第36話 過去編 転機
「最近は人が減ってきたにゃね……」
先程の狩りの成果を確認しながら、虚街から人が遠ざかっている原因である張本人がそんなことを呟いていると、なにやら南の方から激しく争うような音が響き渡ってきた。
それは虚街では日常的に行われている小競り合いという程度のものではなく、前にやってきた貴族の部隊と争った時のような音だった。
「アタシも顔を出してみようかにゃ?」
本来キャビーは静かに人を誘って殺すことが得意であり、激しい争いだった貴族の部隊との抗争には参加しなかったのだが、あれは相当美味しかったと聞く。最近では人も減ってきて稼ぎが少なくなってきているので、またカモがネギを背負ってやってきたというのなら、行ってみるくらいの価値はあるだろう。
そう判断したキャビーは、のこのこと争いの音が鳴る方へと足を進め始めた。すると、虚街の中では大通りとして多くの人が使っている少し開けた通路に出た時、同じようにその音を目指している小規模な集団に遭遇した。
その集団は普段虚街で見かけるみすぼらしい姿の人々ではなく、きちんと武装をした、いわゆる裏社会の人間だった。前回の貴族との抗争は、ほとんどの相手を彼らが相手を制圧し、残りをそのおこぼれを狙って駆けつけてきた人たちが食い散らすという構図だったそうだ。今回も、矢面に立って争うのは彼らだということだろう。
しかし、キャビーにとっては彼らもまた敵だった。敵の敵は味方というが、キャビーの意識は常に一人なのだ。この世に味方はおらず、信じられるのは己の力のみだった。
そんなキャビーの警戒心に気づいてか気づかずか、その集団のうちの一人はあまりキャビーに近づかずに声を掛けた。
「嬢ちゃん、おこぼれ狙いなら下がってな。今回の相手はどうも領主様の軍らしいからな」
「おい!ガキに構ってる暇があったら警戒しろ!」
「まだここまでは来てないでしょう。それに、俺にもあれくらいのガキがいて───」
声を掛けたと言っても一瞬のことで、その集団はそれ以上キャビーに構うことなく抗争の音がする方へと進んでいった。
しかし、領主の軍が一体こんなところまで何の用があるというのだろうか。キャビーがそんなことをぼんやりと考えていると、不意に何者かの気配を感じた。
「……お気づきになられましたか」
キャビーが気配を感じた直後に暗闇から響いてきたのは、渋い男の声だった。
しかし、その姿は未だに現れない。キャビーが全身の神経を張り巡らせるように警戒していると、再びその声が聞こえてきた。
「紅い毛並みのナイトキャット。年齢はお嬢様ほど。……さて、ではお力のほどを」
キャビーはその声を聞くと同時に、『何か』が襲い掛かってくる気配を感じた。
それが何なのかもわからなければどちらからやってくるのかもわからなかったが、キャビーは一切の迷いもなくその場から離れるように、『加速』のスキルを使ってまで飛び下がった。
その直後、先程までキャビーが立っていた地面から無数の棘のようなものが生えてきた。飛び下がるのが一瞬でも遅れていたら串刺しにされていたであろうその光景を前に、キャビーは恐怖を誤魔化すように唾を飲み込んだ。
(ダメにゃ。まともにやり合ったら殺られる……!)
キャビーは『死神の噂』を生み出すほどのことをやってのけているが、それでも圧倒的な強者というわけではない。これまでは、虚街にいてもおかしくないただのナイトキャットの少女であることで油断を誘い、初見殺し的なスキルで相手を殺すという、常に自分に有利な状況下で戦ってきたのだ。
暗闇から響く声の主が誰なのかはわからないが、このように最初から明確に自分を狙ってくる相手には弱かった。それでも歳不相応な強さは持っているのだが、あくまでその程度だ。キャビーの鼻は、今の敵を絶対に敵わない相手だと感じ取っていた。
キャビーは今にも逃げ出したいところだったが、下手に動くわけにもいかなかった。どこからともなく向けられる相手の視線に、動いたら殺されるという空気を感じ取っていたからだ。
「なるほど。しかし、信じがたい話ですなあ。よもやこのような方が例の死神とは」
突然後ろから聞こえてくるそんな声に、キャビーは慌てて振り返った。
いつの間にか暗闇から向けられてくる視線は消えており、その代わりに執事服を身に纏った初老の男性がそこに立っていたのだった。
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