されんのズルいし。今日は委員長を拘束、わたしがこしょこしょ」

「ま、待て! それはマズいっ」


 俺の焦り具合に小悪魔感をマシマシにしてくる橘。


「何がマズいの? 耐えればいいだけじゃん」

「そ、それだと出来レースだろ? お前の負けがないじゃないかっ」

「確かに。触られなきゃわたしの負けはないか……。んじゃ時間制にしよっか?」

「時間制!?」


 次々とアイデアの湧く橘に思考がついていかない。


「わたしの時はいつも二時間くらいだよね?」

「無理に決まってるだろっ」

「わたしに耐えさせといてズルくない? 男としてどうなの、それ?」

「ぐ……っ」


 確かに卑怯だとは思う。そんなことは百も承知だ。

 だが、男女では訳が違う。橘相手ってだけで危ういというのに、二時間も……。確実に昇天してしまう。


「それじゃあ拘束しまーす」

「おい、待て! 一時間にしようっ。そうしようっ」


 俺の提案を無視して手足を縛っていく橘。その手際の良さに絶句した。


 完全に身動きを断たれた中、目の前に立つ橘を見て戦々恐々だった。


「へー、攻撃側ってこんな感じかー。いいね」


 不敵に微笑んで右手で筆をちょろちょろと弄ぶ橘。空に円を描いたりしている。

 それがもうすぐ俺に当たるのだと考えただけでヤバい。


「なあ橘。ひとついいか?」

「なに?」

「脱がすのはナシにしよう。俺にはブラがないんだから」

「よく言うよ。いっつも筆つっ込んで直に先っぽ攻める癖に」

「ぐ……っ」


 調子乗り放題だった俺を叱ってやりたい。


「んじゃ足からねー」


 足は俺の鈍感ポイント。

 ここは敢えて弱い風を演じて時間を稼ごう。

 しゃがんでズボンの裾をあげていく橘を余裕を持って眺める。


「おおっ、足きれいだねー」

「そうか?」

「うん! 白いし、毛も薄いし」

「それ褒め言葉じゃないだろ。運動不足のモヤシってことなんだから」

「いや、そんなことないよ。結構筋肉質だし。日頃の委員会の成果じゃないの?」

「ま、まあな……。生徒会長から雑用を頼まれて走り回っているからな……っ」


 橘ああああ! 手で擦るのは止めてくれええええ!

