エピソード3
次の日、気分は最悪。
昨日とのあまりのテンションの違いに「あれ? 風紀委員長どしたの?」などと男子女子の多くから心配された。
おい、分かっているのか我が息子っ。お前のせいで父さんは泣いているんだっ。
今、一番顔を合わせたくない彼女の姿に
「あ、ちょっと!」
そんな言葉を無視して走る俺。
近づいてくる彼女の声。
気づけば旧校舎地下へ続く、誰も来ない階段脇にいた。薄暗い行き止まりに、だ。
「あ、いた!」
追いつかれて観念する。
「ねえ、こっち向いてよ」
ポンポンと軽く叩かれる背中。泣きそうになる俺。
わかってる、気持ち悪い男だと思っているんだろ。
「ねえってば!」
振り返らない俺にしびれを切らした橘が俺の正面へと移動して顔を覗き込んできた。
「え!? なんで泣いてんの!?」
「すまなかった、あんな汚れたものを見せて……。もうこんな俺には関わるな」
男の癖にポロポロと涙を零す俺の身体を両手で挟む形で諭してくる。
「何が汚れてるって? 美しいじゃん。赤ちゃんの元だよ?」
何の穢れもなくニコリと笑ってそう言える
「変なヤツだな、お前は」
「へへー、感性が豊かって言ってよ。昨日のこと謝ろうと思ったのに逃げるから焦ったじゃん。……ええっと、ごめんね」
「なんで橘が謝るんだ? 堪え性のない俺のせいなんだから」
「耳ペロ反則使ったから」
「あぁ、そんなのあったな」
筆以外が反則ならこの謝罪は有難く受け取ろうと思い、それ以上反論しなかった。
「ねえ、あれ気持ち良かった?」
「……まあ、かなり」
「えっち」
「お前なぁ……」
いつものように棒付きキャンディーに手を伸ばして軽やかにステップを踏む橘。
「んじゃ、今回はわたしに奢らせてくださいな」
「奢るって何を?」
「今日は素直にふたりで下校して、放課後の買い食い旅と参りましょー」
「買い食いって。俺は一度も寄り道したことないんだが」
「一度も!? 今どきそんな高校生いる!?」
ここにいるが、と言った具合に自分自身を指差すと、橘の小悪魔モードが全開する。
「ならお姉さんが教えてあげないとね。買い食い常習者として」
「褒められたことじゃないぞ。それに俺らは同級生だ」
「買い食いの先輩って意味だよ、後輩くん」
なんだそりゃ、と笑ってみれば釣られて橘も笑ってくれる。
もうてっきり会ってくれないとばかり思っていただけに嬉し過ぎる。
全ての雑務が終わった午後五時過ぎ。
約束通り、ふたりで門を出る。
「ふたりで帰るの初めてだね。夜はあーんなことしてんのに」
「不埒な言い方はよせ。俺たちは更生を賭けた戦いをしているだけだ」
「もうその設定崩れてるよね?」
「…………まあ、そうだな。その姿を俺が死守してるみたくなってるからな」
「やっぱ派手なのがいーんだー。こーんな短いのがいーんだー」
赤い制服スカートを指でつまみ、そよそよと風に揺られるかのように揺すってみせた橘。絶対領域と呼ばれる場所が神々しい。
「やめろ橘っ。他の男に見られたら嫌だっ」
「そ、そーですか……っ」
急にしおらしくなってスカートの裾を丁寧に直す橘。気持ちが通じたようで感謝する。
公園近くに停まったピンクワゴンの近くで人だかりが出来ている。
「おおっ、クレープ屋だ! あそこの美味しいよ。たまにしか来ないんだけどね」
ウキウキしながら走っていく橘の背中はまるで子供のように無邪気だった。
「女性ばかりだな」
「まあクレープだしね。それに買い食いは女性率高いしね」
「そうなのか? 体型を気にしてダイエットはするというのに」
「それ絶対言っちゃダメだよ?」
「わかった……」
行列に並んで数分、順番が回って俺はイチゴ、橘はチョコバナナを注文した。何度断っても「奢る」の一点張りで、仕方なく奢ってもらった。何度も何度も手を合わせてお礼を告げた。
それを互いに持って、公園内の適当なベンチに並んで腰を下ろした。
「あんまり学生がいないな」
「まあ、みんな歩きながら食べるからね。公園内は子どもたちの独占場でしょ」
言われてみれば子供率が高い。ボール遊びをしたり
そんな姿を見ていると妹と遊んだ幼少の頃を思い出す。
