第34話 過去編 『死神の噂』


 事の発端は、とある闇のバイヤーが消えた事件だった。

 そのバイヤーは武器や人材を商品としており、主に貧民街や虚街の人間から貴族に対しての取引を専門としていた。

 帝国はかなりの実力主義だが、特にアールの街ではそれが著しく、貧民街で発掘した人材を貴族に売りつけるバイヤーは数多くいる。しかし、彼にはそんな数多のバイヤーとは一味違う点があった。

 それは、虚街にも顔が通じるという点だ。バイヤーや貴族の関心も高い貧民街からの人材発掘は、当然他の貴族にも勘付かれやすい。その点、彼が虚街からスカウトしてくる人材は、まさに隠し玉足り得るもので、他の貴族を出し抜く要因として非常に重宝されていた。


 だが、そんな彼も唯一という存在ではなく、虚街を扱うバイヤーは他にも数人いた。それに、そもそも虚街に手を出すというのは多くの危険を伴う仕事でもあった。そんな中で彼が消えたことに最初は誰も疑問には思わなかったし、せいぜい誰かの恨みを買ってしまったのだろうという程度の認識だった。







 しかし、それから数か月が経ち、この事件を発端としたバイヤー失踪事件は一部の貴族の間で無視できないほどの事態に膨れ上がっていた。

 人を売り物にしているバイヤーが失踪するなんてことはよくある話だ。十分に稼いだと判断して引き下がる者。誰かの恨みを買って消される者。取引に失敗して逃げ去る者。理由は様々だが、消えた分だけ新しいバイヤーが芽生えてくるという環境だったこの街では、バイヤーの失踪とはせいぜい贔屓にしていたバイヤーが消えた時だけ反応を示すといった程度のことだった。


 では、なぜ今回のバイヤー失踪事件が一部の貴族を釘付けにするほどの話題性を持っていたのか。

 それは、あの事件以降に消えるバイヤーの比率が明らかに変動していたからだ。元々、虚街に手を出しているバイヤーが消えるということは多々あった。貧民街を専門としているバイヤーよりも高い比率で消えていた。だが、あの事件以降はそれが明らかに跳ね上がっていたのだ。まるで、誰かが狙いすましているかのように。


 しかし、それにしてもおかしな話だ。バイヤーというのは誰かから恨みを買うことの多い仕事だが、それは逆に贔屓にしている人もいるということ。バイヤーが危険な仕事であるのと同じように、バイヤーを狙うのもまた危険なことなのだ。それを虚街に手を出しているバイヤーと一括りにして襲うのは、危険すぎるし意味も分からない。

 そもそも虚街とは無法地帯で、こんなところに思い入れがある人も居なければ、むしろ虚街から危険因子を取り除いてくれるバイヤーは虚街に暮らす人々にとってはむしろ害をなす存在ではないのだ。

 現に、虚街に踏み入れているバイヤーの中には虚街民に銭を握らせて仲良くやっている人もいたし、そうではないにせよ虚街民からはバイヤーだからと敵意を向けられることはなかったのだ。


 そこで一部の貴族たちは、協力してこれを調査することにした。このままでは虚街に手を出そうとするバイヤーがいなくなってしまうし、そうなって損をするのはお互い様だからだ。

 しかし、その結果は大失敗だった。慎重に調査を続け消えたバイヤーの中の一人の行方を掴んだところまでは良かったのだが、そのバイヤーは何も情報を持っていなかったのだ。彼はただ商品にしようと思っていた人が何者かに殺され、取引に失敗したから逃げ去っただけだった。

 その結果にしびれを切らした貴族たちが秘密裏に部隊を編成し虚街に送り込んだのだが、それもその事件とは関係ないただの飢えた虚街民の餌食にされ失敗。そしてその部隊に編成した人たちはどこへ消えたのかと他方から追及を受け、元々裏取引だった虚街のバイヤーの件を話すわけにもいかず、その貴族たちはこれ以上の捜査は不可能だと断念したのだった。


 それ以降バイヤーの間でささやかれ始めたのが、『死神の噂』。彼らの見解では、死神は虚街に現れたただの凶悪な殺人者というものだった。バイヤーを狙っているのではなく、バイヤーはただ無作為に狙われただけ。なぜなら虚街民がバイヤーを狙う理由がないし、そもそもバイヤーが殺されたのではなく商品が殺されてバイヤーが逃げたというパターンも多かったからだ。




 そしてそれからさらに月日が経ち、バイヤー失踪事件を調査した貴族たちが、領主や他の貴族の調査により裏取引をしていたことを解明された。それによりこのバイヤー失踪事件を知ることになった領主たちも、『死神の噂』を知ることとなる。

 こうして、帝国の表舞台にまで顔が出てきた『死神の噂』は瞬く間に帝国全土へと駆け巡ることになったのだった。

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