第11話 「M先生との教育実習(改編)」

教師の思い出・中学編


🔶社会科M先生と、教育実習




 中学3年の担任がM先生である。M先生を一言うなら「バランス感覚いい」

 人を1言で、言うなんて「馬鹿にすんなこのやろ」的な話なんだが、ごめんちゃい。

 

 逆に僕を1言で言うなら「何かアンバランス」。自覚している。反対のものを持っている先生が羨ましい。

 先生は共感力と情がある、叱る厳しさもある、人付きあいも上手。

 広い視野をもつ能力もあるから偉くなってるはずである。(先生褒めといた。俺も褒めて!)


 人よりスイスイ世の中を渡っていってしまうような万能選手かも。


 3年生の時、先生が担任になったが、不思議なくらい全くエピソードがない。


 電話で、最近たまたま話したら、びっくりするくらい、クラス1人1人の名前をよく覚えている。


 生徒愛!!先生は誰にでも等しく愛情を注ぐ熱い先生なんだろう。先生の話もそのうち書くよと話したら「俺の事はかかないでいいよ、れい!」


書いちゃうも〜ん(笑)



🔶先生と再会した教育実習


 実は先生との思い出は、中学生時代より、私が教育実習に行った時の話だ。


 私は大学へは、社会科の教員免許を取るためにいった。


 自分は法学部だから合わせて教職免許をとるのは大変といえば大変だ。

 勉強は難しくないけど授業を普通の人の1.5倍くらい取らないといけないからだ。人によるが、だいたいが眠たい授業である。


 タイミング忘れたが、最後の方に教育実習がある。机で勉強しただけで免許はくれない。実際に学校行って学べという話だからだ。



 自分の母校に行きなさい。大学から言われて中学にすぐ電話した。


即に教育実習2週間行くことになる。


 しかも行ったら教育実習の指導教員はM先生だった。なんたる偶然!しかも、家の兄の教育実習の教官もM先生で、木村兄弟を続けて指導する事になる。



 みんなは知らないから話すけど、大学では机の勉強はしてるが、学校に行く前に授業の練習なんて全くしない。



 知識はあるとしても教える力がない空っぽの20代のボンクラ青年が中学にいきなりきて、かわいい生徒から「先生」と言われてしまう。かなり迷惑な話だ。



 まずその時の私を少しだけ話す。私は当時に視力障害を抱えていた。


 簡単にいうと近くの本などにうまく視点(ピント)があわないハンディキャップだ。こんな状態で学習するのは難しいし、教えるなんて。どうしようかなと困って悩んでいた。しかし、その割に乗り切ってしまう。