そんな中でもちらほらは女学生グループなども歩いていて、楽しそうに談笑している。
「橘もああいう風にグループでいることもあるのか?」
「ううん。わたしはひとり旅」
「いつもか?」
「そう、孤高の一匹にゃんにゃん。……ていうか、普段のわたし見てたら知ってるよね?」
橘の普段。
学園内では常に浮き、避けられている。
そういえばそうだったな。
「だが、俺なんかでも気さくに話してくれるんだから、すぐ友達くらい出来そうだが……。昔からなのか?」
「そうです、ずっとなのですよ、にゃんにゃんさんの一人旅は。……もうこの話やめない?」
「す、すまんっ。クレープを食べよう」
俺が話題を変えるといつものにこやかな橘に戻る。色々と訳ありのようだが、そこはそっとしておこう。
食べ進めていると、橘の頬にチョコレートが付いていることに気がついた。
「橘、ついてる」
「え!? どこ!?」
「口の横」
スマホをかざしてもうまく鏡代わりには使えず、かといって鏡自体も持っていないらしく、
「見えないから取って?」
「ええっ!? 俺がか!?」
「左様です」
すぐにポケットからティッシュを取り出そうとすると、
「ティッシュ勿体ないんで、舐めてもらっていいですか?」
「はあ!? 何言ってるんだ、お前は……っ」
「いいじゃん、耳ペロの仕返しできるよ?」
「いやしかし、他の目が……」
「お子様だけのようだよ?」
確かにその通りであり、あの子たちは現在遊びに夢中で気にも留めていない。
「よーし、良いんだな、本当に」
「どーぞどーぞ」
左の指で頬を指して挑発する橘に、身体を寄せて距離を詰める。
「い、行くぞ」
徐々に近づけていくと、何故か赤みが増す橘の頬。それに動揺して口の渇きが増した。
「ああぁっ」
「へ、変な声だすなよっ」
「これは確かに……。よく耳ペロ堪えたね」
「よく分かっただろ、俺の苦労が」
「なるほど。……んで、取れた?」
「舌が渇いてたから全然取れてない」
「それじゃあ続けてくださいな」
「ぐ……っ」
何故もっと潤いを持ってくれないんだ、と俺の舌を軽蔑しながら再度近づいていく。
三度目を避けるため、念入りに舐め取っていく。
「いや、ち、ちょ、くすぐった……っ」
ずっと目を瞑って耐え続けている橘の頬を変態風紀委員長という矛盾した肩書の俺が嘗め回す。
「ちょ、も……もう、ムリ……っ」
「よし! 取れたぞ」
作業を終えた俺と、被害者橘はともに息が切れている。
そんな時、今まで気づかなかったものに目が留まった。
まだ小学生にもならない小さな男の子と女の子。仲良しなのか固く手をつないでじーっと俺たちを眺めていた。
「ねー、それたのしーの?」
「ええぇっ!? いやーどうだろうなぁ……。このお姉さんの顔が汚れていたからであって楽しいかどうかは……っ」
男の子に言われてパニックに陥る俺。隣の橘も苦笑いである。
「ママはそれでふくよ?」
女の子が指をさし、目で追う先に俺のポケットから滑り落ちたティッシュがあった。
「あーー、その手もあったね。そうだそうだ。お兄さんどうかしてたなーー、あは、あははは」
俺が枯れた笑い声を響かせていると、突然男の子が女の子の頬を舐めた。
少しぼーっとする女の子。
「ゆーくんにされるとうれしーかも」
「ぼくも。ちーちゃんにするとほっとする」
そのことに気づいたふたりがニコニコしながら近づいてきて、
「おにーちゃんとおねーちゃん、すきどーしなんだ」
「ええぇっ!? キミたち何を言っているんだい!?」
男の子が妙なことを言う。
「あたしたちすきどーしだからうれしかった。ほら、おねーちゃんもうれしそー」
「ええぇっ!?!?」
女の子に急に振られた橘は真っ赤っかになる。
何食わぬ顔で、ふたりは手をつないで走り去っていった。
ふたりきりになった瞬間、辺りは静まり返った。
「こ、子どもさんは純粋ですねー、おにーさん?」
「そ、そーですねー、おねーさん」
ふたりして片言のようになりながら時間だけが過ぎるのだった。
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