3-4 使命感

 あれから何度か、芽衣さんとLIMEメッセージをやりとりした。


【May】今日もあれを視ちゃいました。顔とか声に出さないようにするのが大変です。

【服部 はじめ】そうだよね。なるべく別のこと考えて、気を逸らした方がいいかも。一つのことばっかり考え込みすぎると、それだけストレスも強くなるし。気持ちが不安定だと、霊的なものにつけ込まれやすくなるみたいだよ。

【May】分かりました。頑張ります。


 多少の気晴らしにでもなればいい。僕だって、それくらいならできる。


【May】やっちゃいました。また授業中に変な声出しちゃった。今、保健室で休んでます。

【服部 朔】大丈夫? あんまり気にしない方がいいよ。遥南はるなにも協力してもらいなよ。

【May】ありがとうございます。頑張ります。


 例の話題に加えて、世間話も混じるようになった。


【May】朔さん、ミラコレの最新巻読みました?

【服部 朔】読んだ! やばいね、まさかの裏切り。

【May】推しだったのにー!

【服部 朔】笑。


 自分の妹とだって、こんなに気軽な会話をした記憶はない。僕が中学に上がるころには、遥南との接点は驚くほど減っていた。

 そればかりか、両親、とりわけ母親とは、まともな言葉を交わした記憶も薄い。


 LIMEメッセージの中で、僕は自分の境遇についても軽く説明した。


 生まれ持った共感応エンパスを上手くコントロールできなかった僕は、四六時中何でもかんでも受信してしまい、ずっと悪酔いしているような状態だった。

 突然錯乱したり、自分のものではない身体の痛みに泣き叫んだり、とても扱いづらい子供だったと思う。

 母親は僕に手を焼き、父親は必要最低限しか接してこなかった。


 一方、マトモな遥南は両親から大事にされていた。目に見えて区別されることも、しばしばあった。

 でもそれは、僕がおかしいから仕方のないことだった。


 大きな波は二度あった。

 一度目は、。父方の祖母が病気をして、退院後にうちで面倒を見ることになった。祖母が入院してから施設に入るまで、母親はひどいストレスを抱えていた。

 恐らく母親の感情を受信していたのだろうと、今ならば分かる。僕の内面は嵐みたいだった。

 当時もあったけれど、その時のことはあまり覚えていない。


 二度目は、三年前。

 遥南の中学受験で、家の中がピリピリしていた。その影響で僕はまたひどく情緒不安定になり、それが遥南の勉強に差し障った。僕自身の成績も下降気味だったころだ。

 元々僕のせいで心身のバランスを崩し気味だった母親は、いよいよ床に伏せった。


『あんたがおると、家の中がめちゃくちゃになるわ』


 全ての元凶の僕は、父親の弟である叔父の家に預けられることとなった。


 叔父の教え子だった樹神こだま先生とは、に一度面識があった。だから叔父は、僕の体質や状態について彼に助言を求めた。

 精神が安定し、勉強にも身が入るようになったのは、二人のおかげに違いない。

 そして僕は高校進学を機に先生の事務所でバイトとして雇ってもらい、今に至る。


「今、朔さんには、分かってくれる人が側にいるんですね」


 芽衣さんから、そんなことを言われた。

 確かにそうだ。誰かに受け入れてもらえるなんて、以前は考えられなかった。


 もちろん今の生活に不満はない。

 だけど、僕の中には欠けたものがある。僕だけじゃなく、かつての家族の中にも。

 他でもない僕のおかしな体質のせいで、大きな穴を開けてしまった。それを埋め合わせる方法は、未だ見つからない。


 僕と芽衣さんは似ている。

 僕ならきっと分かってあげられる。

 僕みたいなことになる前に、救いの手を差し伸べなければ。

 まるで使命のように、そう感じていた。




 彼女が事務所に来た日から、しばらく経ったころのこと。


【May】朔さん、今度の金曜日、お時間ありますか? ハンカチをお返ししたいです。

【服部 朔】金曜は期末試験最終日で早く終わるから、僕がそっちまで行くよ。

【May】えっ、そんなの申し訳ないです!