 もち肌のような橘の美しい手指によって、鈍感ポイントが一瞬にして性感帯へと様変わりだ。


「あれ? 毛が立ってきた。まだ攻撃してないけど?」


 もう攻撃食らっているんだっ。


「たぶん寒いからだろう。急に露出したからだ」

「そっか」


 おもむろに立ち上がった橘が長机の上に自身のスマホを立て、タイマーをスタートさせた。その数字は百二十。残念ながら俺の提案は却下されている。


「そんじゃ、二時間コース行ってみよー」


 その言葉を合図として足への攻撃が始まった。


「どう?」

「あぁ、こそばゆいな」


 言葉ではそう告げてはいたが、実際は橘の手指よりも数段マシだった。これなら耐えられるだろうから稼ぎポイントだ。


「でも毛はあんま立たないね」

「いや、でもこれはきついな……っ。橘はよくこんなの耐えてたな」


 焦る演技をする俺をじーっと観察する橘。


「じゃあ、もうちょっと上のここは?」

「あぁぁっ、ダメだ……っ。こそばい……っ」


 膝やその裏を刺激する橘に弱点っぽさを演出する。

 またもじーっと観察してくる橘。


「よし」


 突然下げられるズボンの裾。


「おいっ、どうしたんだっ!? まだ一分も経ってないぞ!?」

「別のとこに移動しよっかなって」

「いや、俺足弱いんだっ。諦めるなっ。それにまだ右足しかやってないじゃないかっ」

「前に言わなかったっけ? わたし全部見てから決めたい派だ、って」


 そういえばデパートで昼飯を奢ろうとしてそんなことを言われた気がする。


「い、いやでもな、足が弱いのは本当なんだっ。これはヒントだぞ?」


 ヒントと聞いて立ちあがりながら不敵に笑う橘。「ヒントねえ」などと呟いている。

 ゆっくりと耳元に近づいてきて言ってきた。


「わたしの時はヒント無視して攻め続けた癖に」

「――ッ!」


 足が弱点ではないことに一瞬で気づいていたらしい。なんて女だ。


「じゃあ次は……耳にしよーっと」


 耳はダメだっ。先っぽの次に危険だ。


「あれれ? 触ってもないのに首筋の毛が立ってる」

「た、橘……。耳はやめよう」

「今度は当たりっぽい」

「待て! やめ――あああぁぁっ!」


 耳に当てられた瞬間、全身の毛が逆立つ感覚に陥った。


「ああぁっ、じっとしてなきゃダメだよ。耳の中入ったらマズいから」

「こ、こんなん、ムリに決まってるだろ……っ」


 あまりに首を振る俺にお手上げになる橘。一時的に攻撃が治まった。


「しょうがないなぁ」


 よし、耳タイムが終わる。

 そう思った時だった――。


「あああぁぁっ! た、橘っ、何をした!?」


 筆の時には感じ得なかったとんでもない快楽に頭がおかしくなる。


「耳ペロ」

「まさか舌で……っ。ズルいぞ! 筆以外は反則だ!――ああああぁぁっ!」


 筆が耳穴に入り鼓膜を痛めることを心配して、なのは分かる。舌ならそれはない。

 だが、これは筆以上の、いや遥かに高き拷問。

 日頃棒付きキャンディーを舐めているからか、異常にうまい。


 更には、俺が頭部を激しく動かせば橘にぶつかり怪我をさせてしまう、だからしないだろうことまで予想しての攻撃だ。

 やはり橘は……魔性の、それも恐ろしい女だ。


「どお?」

「アホかっ! 五分と保たんわっ」

「そっか、それは面白くないね」


 助かったと胸を撫で下ろす。

 その時ふと感じた手の違和感。

 女のか弱さなのか、しっかりと結ばれたはずの手の拘束が緩んでいた。少し動かせばすぐに取れそうである。


 だが、一応はそのまま様子を見た。


「よっと」

「はあ!? 橘っ、何を……っ」


 手に気を取られていたら急に感じた股への重み。

 橘が俺の腰元に足を開けて腰を落としていたのだ。つまりは、今、間近くにおっぱいがある。


「こうしないと固さ分かんないじゃん」

「ダメだっ。もしものことがあったらっ」

「もしものことって?」


 もし昇天したら橘の下着が汚れるかもしれない。

 ズボンも穿いているから大丈夫だとは思うが……。


「本当に止めよう! 取り返しが……っ」

「それじゃあ次、お胸行きまーす」

「橘ああぁっ!――うぅ……っ」


 話も聞かず容赦なく攻められる胸。ワイシャツの上からだが先っぽ辺りばかり狙ってくる。それも見事に命中させながら。


「委員長、固すぎじゃない?」


 このままでは数秒後には終わる。

 そう思った俺は手を解放する決断に至る。


「俺は自由だあああ!」


 そう言いながら力強く紐を解き、両手を広げてみせる。


「嘘っ! ちゃんと縛ったのに!――――うわっ!」

「危ないっ!!!」


 俺の行動に驚いた橘が仰け反った拍子にバランスを崩した。何も支えを有していない橘は背中から落ちることになる、そう思った瞬間、咄嗟に俺は両手で力強く抱きしめていた。


「――――ッ!! 大丈夫かっ! お前にもしものことがあったら、俺は……っ、耐えられない……っ」


 俺が橘を引き寄せて抱きしめている時だった――。

 何故だか橘の身体が一度ビクンとなったのだ。一度もくすぐっていないというのに、何故……。


 少し間をおいて、ゆっくりと俺から身を離した橘が真っ赤な顔で上目遣いを決める。


「攻撃側……やられました」

「――――ッ!」


 そのあまりの可愛さに昇天してしまう俺。


「防御側……もだ」

「うわっ! ごめんっ、どうしよぉ、洗わなきゃ……っ」


 俺のズボンのシミを見て飛び降りて動揺する橘。

 あちらに汚れはないようで安心した。


「大丈夫だ、問題ない。何とかする」

「けど……。ベトベトでしょ? 最後ぜんぜんくすぐってなかったのにぃ……」


 橘の顔で昇天したなんてとても言えなかった。


 その後、トイレで何度も洗い流し難を逃れたが、女の子にあんな行為を見られるとは……。死にたくなった。

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