 いや、「人生、やってみたら、なるようになる」、「案ずるより産むがやすし」の典型みたいな話かなあ。



🔶教育実習の私の目的を語る。


 M先生に授業で任せられたのは、普通なら実に簡単な?4大文明のあたりだった。


 ただ簡単な分野をそのまま教科書通りに僕が教えるわけがない。書いてある事をそのままやるなら僕が行く意味がない。


 僕は社会が嫌いな生徒でも、社会に興味がもてるような授業1点、を目標にした。


 だから逆にいうと点数をとるのに必要な教えかというと全く違う。


 普通は両方を目指すが、そんなとこがズレている人のが私。アンバランスとはこんなところである。

 興味持ってもらい、楽しけりゃいい。それだけを目的にした。



🔶教育実習の内容



 僕は毎日、2週間だいたい寝ずに授業の準備の勉強した。

 だから中学に行くと寝不足でかなりフラフラしていた。


 大百科的な本を持ってきて、面白いと感じる情報を捜し出す。

 視力は、先程話した通り、ピントが合わないから、読むのは人の5倍は時間がかかるからキツイ。



 4大文明。言えますか?河の名前は?いやいや、役に立たない話は忘れる法則だ。中国、エジプト、メソポタミアミア、インド。



 1番うけた話をします。


 エジプト文明。エジプト文明。教える事は、ナイル川、象形文字。以上終わりです。



 だいたいこの2つだけ掘り下げて終わり。



 でも普通に僕はそれを教えられない。普通のことがしたくても普通にできないのだ。



 エジプトの文明の説明で教科書に、エジプト文明は「多神教」。ひっそり書いてはある。オモロい!そこに目をつけてしまう。



 つまり、エジプトの人は何でも神にしてしまう。ライオン、ネズミ、ゾウとか動物だけかな忘れた。100人は神様がいる。



 私は、へんてこりんなエジプト人が書いた100人の神様がびっしり書かれた絵のA4資料を、みんなにコピーして配る。


 は?なにこれ?中学1年生はみんなキョトンとしている。


 中学1年生は可愛くて、正直は小学生とかわらない。ピュアである。(いや正確には変わりますよ)


 僕はひととおり、にわか知識をかなりテキトーに話した後に、クイズをした。


 「1番上から三段目、右から二番目の絵は、何の神様だと思う?わかる人は手をあげて?」

 だいたいの絵は猫やヘビが頭の上にのってる神様だから見たらすぐわかるが、これは見てもわかんないからである。何かは頭に乗っているが小さくてわからないのである。



 この時、僕の授業がめちゃくちゃどよめきたった。



 「はいはいはいはいはい」



 黙っていた中学生が、必死こいて手をあげる。15人〜20人は、はずれたかな。


 1人で何回も発言する子もいた。Mくんが当てた。面白い少年だった。


 人懐っこいイガグリ頭の少年だった。


 彼が答えた。

 「フンコロガシ!」



 私「Mくんすごいな!なんでわかったの(笑)」


 クラスの声「そんなんわかるわけないよ!(怒)」


 「なんで、フンコロガシが神様なの(笑笑笑)」



 「俺も知らんよ。紀元前3000年(今から5000年前)にもどり、エジプト人に聞くしかないね」





 子どもたち、松○先生ありがとう😢




🔶後日談


 一週間、つまり半分の教育実習が終わった頃に、M先生に神妙な顔つきをされ、呼び出された。


 「れい、先生さ、、実習で教える範囲を最初に話したよな?全然、進んでないじゃないか」

 優しい先生に、怒られた😓


 「あ。確かに。話が膨らみ過ぎて、進まなくて」


 「先生、中間テスト作んなきゃいけないんだぞ、範囲進まないと問題だせないよ」


 「すいません。。。」


 「れいな、大学の授業じゃないんだぞ、れいのやってんのは」


 「えっ?そんなつもりは、なかったんですけど」


 「兄貴は、真面目だったなあ。真面目すぎかなあ。れいは……。れいとお兄さんの中間くらいがいいんだけどなあ」


 「う〜ん。僕もかなり、真面目なんだけどな😓」

 私は、一生懸命やっても不真面目に見られやすい特性が今もある。考えてみたら、誤解されやすいキャラクタなのである。理由は、だいたいわかるが、ここでは深堀しない。しかし、ここまでの文章で読めばわかるかな、とは思いますよ😟


 子供達には、2週間のお別れの時に、沢山の手紙をもらった。こんな事が書かれていた。


 「木村先生の授業は、最初、何か変わってる感じがしたけど、だんだん途中から慣れて楽しくて、わかるようになりました。先生、楽しい授業をありがとうございました、がんばって先生になってください」


 優しい子らだったな。ありがとう。    



 🔶また、僕は「道徳」の授業で、「個性とは何か?」という、如何にも僕的なグループワーク的授業をした記憶もある。


 当時、自分では、全くもって納得していなかったが、M先生は「よい授業だったぞ」と言われた。考えてみたら、唯一、褒めてくれたのはこの授業だったかもしれない。


 子供達の感想は、以下である。


 「友達のいろんな意外な部分を知れた」、「友達を知れて楽しかった」、「自分のことを友達に話すのって恥ずかしかった」。


 今考えてみたら、ぼんくら青年にしては、上々な授業だったかな。

 

 しかしー一ー。今なら、桁外れに、めちゃんこ楽しい授業をする自信あるんだけどね〜。


 おしまい



            

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