第39話 過去編 アーシー・ドスレクマーク
次にキャビーの目が覚めた時、そこはすでに馬車の中ではなくなっていた。
ベッドに横たわる背中からは今までに感じたこともない柔らかさが伝わってきており、掛け布団の中では今までに感じたことのないほどの温かさに包まれていた。
キャビーはそれがなぜだか嫌で、悲鳴を上げる腹部を酷使してベッドから起き上がった。
周囲を見渡してみると、辺りには味気はなかったがそれでも豪勢な装飾が施された内装が広がっており、そこが大きな部屋であることは容易に理解できた。
これほどまでに大きな部屋は見たことがない。いや、部屋と言うと語弊があるだろう。部屋としてなら食堂や何かの施設の跡地なんかはこれよりも大きい部屋だったかもしれないが、それが個室となるとどうだろうか。少なくともキャビーは、百人は裕に入れそうな個室など見たこともなかったし、必要性も理解できなかった。
いったい誰がこんな部屋を、と思っていると、キャビーの耳に誰かの足音が聞こえてきた。
ゆっくりとその音が鳴る方を振り向くと、そこにはキャビーと同い年ほどの少女が、優雅な服装を見に纏いながらこちらへと歩いてきていたのだった。
「目が覚めましたのね」
ベッドに腰を掛けているキャビーを見て、その少女がそんな言葉をかけてきた。
その声音に敵意はなく、周りの人間は全て敵だといわんばかりの環境で生きてきたキャビーにとって、なんとも拍子抜けのする声音だった。
「ア……ッ」
キャビーはそれでも警戒心を強く持って、アンタは誰にゃ。と問おうとしたのだが、腹部の傷が邪魔をしてそれを言葉にすることができなかった。
言葉にならない嗚咽を漏らしながらもがき苦しむキャビーの様子を見て、その少女が困ったように眉をひそめた。
「ごめんなさいね。穏便に連れてこいとは言っておいたのですけれど」
「……」
つまり、あの初老の男性はこの少女の命令でキャビーを攫ったというわけだ。
キャビーは自分の扱いを見てこの少女に救出されたのかもしれないとも思っていたが、どうやらこの少女とあの男性はグルであったようだ。それでも、この少女には敵意も害意もないようだが。
「……それと、一応その傷は私の方で治癒させていただきましたが、ほとんど無駄でしたわ。あなたに治癒のスキルはないと伝えておいたのですけれど、それでも警戒していたようで」
治癒。それは、何かを修復させるスキルを表す言葉だ。治癒で治らない傷はないと言われているし、そのスキルを持っているだけで生活には困らないなんて話も聞く。
そんなスキルで治らないということは、この傷にも何か特別な力が作用しているということだろう。思い返してみれば、たかが腹部にナイフが突き刺さっただけで一瞬にして意識がなくなるなんて、少しおかしな話だ。
「……何が目的にゃ」
しかし、そんな傷だどうこうだなんて話はどうでもいい。キャビーが腹部を刺激しないように弱弱しい口調で本題を切り出すと、その少女は柔らかな笑みをこぼした。
「そうですわね。でも、その前に自己紹介をさせてくださいまし。私はアーシー……アーシー・ドスレクマークですわ。よろしくお願いしますね、キャビーさん」
「……」
どうして自分の名前を知っているのか。いや、それ以前に、どうして私に治癒のスキルがないと知っていたのか。どうして私が死神だと知っていたのか。
聞きたいことは色々あったが、キャビーは黙ってアーシーの話を聞いていた。腹部の傷が痛むからあまり声を出したくないというのが主な理由だったが。
キャビーがそんな調子でアーシーの話に耳を傾けていると、アーシーはいきなり意味のわからない言葉を投げかけてきた。
「さて……私も長々とお話しするのは好きではありませんの。ですから、簡潔に言わせてもらいますわね」
「……」
アーシーが言葉に間をおくと、その場に緊張感が広がった。
アーシーは一つ息を吐きだすと、宣言通り簡潔に目的だけを言葉にした。
「……キャビーさん、あなたには私と一緒にこの街を…………いえ、この国救って頂きますわ」
「……にゃにゃ?」
思いがけないアーシーの言葉に、キャビーは腹部の痛みも忘れてぽかんと首を傾げたのだった。
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