【服部 朔】この日は事務所に行く予定だから、午後まるまる空けてあるんだよ。だから大丈夫。


 先生には、先に芽衣さんの用事を済ませてから事務所へ行く旨、連絡を入れておいた。



 そして約束の日。

 名古屋市営地下鉄桜通線の車道くるまみち駅で降り、二番出口から徒歩五分。

 閑静な住宅街の中に、S学園はある。中等部と高等部の隣接した名門校だ。私学としては県内で最も古いらしい。


 そんな伝統ある女子校の校門前、下校の時間帯。

 学ラン姿の僕は、はっきり言ってめちゃくちゃ目立っていた。

 洒落たデザインの立派な正門から出てくるセーラー服の女の子たちが、ちらちら僕を見てはそそくさと通り過ぎていく。


 どんよりした曇り空の日だ。吹き抜ける風が冷たくて寒い。大して中身も入っていないリュックをやけに重たく感じる。


 こんな時、僕が長身イケメンだったなら、彼女らの反応も違っていたのではないだろうか。例えば樹神先生みたいな人であれば、ちょっとした騒ぎになるに違いない。

 そういう意味では、何の話題性もない容姿で良かったと思うべきかもしれない。我ながら哀しくなってきたのは否めない。


 晒し者になること十数分。

 ようやく現れた遥南と芽衣さんが、天の使いのように見える。


「お兄ちゃん!」


 遥南からの呼びかけで、周りにいた女子たちの好奇心がすぅっと空気に溶けて消えていくのが分かった。「なんだ、ただの兄か」みたいな。

 まぁ、そうなるのも頷ける。僕もつい最近思ったはずだ。「なんだ、ただのハトコか」と。


 芽衣さんが小さく頭を下げた。


「すいません、ここまで来てもらっちゃって」

「いや、全然いいよ」


 彼女が自分で行動するとなると、親への言い訳などいろいろ大変だろう。


「ハンカチ、ありがとうございました」


 差し出された僕のハンカチは、きっちり折り畳まれてジップ付きの可愛らしいビニール袋に入っていた。


 三人並んで、駅までの道を歩く。僕の隣に芽衣さん、その隣に遥南。

 実妹と言えど、やはり何となく距離がある。間に芽衣さんがいて良かった。


「あれから大丈夫だった? 生首あれは見えてない?」 

「あ……っ、はい、大丈夫です。すいません」

「良かった。保健室に行ったって聞いたから、大ごとになったら大変だろうなと思ってさ」


 遥南が首を傾げる。


「保健室って?」

「あっ、ううん、大したことじゃないよ」


 おや、と思った。

 遥南がいない時の出来事だったのだろうか。


「それより、T高はうちよりテスト週間ちょっと早いんですね。うちは来週からなんで。ねぇ、遥南」

「そうだね。そろそろテスト勉強しんとかんね」

「遥南は頭いいからいいよ」


 他愛もない会話が続く。芽衣さんはあまり成績が良くないらしい。


「でも受験ないのは正直ホッとする。来年からはこっち側の校舎に移るだけだし」


 フェンス越しに見えるのは高等部の校舎らしい。レンガ色の壁はどっしりして、伝統を感じさせる。

 僕自身もそうだけれど、名門と呼ばれる私立校で学べるのは、世間一般から見たら恵まれているのだろう。


 ふと思い出す。先生は、学校が『場』となってもおかしくないと言った。

 しかし、ここはどうだろう。取り立てて妙な気配はない。


「芽衣さん、生首あれが視えるのは学校の敷地内だけ?」

「えっ? あっ、あの」


 芽衣さんがぱちぱちと瞬きする。


「さ、最近は、家の中とかでも視えることがあります。なんか、ずっと誰かに見られとるみたいで……」

「うーん、そうか。じゃあ、芽衣さんに取り憑いとるってことなのかな」


 少しだけ感覚の回線を開いて、すぐ隣を歩く芽衣さんの周囲を窺ってみる。しかし、今それらしい念は何も感じられない。

 あまりにじっと見つめていたら、芽衣さんは気まずそうに俯いてしまった。


「あ、あの……」

「あぁ、ごめん。やっぱ僕じゃ、何が起きとるんか確認するのも難しいみたい。僕で対処できるんなら良かったんだけど」

「いえ、そんな……気にしてもらえるだけでありがたいです」

「こないだ、うちの先生が紹介するって言っとった人、調香師なんだ。優しい女の人だよ。悪霊の嫌う匂いのお香とか、分けてもらえるかも」

「お香? アロマとか?」


 反応したのは遥南だ。


「いや、詳しくは知らんけど、用途に合わせていろいろ作っとるみたいだよ」

「そうなんだ、いいなぁ。芽衣、私も一緒に行っていい?」

「う、うん」


 遥南も来るなら、芽衣さんも安心だろう。

 おかげで上手く筋道が付けられそうだ。せめてそこまでは力になりたかった。


 程なくして、駅が見えてくる。

 行きにも使った二番出口の階段を降りようとした時だった。


「ん?」


 開けたままにしていた僕の回線が、何かを受信した。

 片側三車線ある広い道の、大きな交差点の向こう。こんな街中に、こんもりと木々の生える一区画。

 そこに、ある。


「ねぇ、あそこって何?」

「あぁ、石神神社?」


 神社なのか。それにしては、何とも言えず肌がピリつく妙な感じがする。

 ピンと来た。先生の言っていた「この付近での別件」とは、あそこのことではないだろうか。


「ちょっと僕、様子を見てくるよ。悪いけど、僕はここで」

「え? どうしたの、急に」

「あそこに何かあるんですか?」

「うーん、何となくだけど、気の乱れを感じるんだよ。もしかしたら、芽衣さんが変なものを見たことにも関係あるかもしれんし」


 二人は顔を見合わせる。


「じゃあ、私たちも行ってみようよ。何か分かるかも」

「えっ嘘、遥南、待って」


 止める間もなく走り出す遥南。それに続く芽衣さん。


「早……」


 言い出しっぺなのに取り残された僕は、慌てて二人を追った。


 神社は、広い通りを渡ってすぐのところにある。

 敷地をぐるりと囲う石垣と、その上に並んだ石の柵。こういうのを玉垣というらしい。神域の境界線だ。

 少し回り込めば、石造りの鳥居。古そうな注連縄しめなわが下がっている。

 ここから先は神域の中だ。しかしやはり、肌に触れる空気は神域のものとは思えない。上手く説明できないけれど、重たい湿気のような澱みを感じる。


 芽衣さんが独り言のようにこぼした。


「えっ……ここ、前からこんな変な感じだったかな」

「どうかした? ていうか芽衣、ここ来たことあるの?」

「えっ? う、ううん、ほら、駅から近いし……」

「確かにねー。よし、早速行ってみよっか」


 遥南は何とも感じないらしく、やはり真っ先に神社へと突入した。あまりに躊躇いがなさすぎる。


「まぁ、ちょっとだけ様子見たら、すぐ帰ろう。念のため僕から離れんといてね」

「……はいっ」


 僕は笑ってみせると、芽衣さんと一緒に鳥居をくぐった。

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