第48話 散歩


 一旦昼休憩を挟むことにした俺たちは、現実世界へと帰ってきていた。

 そして案の定、そこで俺たちを待っていたのは───


「あ、おかえりなさい」

「あー、ただいま?」


 何食わぬ顔で家の中にいた雨野さんだった。

 昨夜もいたし昼にもいるとは、この子は普段何をしているのだろうか。……なんて失礼なことは、寧衣の世話をしてもらっている手前口が裂けても言えないが。


「ご飯できてますよ」

「……ありがとうな」


 その感謝がご飯を用意してくれていたことに対してなのか寧衣の世話をしてくれていることに対してなのかは、自分でもわからなかった。いや、きっとその両方だろう。

 そんな雨野さんに俺が応えられることがあるとしたら、それはきっと寧衣の生活習慣を改善させることだ。


「……飯食ったら、運動させるか」


 俺は自分の決意を再度固めるようにそう呟くと、雨野さんの顔にぱあっと笑顔が咲いた。


「そうしましょう!私もお付き合いしますよ」

「いや、そこまでしてくれなくても……」

「いえ、ぜひお供させてください」


 やたらとぐいぐい押してくる雨野さん。

 何がそこまで彼女を駆り立てるのかはわからないが、別に断る理由もないので俺は普通に了承をした。


(そういえば、まだ雨野さん自身の話を聞いたことはなかったか)


 寧衣に呼ばれてリビングへと駆けつけていった雨野さんの背中を見ながら、俺はふとそんなことを思っていた。

 寧衣の後輩だということは聞いているが、そもそも何の後輩なのかもわからない。学校に通っていた時のなのか、配信業の後輩なのか。

 前者だとしたら、当時も寧衣とは普通に仲が良かった俺の記憶にないのはおかしい。実際寧衣の学校の友達の大半とは会ったことがあるし、その中に雨野という人はいなかったはずだ。少なくともこんなお世話を任せられるほど親密な相手なら、会ってなくても名前くらいは聞いたことがあってもおかしくないだろう。

 だとすると後者になってくるが、それはそれで雨野さん自身の配信活動はできているのかという疑問は残ってしまう。


(……まあ、本人に聞けばいいか)


 別に隠し事ってわけでもないだろうからそう雑に問題を後送りにした俺は、雨野さんの絶品料理を堪能すべく、料理の待つ……じゃなくて寧衣と雨野さんの待つリビングへと向かったのだった。






「と、いうわけで。身体を動かすぞ」


 昼食を終えてすぐさま配信に戻ろうとした寧衣の首根っこを摑まえて、俺はそう言った。


「やだ!」


 俺の言葉を聞いた寧衣が、俺の手の中でジタバタと子供のように抵抗しだす。その身体は、まさに子供かと思うほど軽かった。

 一日のほとんどをVR配信と睡眠で過ごしているということは、身体はほとんど動いていないということだ。現に俺も一日ほどそんな生活を送っているが、すでに身体が訛って仕方がない。むしろ動きたいと身体が悲鳴を上げているくらいであり、寧衣はなぜ平気なのかという疑問が湧いてくるほどだ。


「寧衣さん、私も付き合いますから」

「やだやだ~!」


 見かねた雨野さんの諭しも通じず、寧衣は相変わらず俺の手の中で暴れていた。

 これはまずいと思った俺がため息をつくと、何を思ったのかふと寧衣が大人しくなった。


「あっ」

「どうした?」

「今のでいい運動になったんじゃない?」

「……ふっ」

「あー!鼻で笑った!」


 むしろ鼻で笑わない方が失礼だ。全国の日々の運動を頑張っている皆様方に。


「馬鹿言ってねえで行くぞ」

「やだやだやだー!」


 俺が駄々をこねる寧衣を無視しながら外に連れ出そうとすると、雨野さんが何かを持ってやってきた。


「お兄さん。これを」


 雨野さんに差し出されたものを受け取る。それは寧衣の足のサイズにピッタリの、レディースものの運動靴だった。


「運動靴はあるのか」

「だいぶ前に私がプレゼントした、新品です」

「……おい」


 寧衣を睨むと、さすがに寧衣も分が悪いと思ったのか、目を逸らしてヒューヒューと口笛を吹き始めた。

 こんなに献身的で自分のことを想ってくれている後輩がいながらこれとは、なんてわがままなやつなのか。お兄ちゃんは恥ずかしいよ。


 そんな思いが通じたのか、はたまた諦めただけか。寧衣は差し出された運動靴を素直に履くと、しぶしぶとした様子で口を開いた。


「で、何するの?走るの?」

「すげえ不満そうだな……まあ、今日は散歩くらいでいいんじゃないか?」

「「えっ」」


 俺の言葉に、キョトンとする寧衣と雨野さん。


「そんな驚くことか?ていうかどうせ走れっていっても寧衣には無理だろ」

「どういう意味!?」

「物理的な意味でな。何年もあんな生活してるんだろ?足動くのか?」

「それは……無理だね。うん。散歩が限界」


 先程まで親の仇のような目で見ていたくせに、散歩と知るや否や俺の提案に突然すり寄ってくる寧衣。

 もちろんそんな精神的な意味でもだが、それは言わないでおこう。


「うわ、太陽と会うの久しぶりかも」


 そんなことを言いながら一人で先に外に出ていった寧衣を尻目に、俺は雨野さんに耳打ちをした


「まあ、零より一ってことで。継続させないと意味ないからな」

「……」


 そんな俺の言葉に、雨野さんは目を見開いて驚いたように俺を見てきた。


「……?何か?」

「い、いえ……そうですね。まずは一から……ですよね」


 雨野さんはそう言うと、そそくさと寧衣を追うように外へと出て行ってしまった。


「……いや、俺唯一この家の鍵持ってないんだが」


 先に行ってしまった二人の背中を眺めながら、俺は困り果てたようにそう呟いた。


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